これを恋愛トークと呼ぶのは激しく間違っています
レイヴンが部屋を出て行って、ドアが閉められて。
途端に静寂が訪れた。
先程の日記の件もWの事も今考えた所でどうなるわけでもない。
これ以上は考えないようにしようと思いつつも、それでも脳裏から離れない。
恐らく、ではあるが先程モニカが述べたような楽観的な展開はないだろう。そしてモニカも薄々それを理解しているに違いない。
Wの名だけがたまたま重なっただけなら偶然で済む話かもしれないが、行方不明になったかもしれない人間の名前と同じカルテがここにあった時点で偶然にしては出来すぎている。
「……そういえば先日、街中でイリスを見かけたんですけれど」
「え、そうなの? 声かけてくれればよかったのに」
重苦しい空気を振り払うかのように、モニカが唐突に言葉を紡ぐ。黙ったままだと余計な事を考えてしまうのは、どうやらイリスだけではなかったようだ。
「いえ、どなたかとご一緒のようでしたし、こちらも他に人がいましたから。後ろ姿しか見えなかったけれど、琥珀騎士の方だったかと」
「琥珀……あぁ、それじゃワイズだ。新しく出来たっていうお店に行ってきた」
「その方とはよく出かけるんですの?」
「よく、っていうか、まぁ月に一度は必ず。最近はよく会うかな」
この館について向こうも調べてくれているようだし。
「イリス、他の方とは出かけたりしませんの?」
「他の、って? 騎士団以外の友人とか? ヒマな時間が合えばそれなりに遊んだりするけど」
「いえ、騎士団の友人です」
「……騎士団の、って言われてもなぁ。モニカとは時間が合えばお茶したりするし、ワイズとも時間が合えばそこら辺のお店行ったりするし。レイヴンとかクリスとも公園でばったり遭遇すれば世間話くらいはするよ?」
その言葉が予想外だったのか、モニカがきょとんとした表情を浮かべる。
「え、何、どうしたの?」
何故そこで予想外です、みたいな顔をしているのか。
「わたくし、もう少しイリスには騎士団の知り合いがいると思っていたのですが」
「いや、思ってたって言われても……むか~し近所に大きくなったら騎士団に入るんだ! とかって言ってた知り合いはいたけど、顔見知り程度で友人とは違うし。父の仕事上知り合った人でお城の関係者だって人もいるけど、それは私の友人とは違うだろうし」
騎士国家と言われる程騎士は沢山いるが、だからといって知り合いの大半が騎士、なとどいう事はない。イリス自身は何のとりえもない極普通の一般市民なのだから。知り合って友人と呼べる間柄の騎士がほとんど騎士団長でした、という事態は少々異常ではあるが。
「……えぇと、アレクは? アレクはどうなんです?」
「アレク様? 何でそこでアレク様が出てくるの?」
「休日に、一緒に出掛けたりとか」
「いやそれはない」
イリスが即答すると、モニカは何故か視線をそこかしこに泳がせて何かを言おうとして口を開き――上手く言葉にならないのか結局閉じた。
「そもそもアレク様を見かけた時は大抵忙しそうだし、向こうから声をかけてきても『暗くなるから早く家に帰りなさい』とか『こんな時間まで外にいるのもではありませんよ』とかそんなんばっかだからね」
「え……あの、それは日没後とか、ですの?」
「いや夕方。心配してくれてるのはわからんでもないけど、ちょっと大袈裟だよね」
「そう、ですわね……」
相づちを打ちながらも、モニカはがくりと項垂れていた。
「……では、アレクと一緒に出掛けたといえるのは、ロイ・クラッズの館へ行った時だけですの……?」
「そうなるね。……そう、だと思うよ。アレク様とはどうやらもっと前に会った事があるらしいんだけど、私の記憶には全く残ってないし」
アレクと初めてロイ・クラッズの館へ行った時に、前にも会ったかのような言動をされたものの、思い返してみてもアレクと出会ったような記憶は一切無く実はアレクの人違いなんじゃないかとさえ思っているのだが、万が一という事もあるため断言していいものか悩みやや言葉を濁す。
向こうからその事を話題にするつもりはないようだし、こちらから聞いてみようと思った事は何度かあったもののいざ聞こうとするとやんわりとだが話を逸らされる始末。
