真偽がハッキリしないのでスッキリしません
しばらくの間、誰も何も言わなかった。言わなかった、というよりは言えなかった、が正しいのかもしれない。
じっとそのノートの最後のページにある一文を凝視していた。
これが何かの冗談ならばいいのだが、それにしても性質が悪い。ちらりとモニカの方を見ると彼女の表情にはありありと驚きの色が浮かんでいる。対するレイヴンは眉間に皺を寄せてはいるが、そこまで驚いているようには見えなかった。
前の主任がWと呼ばれ、新しい主任もWを名乗る。
……このWがイリスたちの知る人物であるならば、姉は相当厄介な人物に目をつけられたという事ではないだろうか。
ロイ・クラッズの館の日記にあった、Wに対する若造という言葉が思い出される。ロイが出会った当初のWは同年代くらいだったはずだが、途中で出てきたWは若造と呼ばれていた。
このWが同一人物であるならば、ロイを唆しイリスの祖父をあの館へ呼び寄せるようにしたWは新しい主任という事になってしまう。
ロイの館で見た日記から、Wという人物は少なくとも二人いた事になるが、もしも、彼が本当に若返っていたとしたら……?
いや、それよりも、姉はならばWと接触したという事にならないだろうか。
前の館の持ち主は「エル爺さん」と呼ばれていたという。彼が前の主任である可能性はどうだろうか。
その名前からWとの接点はなさそうだが、エルというのが本当に名前かどうかも疑わしいのだ。
しかし姉の手紙に書いてあったこの館は二年前に譲り受けた、という文面から、エル爺さんがWである可能性は低いように思う。
前の主任と新しい主任がWと呼ばれていた。これはまだいい。
この二人が同一人物かもしれない、という部分、問題はここだった。
新しい主任がここに来たのは、まだ姉に館を譲る前の話だろうし、主任同一人物説が正しいならばエル爺さんはWとは無関係だ。
主任が別人で前の主任がエル爺さんであるという可能性も無くはないのだが……
「考えてたら余計こんがらがってきた……」
これ以上考えても答が出るわけでもないだろうし、それどころか知恵熱が出てきそうだ。
「あの、イリス……お姉様の方は大丈夫なんですか?」
「え?」
「いえ、だってお姉様確か五年前に王都を出た、との事でしたよね。その後偶然を装ってWが接触するにしても……不自然すぎやしませんか?」
五年前に王都を出た姉。二年前に館を譲り受けたとはいうが、その時姉は当然王都にいたわけではない。姉の居場所などこちらも常に把握していたわけではない。時々来る手紙で今までどこそこにいたというのを知っていた程度である。
けれど、それでもWは姉と接触したかもしれないのだ。ロイから情報を得て、王都から出ていない祖父ならばまだしも王都を出てあちこち移動している姉と。
「前の館の持ち主とは館を譲ってもらって以降、会ってないって手紙には書いてあったから今の所はおかしな事はないと思うけど……」
今でもむしろ交流があるというのならば話は違ってくるだろうが、それ以来会っていないというのなら再び姉に手紙を出して追究しても何か新しい情報が出てくるという事もないだろう。そして姉の手紙からは特に今の所おかしな事件に巻き込まれたような雰囲気もなく、いつも通りの文面だった。もし何か事件に巻き込まれていたとして、それを姉が知られないようにしているという可能性もなくはないが……
(姉さん隠し事得意じゃないからなぁ……)
昔から嘘をついても小さなボロを出してすぐにバレるような人だった。まぁついた嘘そのものが可愛らしいものだから嘘をつかれた側も特に気にしてはいなかったが。
「……考えても仕方ありませんわね。この部屋のヒントになりそうな事も書かれていないみたいですし……一旦休憩しましょうか」
ふぅ、と小さく溜息をついて、モニカがそんな事を言い出す。確かにこの事をこれ以上考えたとして、明確な答が出る事もないだろう。しかし休憩とは……今の時点で既に休憩しているようなものだろうに。
――『狂人の館』一階。
物事を考えるにしてもあの部屋では落ち着いて考えるどころの話じゃないし、どこも大して変わらないだろうけれど、少し座って休憩しましょうかというモニカの言葉によって、イリスたちは一階の書類が散乱していた、一階で唯一最初から開いていた部屋へとやってきた。
二階の休憩室でも良かったのかもしれないが、あの部屋は少々磯の香りが強すぎて休むというには不向きだという事でモニカが却下した。
「そういえばさ、レイヴンさっき物置でここがあの館と似てる気がするって言ってたよね。あの館ってもしかして……」
椅子に腰をかけ机に突っ伏すようにしていたイリスが、先程聞けなかった事を口にする。
すっかり散乱していた書類もなくなりすっきりとした室内を物珍しげに眺めていたレイヴンは、ちらりとイリスの方へ視線を向けると小さく頷いた。
「あぁ、ロイ・クラッズの館の事だ。どうやら考えすぎ、というわけでもなかったようだな」
「似ている、って言われましても……この規模の館なんてどれも似たようなものじゃなくて?」
イリス同様椅子に腰をおろし、机の上で頬杖をついていたモニカが小首を傾げた。
「……そうでもない。同じような造りでも侵入経路が大分違う館なんて多数存在する」
侵入経路。深く突っ込んだらいけない単語だろうか、これは。
「構造が似ている館なら確かにどれも似たように思えるかもしれないが、この館とロイ・クラッズの館は形からして違う。けれど、似ているんだ」
