気付くと進路相談が始まっていました
王国歴1005年 夏 某月某日 晴れ
イリスは自室のベッドに寝転がりながら手にしていた物を眺めていた。
凝視している、といった方がいいかもしれない。
姉からの手紙である。
何度見ても内容が変わる事などないのだが、穴が開きそうな勢いで見つめる。
特別緊急便で出した手紙の返事が今朝届いたのだが、そこに書かれていた内容はイリスの期待するようなものではなかった。
一つ、確実な情報といえるのは同封しておいた余興を用意したと書いてあったメッセージカードの文字が館を譲ってくれた人物の文字であるといった事くらいだろうか。
前の館の持ち主について詳しく聞きたかったのだが、姉の方もそこまで詳しくは知らないようだ。
館を譲り受ける切っ掛けになった賊から助けた時と、館に案内された時の二度。館の前の持ち主と接する事になったのはそれだけのようだ。
ちらほらと交わした世間話から、その前の持ち主についてわかった事は、隠居生活する事にしたらしく森の奥深くにある館はひっそりと暮らす分にはいいかもしれないが少々不便だからと言って手放す事にしたと言っていた事。
賊から助けた直後、近くの町で館を譲り受けるという話を持ち出された時に、たまたまその人の知り合いがいたらしく、彼は「エル爺さん」と呼ばれていた事。
お爺さんは昔事故で足を悪くしたらしく、少々引きずって歩いていた事。
新たな情報として追加してもよさそうなのは、これくらいだった。
余興に宝探しみたいなものとか、あのお爺さんならやるかもしれない、と姉の手紙には書かれてあった。関わったのはほんの少しの間だが、どうやら中々に茶目っ気のあるお爺さんだったようだ。姉の手紙からそれが伝わってくる。
館を譲り受けたのは二年前と書かれていたが、以降はそのエル爺さんとやらには会っていないし、今どこにいるのかもよくわからない――とも書かれていた。
「……知ってる事はこれで全部、か……」
そう締め括られた手紙を枕元に放り投げ、呟く。姉の手紙から推測されるエル爺さんとやらは、至って普通の人物のように思える。モンスターがいるような館を押し付けるような人物には思えなかった。
あの館にいたかもしれない人物は全部で七人。
名前がわかっている六名の他に、主任と呼ばれていた人物。それが前の館の持ち主なのかもしれないと思っていたが、あの物騒な館の持ち主とエル爺さんとやらがいまいち上手く結びつかない。
……となると主任とやらは別の人物で、エル爺さんは単純に館を所持していただけで名前だけの管理人、という可能性もある。勿論エル爺さんが姉に対して好々爺を演じていただけ、という事だって考えられるが。
考えたところで答が出るわけでもなく。さてどうしたものかと溜息をつく。
「イリス―、ちょっとおじいちゃんとこまで荷物届けてきてー」
「はーい」
廊下から聞こえる母の声に返事をして、仕方なくイリスはむくりと身を起こした。
祖父の所へ荷物を届けて家に戻る途中。
薄々嫌な予感はしていたが、帰り道で少しずつどんよりしていた空が更にひどくなり雨が降り始めた。
急いで戻ろうとして走ってはいたものの、急な土砂降りに一瞬にして濡れ鼠のようになる。
どこかの店の軒先で雨宿りをしようにも、もう手遅れだという事で開き直って家に向かう事にしたのだが……
「……ウィリアム……さん?」
「おや、イリスさん。ずぶ濡れですね」
「えぇ、唐突に降ってくるものですから……って、私もだけどウィリアムさんもびしょびしょじゃないですか!」
家の前で佇んでいた人物に声をかける。傘も差さずに立っていたため、向こうもイリスと同じようにずぶ濡れなのだが何故か彼は他人事のような返事を返してくる。
この時期夕立というか通り雨というか、唐突に雨が降るのはよくある事なのだがここまでひどいのは早々無い。お互い着衣遊泳を行ったかのような濡れっぷりだ。
家の前で立ち話をするのもいかがなものかと思い、イリスはウィリアムを連れて家の中へと入る。
「ちょっと待って下さい。今タオル持ってきますから」
せめてもの抵抗としてなるべく爪先だけで廊下を進み、濡れる場所を少なくしようとしたものの、途中でバランスを崩し転びそうになる。諦めて普通に歩いてタオルと、父の部屋から着替えになりそうな物を取って来る。一瞬下着をどうしようかと考えたが、運よく最近母が買って来た新品の下着を見つけ、それも拝借した。
サイズは多分問題ないだろう。父よりウィリアムの方がやや細いように見えるし。
その後は玄関で待っていたウィリアムを脱衣所の方へ案内し、シャワーを使うならご自由にと着替え一式を渡してからイリスはキッチンの方へと駆け込んだ。
「母さー……ん?」
父の部屋から着替えを拝借した事とウィリアムが来たという事を伝えようと思ったのだが、いると思っていたはずの母の姿が見当たらない。
ふと見るとテーブルの上にメモが置いてある。
――イリスへ
ちょっと買い物に行ってきます。
お父さんはお店の方に呼び出されたから、戻って来るのが遅くなるかもしれません。