……まさかアレクの脳内妄想なんていうオチはなかろうな、とある意味失礼な事を考えて。
「わたくし、一度アレクに聞いてみた事がありますの。イリスとはお知り合いだったのですか? って。あまり詳しくは語りませんでしたが、五年前に助けられた事がある、と言ってましたわ」
「五年前? 助けた?」
そう言われても全くピンとこない。
五年前。王国歴1000年か。
……覚えている事をつらつらと思い返してみる。
五年前といえばまず祖母が亡くなった年だ。そして姉のアイリスが王都を出た年でもある。
王国千年祭なんていうものもあった。
レイヴンと出会ったのもその頃だ。
だがしかしアレクと出会った記憶は無い。
「本人にとっては些細な事すぎて恐らく覚えていないだろう、とも言ってましたわ。その様子だと本当に覚えていないのですね」
「うん。全然思い出せない」
これっぽっちもかすりもしないという事は、恐らくアレクとの出会いはそこまでインパクトのあるようなものではないのだろう。何か……もう少し思い出せそうなヒントがあればいいのだが、モニカの話からはこれ以上の情報は得られそうにない。
「ここまでくるといっそアレクが不憫、と言いたい所ですけれど、何故でしょう。全くそんな気にならないのです。
……白銀騎士団内部の派閥事情もあるからでしょうか」
「……何、それ」
深く踏み込んで聞いていいものか一瞬悩んだが、本当に外部に漏らしてはいけない情報ならこんな風に口にしたりはしないだろうと思い、つい問いかけていた。
「現在白銀騎士団内部では大きく分けて三つの派閥があるのですよ。団長の想いを成就させるべくなんとかくっつけよう派と下手に手出しせず温かく見守ろう派、何かの悪影響が出る前に早々に引き裂いてしまおう派っていうのが。
くっつけるにしろ引き裂くにしろ今の所全く進展はないも同然なので温かく見守ってるのが現状ですけれど」
「……騎士団、特に白銀って忙しそうなイメージあったんだけど、実は暇人集団なの?」
それとも忙しすぎて脳が現実逃避でも始めた結果がこれなのだろうか。どちらにしてもこちらに迷惑がかかるなら止めていただきたいものだ。
「大体想いを成就ったって、アレク様の私に対する反応ってあれ、恋とか愛とかとは何か違う気するんだけど」
「そこなんですよねぇ……」
ふぅ、と息を吐きつつも、片手を頬にそっと当てて。
どちらかというと偶像崇拝とかそういうものに近い気がします、と小声で呟いたものの、それはどうやらイリスの耳には届かなかったようだ。
「母親より母親らしすぎてそのうちうっかりお母さんって呼んでしまうんじゃないかという意味で冷や冷やしてはいるけど、まさかアレク様が私の母親になりたい願望とかあるわけないだろうし」
「あったらそれはそれで怖ろしい話ですわ。もしそうならわたくし全力で引き裂く派に力を貸す他ないようですわね」
普段何気ない事でアレクを亡き者にしようという勢いすら感じさせるモニカだが、今回ばかりはイリスも止めなかった。理由は単純に今の段階でアレクの真意がわからない以上、モニカが先走ってアレクに危害を加えるような真似はしないだろうという考えと、もし矛先が向かうとするなら想いを成就させよう派の騎士たちだろうと思ったからだ。
成就させよう派の騎士が誰なのか、というのがわからないので知ったこっちゃないという部分も大きく占めている。
「……話題を変えてみようと思っただけなのに結局考え込む結果になってしまいましたわね」
「あー、うん、まぁアレク様に関してはもうしばらく放置でもいいとは思ってる。こっちに被害が出ない限りは」
「えぇ、その時はわたくし、全力でアレクを止めてみせますわ!」
ぐっと拳を握り締めて言うモニカは大変頼もしい。……普段全力を出さなくてもいいような部分でも全力を出そうとするのは少々勘弁願いたいが。
「そろそろ休憩やめてレイヴン探そうか?」
「そうですわね。これ以上ここにいると余計な事ばかり考えてしまいそうですし……行きましょうか」
レイヴンが行く先は今までに行った部屋のどこかなので、探すだけならそう難しくもないだろう。
ドアを開けようとした矢先――向こう側からドアが開けられた。