言って、すっと指を動かす。
「ロイの館はこういう形で、この館はこういう形だ。構造は全く違う」
こういう、と言いながらレイヴンは最初に『凹』という形に指を動かし、次に『T』と動かす。確かに形だけなら明らかに違うというのはわかる。
「全部の部屋を見たわけではないから何とも言えないが、それでも物の配置なんかが少し、ロイ・クラッズの館と似ているんだ。さっきの物置でもしまいこんであった道具の配置が同じような感じだった」
「……そういやこの隣の方にある応接室に入った時に、どこかで見たような部屋だな、って思ったけど……それは単純に応接室なんてどこも同じようなものだろうって思ったから気にしてなかったんだけど……言われてみれば……似てた、のかなぁ?」
ロイ・クラッズの館での応接室を思い返してみるが、正直あまり記憶にない。記憶に残っているのは館の中というよりも、凶悪な面構えをしていたボギーたちの方だ。部屋の中よりあいつらの方が視界に入る頻度は高かったように思う。集団で出てきた事もあったし。
「……あれ、って事はあの魚ってもしかしなくてもWが創ったモンスター、って事?」
「その可能性は高い、というか恐らくそうだろうな」
まぁこんな森の奥深くに人の手足が生えた魚がいる時点で充分おかしいし、館に勝手に棲みついた魔物と考えるよりはWが創った魔物だと考えた方が納得いくような気はするが……
「今更だが厄介な事態になってきたな。前の館の持ち主がWであるならばアイリス・エルティートに持ちかけた余興とやら、実は相当危険なものかもしれない」
「まぁ館にモンスターいる時点で充分危険だよね。今の所あいつらすぐ逃げてくけど」
しかし逃げなかったら逃げなかったで魚の形をしたただの変態なのでむしろそのまま逃げて視界に一切入ってこないでくれる事を切実に希望するのだが。
「姉さんの手紙にあった前の館の持ち主……エル爺さんって呼ばれてた人らしいんだけどさ。少なくとも手紙からはロイの日記で見たりして私たちが知ってるWとはイメージかけ離れてる気もするんだよね。……そういう演技でしたって言われればそれまでかもしれないけど」
「前の館の持ち主がそのままここの主任でありWだというふうに決めるのは早計な気もしますけどね」
「というと?」
「主任がWだというところまでは良しとしましょう。けれどその主任がここの館の持ち主であるという所までイコールにしてしまうのはどうかしら。そのエル爺さんという方が何も知らずにWにここを貸していた可能性もまだ残っていますわ」
「……どちらにしても現時点で確定はできない、か」
「えぇ、推測だけなら例えば……エル爺さんとやらは少々変わり者な市民で、ここをイリスのお姉様に譲った。その際にちょっとした余興を考え付いた。その事を知ったWが後からその余興に便乗する形で日誌やら日記をばらまいた、という可能性だってあるかもしれませんよ」
モニカの話は少々無理があるように感じた。
「えぇと、モニカ? その話が事実だと仮定して、だとするとWはこの館にどうやって入り込んだの?」
「魔導器の点検や調整、という形で知り合ったかもしれないじゃないですか、魔導器は扱いに注意を払わないと危険なものですけれど、王都の技術者がこの館に来て、という事は恐らく無いように思います。
そうなるとあとは自分でどうにかするか、もしくは大っぴらに言えないような少々問題のある業者などに頼むか……それがたまたまWである可能性はありますわよね。Wなら館の鍵の複製もお手の物でしょうし」
「そうか……まだそこに名前がある六名が、実在しているかどうかも微妙なところだったな……」
ホワイトボードに記された名を見つめ、レイヴンが米神のあたりを手で押さえた。
「あー、極論言っちゃうとエル爺さんが考えた余興がたまたま悪趣味にも実在する人物の名前でやっちゃったーって事も無いとは言い切れないって事か」
不老不死だの若返りだの人体実験だの胡散臭い事極まりない話も、下手をすれば余興のための作り話でしたー、などという事もあるかもしれないわけで。
そこでたまたまミステリアスな謎の人物を登場させよう、として考え出されたのがWでした。という展開も無いとは言い切れない状態でもあるわけだ。
「最悪ロイ・クラッズの館に関わってたWとは全く何の関係もない可能性も出てきちゃうわけか」
「それならそれで紛らわしいなぁで済むんですけどね」
「それで済むような気がしないのが……な」
「そうなんですよねぇ……」
何故だか自然と、重たい溜息が三人の口から吐き出されていた。
「……レイヴン?」
それからすぐに部屋を出て行こうとするレイヴンを、イリスが呼び止める。
「すまない。今までに開いた部屋を少々確認しておきたい。二人はここで待っていてくれ」
「一人で大丈夫なんですの? とは聞くだけ無駄ですわね。休憩にもならない感じでしたし、わたくしたちはここで待ってますわ。……あまりに遅いようなら探しに行きますけど」
「あぁ、なるべくすぐ戻る」
言うなり部屋を出ていったレイヴンを見送って。
「これが彼を見た最後でした、なんて事にならないといいのですけれど」
「ちょっと、やめてよ縁起でもない」
あっさりと不吉な事を言ってのけるモニカに、反射的に突っ込みを入れて。
どちらかというと女だけの状態になったこっち側にあの魚とか出てくるんじゃなかろうか、唐突に不吉な予感をイリスは感じていた。