もしウィリアムさんが来たら、お父さんの部屋の机の上に置いてある箱を渡して下さい。
てっきりいると思っていた両親がまさかの不在。
仕方なくイリスは自室へと駆け込んで、手早く着替えを済ませる。それから濡れた状態で歩いたために濡れた廊下をざっと拭いて回って、父の部屋に再び足を踏み入れる。着替えを探していた時は気付かなかったが、メモに書かれていた通り机の上には箱があった。それを持ってリビングへと向かう。
「あの、イリスさん。すみませんが袋を一つ頂けませんか?」
着替えを済ませたウィリアムが廊下の方から顔だけ出してくる。
「袋、ですか?」
「えぇ、濡れてしまった服を持って帰るのに使いたいので」
「あー、わかりました。ちょっと待ってて下さい」
服を入れる袋の他に、渡すように伝えられた箱も濡れないよう袋に入れておくべきなのだろうと思い、余分に持っていく。
「――あれは、ステラさんが作ったものですか?」
雨が止むか、もう少し弱くなるまでという事で着替えを終えて目的の物を受け取ったウィリアムはまだイリスの家にいた。流石にウィリアムを一人リビングに放置しておくわけにもいかないだろうという事で、お茶を淹れて何となく世間話をしていたのだが。
ふと視線を棚の方に向けて言うウィリアムに、イリスは一体何の事だろうかと同じように棚の方へと視線を向けた。
「……あれは、その、知り合いに貰ったんです」
「随分と凝った力作ですね」
言い淀んだイリスを訝るでもなく、ウィリアムの視線はそれに向けられたままだ。
棚の上の方に飾られているそれは、何の変哲もない物だった。編まれたレースで作られたそれを、イリスの母が作ったのかとウィリアムが聞くのは……まぁイリスがこれを作ったなどとは思えないからだろう。
実際イリスが作ったのかと問われれば即座に否定しているので、別に失礼だとか心外だなどとは思わない。
「それに母もああいうの苦手だからこんなのは作れませんよ。どっちかっていうと父の方が器用なくらいで」
レース編みの制作者について深く突っ込まれる前に、それとなく話を逸らそうと試みる。
ウィリアムがレース編みに興味を示すとは思えないが、これ以上深く突っ込まれるのは不味い。何故ならそのレース、編んだのは世間一般ではモンスターに分類される相手が製作者なのだから。
ロイ・クラッズの館で最後に渡された品を、早々に処分するわけにもいかず、かといって自室に飾るのもなぁ……と悩んだ末に、イリスは知り合いが作ったのを譲ってもらったと言って母に押し付けたのだ。
最近は視界に入ってもあまり気にならなくなってきたそれを、まさかウィリアムが注目するなど予想外すぎた。
「……あぁ、確かにトーマスさんならこういうのも得意そうですね」
全力で話を逸らしたかったが、あまり露骨すぎると怪しまれるだろうと思い父の話題に移動できるようにそれとなく名を出したのは、どうやら成功したようだ。それ以前にウィリアムの方もあまり興味はなかったのかもしれない。たまたま視界に入ったから話題にしてみただけで。
現にウィリアムは興味をなくしたのかレースから視線を逸らし、目の前に置かれたカップを持ち上げる。
「ところでイリスさんは、将来トーマスさんの後を継ぐんですか?」
話題を逸らす事に成功したものの、逸れた先も正直返答に困る内容だった。
「えー……や、それはないんじゃないかなぁ……私父さんみたく器用じゃないから、道具の修理とかできないだろうし、細工物だって上手く作れないし」
後を継ぐにしても、今から父に色々教わったところで使い物になるのは一体何年先の事やら。下手をすれば一生一人前になれないかもしれない。
「正直まだ全然何も考え付かないんですよね。やりたい事が明確にあるわけでもないし」
いつまでも親の世話になっているわけにもいかないだろうし、いずれは姉のように家を出るべきなのかもしれない。
しかし姉と違い自分の身もマトモに守れるかどうかわからないイリスには、姉のように王都を出て違う街や村で行動するというのも難しいし、結局は王都のどこかで働く事になるのだろう。今も親の手伝いをしながらバイトのようなものはいくつかしているのだが、いつまでもそうして暮らしていけるかは微妙なところだ。今はまだしも、これから年を重ねていくにつれそうして暮らしていくのは難しくなってくるだろう。
「やっぱり父さんみたく手に職持つのが一番確実なんだろうなーとは思うんですけどね……」
「別に手に職持たなくても、それこそ城で働けばいいんじゃないですか?」
あまりにもあっさりと言ってのける目の前の男に、イリスは一瞬何を言われたのか理解できず、
「……それ本気で言ってますか?」
理解したと同時に即座にそんな言葉が口から出てきていた。
先程から小出しに予想外な展開を持ってきすぎだろう。この人は。思わず視線をウィリアムに向けるも、彼の表情からは別段揶揄いなどといったものが一切浮かんでいない。
悪気がないのが性質悪い、とは言うが、これもまた別の意味で性質が悪いなとイリスは気付かれないようにそっと溜息を零していた。




