どうやら既視感があるようです
悲鳴というよりは単純に驚いて出た声に、即座に動いたのはレイヴンだった。
瞬時に駆け出しイリスを庇うように前へと進み出る。
「…………」
「イリス、一体何……が」
レイヴンより少し遅れてモニカがやって来るも、それを目にして言葉が止まる。
扉を開け放った先、真正面に見えるドアの前に、魚が立っていた。
縦になっている方である。
前回トイレで流れていったというか出てきたというか……何だかんだで脱出を果たしたようだ。
片手にはコップを持ち、その中は見た所水が入っているようだ。
それをぐいっと一気飲みしている。
もう片方の手は人間ならば腰のあたりになるであろう箇所に置かれている。
ぐびぐびと水を飲んでいた魚だったが、途中でこちらに気付いたのだろう。ぶほっと水を吹き出し盛大に咽る。何だか苦しそうに悶えている所を、レイヴンがすかさず剣を抜き仕留めにかかったが僅かに魚の方が早かった。まだ苦しそうではあったものの、ひらりとレイヴンの剣をかわし首のあたりにかけていたタオルをレイヴンの顔目掛けて放る。ちなみにタオルなぞかけても肩がないのだからすとんと落ちそうだとは思ったが、どうやら背びれのあたりで引っ掛かっていたらしい。
反射的にそれを振り払ったレイヴンの隙をついて、魚はそれはそれは素早い速度で逃げ出した。
「……まぁ、二匹いますものねぇ」
しみじみと呟いてモニカも廊下を突き進む。そうしてトイレのドアを開けて中へと入っていった。
剣を鞘に収めたレイヴンが、振り払ったタオルをさてどうしたものかといった風に拾い上げ、結局はたたんで邪魔にならないようにそっと廊下の端へ置いたのと同時に、トイレからモニカが出てくる。
「前回アレクががっちり縛り上げてましたけど、全部解かれてましたわ。予想通りと言うべきなのかしら」
「でも流石にまたトイレから出てくるとかって事はないんじゃないかな。希望的観測だけど」
「そう思いたいですわね」
もしちょっとトイレに行きたいと思っても、正直このトイレは利用したくなかった。綺麗汚い関係なく。
「――とりあえず、鍵にちょっと目印とかつけてみたんだけど」
初っ端から魚がいるとは思わなかったため出鼻を挫かれる感じではあったものの気を取り直し、イリスはこの館で見つけた鍵を取り出した。
最初は玄関の鍵だけだったのだが、少々数が増えてきたため現在は輪に通すようにして鍵束にしている。
「目印、ですか?」
モニカが小首を傾げて問いかける。
「うん、ほら、どこの部屋の鍵って鍵そのものに記してあるわけじゃないからさ」
輪にただ通すのではなく、色のついた糸で吊るすようにしてあるそれとは別に、鍵束から外されている鍵をイリスは手にしていた。
「で、こっちがまだどこの部屋の鍵かわかんない鍵。わかったら後で違う色の糸と一緒に吊るしておけば次からどれがどの鍵だって、みたいに悩む必要はないよね。一番手っ取り早いのは、ドア開けっ放しにしとけばいいのかもしれないけど、あの魚が室内荒らさないとも限らないし、ドアだって閉めて回るかもしれないって考えると、ね……」
実際トイレでアレクが厳重に結んでいた縄は解かれていたようだし。
……鍵を閉めておいたとしても、何らかの方法で前回は寝室らしき部屋にいたというのを考えるとあまり意味はないのかもしれないが、それでも何もしないよりかはマシだろう。
「それでは今日はその鍵で開く部屋を見て回ればいいんですね」
「それで今手元にあってどの部屋の物かわからない鍵は三つか……」
ちなみに現在一階でまだ開いていない部屋は三部屋。二階はほぼ開いていないと考えていい。
「まさか全部一階の鍵、って事もないでしょうけど……」
前にも試した鍵があるとは思うのだが、前回入手した鍵もあるので念の為、という事で近くの部屋から鍵を試してみるという大体いつもの流れでイリスは早速玄関真正面に見えていたドア――つまり今いる場所だ――に鍵を差し込んでみた。
「――物置……だね」
開くと思っていなかった部屋のドアが開き、恐る恐る中へと足を踏み入れたものの、そこは何の変哲もないただの物置のようだった。
多分どの家にもあるであろう工具や掃除道具などのほかは、使われなくなった物などが置かれているだけでこれといって目に付くような変わった物は無さそうだ。
ここに人が住まなくなってから結構な日数が経過しているはずだが、不思議な事にあまり埃などは積もっていなかった。天井隅の方に蜘蛛の巣が張ってあったりもしたが、巣を作ったであろう家主の姿はない。まぁこんな場所に巣を作ったところで、獲物がかかる事もなさそうだし早々に他の場所へ移動したか、もしくは前の住人に退治されてしまったのだろう。
棚に置かれた物を眺め、特に異常がないと判断したのかモニカとレイヴンは棚の中や引き出しの中を確認していく。
「それにしても、まさか真正面に物置があるなんて珍しいですわね。わたくしてっきり位置的にここが応接室か何かだと思ってましたわ」
「言われてみれば応接室より広いかもね、ここ」
