誰かに向けられた悪意
館の中は相変わらず薄暗く、そして埃っぽいものだった。
「……あれ?」
「どうした」
「いや、んー……? 何でもない、かな」
しかし入って早々、何やら違和感を覚える。
入ってすぐ、扉の横に置いておいたままのランタンに火を灯そうとするも、やはり上手くいかない。何度か試しているとイリスの手から道具を奪い、レイヴンが手早く火をつける。
「レイヴンは器用だね」
「何度もやってるからな」
「魔術でつけたりはしないの?」
「……火炎系の術は使えないからな」
「そうなんだ」
火炎系の術どころか他の系統の術も一切使えないイリスからしてみれば、火炎系以外の術は使えるみたいだし、それだけで充分凄いのになぁ……と思うのだが、どうやらレイヴンはそう思っていないようだった。早々に聞いちゃいけない事を聞いた気分になる。
火を灯したランタン片手に、レイヴンが先へ進む。
「二階からだったな」
「あ、うん」
ランタンの隣に置いておいた工具箱を持ち、階段を上がる。
「どこから見るんだ?」
「前はね、そこのドアから行ってみようか、って話だったんだけどその時にジャックとマリーがあっちの部屋から入ってきたんだ。ちょっとそっちの部屋から見てまわっていいかな?」
イリスの言葉に小さく頷くと、レイヴンはそのままランタンを掲げ通路を照らす。特に床に穴など開いていない事を確認すると、そのまま先導して歩き出した。
「普通の部屋だね」
「……使用人の部屋、というよりは普通に客室なんだろうな」
古びた家具や調度品を見て、レイヴンが淡々と述べる。
「じゃあこの隣とか向かいの部屋もそうかな?」
「恐らくは」
「うーん……それじゃあここら辺の部屋には無いかもしれないね」
「そういえばお使いだと言っていたが、結局何を探しにきているんだ?」
「さぁ? じいちゃんの友人がじいちゃんに宛てた物、としか。それが何なのかはわかんないんだ。……あぁうん、わかってる。わかってるからそういう顔やめて。気の長い話だなってのは私も思ったから」
そこまで言ってふと思い出す。
そういやアレクにこの館の所有者――祖父の友人の名を聞かれていた事を。
プリンセスホールドの威力が高すぎて脳からすっぽり抜け落ちかけていたが、一応聞くだけは聞いてきたのだ。だがしかし、直接伝えるにしても会おうと思って会えるかというと微妙な所ではある。
「そうだレイヴン。前にここ来た時にさ、アレク様にここの所有者の名前聞かれたんだけど、その時はわからなかったんだよね。で、何日か前にじいちゃんとこ行って確認してきたんだけど、レイヴンから伝えてもらえないかな? 私が直接となるといつ会えるかわかんないし、会うための手続きとか面倒そうだし」
「俺から? モニカに頼んだ方がいいんじゃないか? 生憎俺は城に行っても殆どアレクと顔を合わせる事はないぞ」
「え、そうなの?」
何というか、てっきり騎士団長同士なのだからそれこそ魔物討伐の時の話とか仕事の話でそれなりに顔を合わせると思っていた。しかしどうやらそうでもなかったらしい。
「あぁ、モニカとは顔を合わせる事も多いが……モニカ経由でも構わないか?」
「うん、お願い。じいちゃんの友人ね、ロイ・クラッズって名前だったよ」
「……貴族ではないようだな。商人か?」
「さぁ……? じいちゃんの話ではそんな感じじゃなさそうだったけど」
イリスは名前だけ聞いてくる、という部分に重点を置いていたようだが、よく考えてみると確かに少しおかしい。このあたりの区画はほぼ貴族か、かなり名を知られている商人などが館を建て暮らす区画だ。イリスの祖父やイリスのような本当にごく普通の一般市民が暮らしているのは西区、南区と分かれているのでこちら側に住んでいたというのであれば貴族ではなく商人……と考えるのが普通なのだが、祖父の口振りから商人というわけでもなさそうだった。
「同じ村の出身だったって言ってたから、平民なのは間違いじゃないと思う」
「……ミドルネームをあえて伏せているという線も無い、か。まぁいい、伝えておく」
何故だろうか。この館に足を踏み入れてから感じた違和感が、大きくなったような気がした。
部屋を出て、隣の部屋のドアを開ける。
そちらも内装はほぼ同じで、どうやらここも客室のようだった。違うのは角部屋ではないという事と、ガラスの破片が散らばっていないという点くらいだろうか。家具にうっすらと積もった埃に、一体ここはどれくらい放置されていたんだろうと考える。
じっくり調べるとするならある程度片付けないといけないんだろうなぁ……と漠然と考えて、部屋を出る。
更に隣の部屋も似たような構造だった。
ジャックとマリーが侵入した部屋の向かいのドアを今度は開けてみる。
そこもたった今見た部屋と変わらない内装だ。
違うのは、窓の位置くらいだろうか。
「……って事はこの隣二つの部屋も客室っぽいね」
「そう考えて間違いないだろうな」
もしかしてこの階、やたらと部屋が多いように感じるがほとんど客室とか、あとは使用人部屋とかそんなんばかりなんじゃないだろうか。だとすればそこまで重要な物は置いてないだろうし、さらっと確認するだけで良さそうだ……と思いながらもイリスがドアを開けた矢先――
「ふにゃっ!?」
レイヴンがイリスの襟首を掴んで勢いをつけて回すように引き寄せた。全く警戒していなかった事と、遠心力によってイリスはレイヴンの背後の方へ何の抵抗もなく強制移動する事になる。
それとほとんど同時に――
たんっ。
乾いた音が響く。
音がした方へ反射的に視線を向けると、向かい側の客室のドアに矢が深々と突き刺さっているのが見えた。
「え……?」
当然だが先程その部屋のドアを開けた時にはドアにそんな物は突き刺さってなどいなかった。音がしたのがたった今という事からして、これはたった今突き刺さった代物だ。矢が一体どこから、というのは考えるまでもなくたった今開けたこの客室からだろう。
……では、何故こんな仕掛けが?
レイヴンがいなければ、恐らく自分は今の矢を避ける事もできず何がなんだかわからないままに怪我をしていただろう。……突き刺さった位置からして、運が悪ければ死んでいたかもしれない。
「……悪戯にしては悪質だな」
「悪質ってレベルをいとも容易く超えてる気がするけど」
一気に膝から力が抜け、へたり込みそうになるのをレイヴンにしがみついて堪える。ドア越しに部屋の中を覗き込むレイヴンだったが、何事もなかったかのようにドアを閉めた。
「正面にボウガンがある所からすると、間違いなくあれから発射されたんだろうな。誰かが隠れて撃った、というわけではなさそうだ」
「まだ忍び込んだ誰かが悪戯で、って方がわかりやすい気がするよ。何でわざわざそんなの仕掛けたんだろ」
「さぁな。以前忍び込んだ誰かの悪質な悪戯か、それとも――」
「なんにせよ、助かった。ありがとレイヴン」
どうにか落ち着きを取り戻し、レイヴンから離れる。予想外のアクシデントに正直まだ心臓がバクバクと忙しくしてはいたが、じきに落ち着いてくれるはずだ。
「流石に同じような事が続くとは限らないが……次の部屋は俺が開ける」
そう言いつつ、隣のドアへと向かいドアノブに手をかける。
何故だか、酷く嫌な予感がした。