恐らくこの物置、他の部屋の倍近い広さはあるだろう。だがその分置かれた物が多いかと問われるとそうでもないので、余計に広く見えるのかもしれない。
「もしかしたら何かがあって部屋を移動させたのかも。もとはここが応接室とか他の部屋だったけど、色々あってあまり使わないようにしたとか」
「使わないように、ですか? あまり理由は思い当たりませんけど……」
「そうだよね、私も思いついた事適当に言っただけだからどういう理由だって突き詰められると答えられないや」
「……水漏れ、とかじゃないか」
ほら、と言いながらレイヴンが指し示す方向を見ると、天井付近に染みがいくつかあるのが見えた。
「この上って確か休憩室だったよね」
「あの部屋自体で水が漏れなくても、例えば外壁を伝っての雨漏りとか、別の部屋の水漏れが内部を伝ってここに漏れたとか無いとは言い切れないぞ」
「外からってのは無さそうですわね。一応この建物魔導器で保護されてるようなものですし……魔導器で保護する以前にできた染みならわかりませんけれど」
物置でわざわざ天井をじっくり見ようとは思わないためあまり気にならないが、これが応接室などであったならあの染みは恐らくかなりの確率で目立つだろう。壁紙を貼って誤魔化すにしろ、ペンキで塗りつぶすにしろ、どちらにしても悪目立ちしそうな気しかしない。
「血の染みとかじゃないよね……?」
「違うと思いますけど……確かに赤黒い染みだからそう見えてもおかしくはありませんね」
ワイズが言っていたこの館には狂人が棲んでいたという言葉と、ここがかつて診療所であったらしいという言葉からふと不吉な連想をしてしまったが、流石にそれは考えすぎだろう。
そうだよね考えすぎだよねーと笑い飛ばし、イリスはそれ以上染みについて考えるのを止めた。
物置の中が思わぬ広さであったとはいえ、それほど物が置かれているわけでもないので手分けして見てみる事にして。
見れば見る程普通の物置だという感想しか出てこない挙句、イリスが探した場所からは特に何も見つからなかったので二人に声をかけると、どうやら向こう側ではそれぞれが鍵を発見したらしい。少々埃っぽい鍵を二人から受け取る。
「……しかし妙だな」
「妙、って?」
レイヴンが何か納得のいかない表情をして、あちこちに視線を巡らせる。
「物が寄りすぎていないか、ここ」
「言われてみればそうですけど……それが何か?」
「確かに両端がっつり空いてるけど……たまたまじゃないかなぁ。染みにこそなってないけど、端っこは雨漏りしてたからとかそういう理由で物置かないようにしてただけとかじゃないの?」
「そう、だろうか……」
確かに両端にぽっかりとあいているスペースが不自然極まりないが、イリスの目にはそれ以上何かがあるようには見えなかった。仮に隠し通路があるとしても、この部屋と隣の部屋の間に隠し部屋が……などというスペースまではありそうにない。片方の部屋はまだ入っていないのでわからないが、もう片方は浴室だ。以前調べた時、浴室には特にこれといった異常はなかったように思うし、壁の間に隠し部屋があるとも思えない。
「まぁ、レイヴンが気になるというのなら、もう少し調べてみましょうか」
「……すまない」
「私とモニカが調べても多分重要な何かを見つける事ってできない気もするけどねー」
とはいえ、何か見つかるかもしれないし、何もないならそれに越した事はない。
イリスもモニカもそんな軽い気持ちでレイヴンと一緒に端の方を色々調べてみたが、やはりというべきか、特に何か変わった物も仕掛けらしきものも見つける事はできなかった。
「何もない……か、すまない。無駄な時間をとらせた」
「何もなかったって事がハッキリしただけ無駄な時間なんかじゃありませんわ。ねぇイリス」
「うん、それに鍵は二つも見つかったんだから、収穫ゼロってわけでもないし。レイヴンが気にする事はないと思う」
そうは言ってみたものの、レイヴンの表情はどこか険しい。確かにここで結構な時間を消費したが、そこまで気にするようなものでもないだろうに、と思いイリスは気にするなと言わんばかりにレイヴンの肩をポンと叩く。
「何もないならそれでいいじゃん。隠し通路だの罠だのがあからさまにばんばん出てこられても困るよ」
「そうか、そう……だな。すまない。どうもここはあの館と似ている気がして、つい」
あの館、ってどの館……?
そうイリスが疑問を口に出す前に、レイヴンは次の場所へ行くべく物置のドアを開けていた。
「……またか」
ぽつりと呟かれた言葉に何がと問いかけるより早く、レイヴンは剣を抜き駆け出す。開け放たれた状態のドアから廊下を覗き込むと、そこには先程たたんでおいたタオルを回収しにきたであろう魚がタオル片手にわたわたとした様子で逃げ出すのが見えた。
「……っていうかさ、魚のくせに何でタオルとか使ってんのあいつ……魚なんだし乾いたら危ないんじゃないの……?」
「さぁ、普通の魚ならともかくモンスターですし、あれ……」
物凄くどうでもいい疑問ではあるが、それを思わず口にして。
当然答が出るわけでもなく、少し遅れてイリスとモニカはレイヴンの後を追うべく駆け出した。




