心配性な友人は一人だけとは限りません
王国歴1005年 春 某月某日 曇り
アレクと『人喰いの館』へ行ってから数日が経った。
暇な日は何度かあったものの、一人で修理だの掃除だのをしようとなると多少の怪我でも厳しいかと思い、あれから館へは行っていなかった。
しかしようやく足も治って動くのに支障もなくなったので、今日からは気合を入れて館の修繕に乗り出そうというわけである。
……修繕がメインのようだが、実際はちゃんとしたお使いである。流石にそこまで目的を見失ってはいない。
アレクから話を聞いたであろうモニカは、人喰いの館について単純に老朽化の激しい建物だという認識になったらしく、イリスが館に行く事を全力で拒否しようとはしなくなった。しかしそれでも危ないから、と一人で行くのは避けるように……と、自分の母親以上に言い聞かせてきていた。
というより、自分がついて行くと言っていたものの、今日も召集をかけられてしぶしぶ城へ戻って行ったばかりである。相当未練があったらしく、モニカは途中何度もこちらを振り返っていた。その姿もつい先程ようやく見えなくなったところだ。
「……となると一人で行くしかないわけだが」
いくらモニカに一人だと危険だからと言われたにしても、流石に、
「一応安全だから『人喰いの館』に一緒に行こうぜ!」
などと誘ってホイホイついてくるような頭の中身が残念な友人はイリスにはいない。館の修繕を手伝って欲しい、報酬だすから、と言えばついてきてくれそうな友人はいるが。しかし元々が家族のお使いである。自腹切ってまで人を誘いたくはない。
危険度合いはないと思うが、それでもあの古い建物だ。どこかでうっかり怪我をしないとも限らない。そこに他人を巻き込むというのは……どうだろう。モニカが心配してくれているのはわかるが、色々考えるとやはり一人で行くという選択肢が最適な気がしてくる。
「――イリス」
後でモニカから色々言われそうだなぁ、と思いつつも館へ行こうと公園を突っ切っていく途中で、声をかけられた。静かな声で危うく聞き逃して通り過ぎるところだったが、間違いなく自分の名を呼んでいたのでどうにかそちらへ視線を向ける。
「ん? あれ、レイヴン! 久しぶり」
「あぁ」
そこにいたのは、緑生い茂る公園では色彩的な意味でかなり浮いているように見える、黒い騎士の制服を着た青年だった。髪も目も黒いせいか、この公園内どころか他の場所でもある意味とてもわかりやすいように思う。
「しばらく見なかったけど、元気そうだね。安心した」
「……任務でしばらく王都にはいなかったからな」
「そうなんだ」
彼もまたモニカ同様イリスの友人である。
とはいえ、モニカよりも遭遇する回数は少ない。
六ある騎士団のうちの漆黒騎士団団長を務めている。それが彼、レイヴン・リル・フォレストシープだった。
「……そっちは東区だが……また何か新しいバイトでも始めたのか?」
イリスが向かおうとしていた先を見て、レイヴンが首を傾げる。
「ううん、じいちゃんのお使いで世間一般で言われてる『人喰いの館』に」
イリスの中ではその館は完全にただの館だからこそさらっと言ってしまったのだが、レイヴンにとってはどうやらそうではなかったらしい。露骨に顔を顰められた。眉間にしっかりくっきりと皺が寄っている。
「――ってわけだから、別に危険な事なんてないのに」
肝試しとかならやめておけと言われた挙句、どうしても行くというのならついていくとまで言われ、何だかんだでモニカの希望通り一人で行くという事にはならなかったものの。
道すがらお使いを頼まれた経緯と、前回館に行った時の話を掻い摘んで話したのだがレイヴンの表情は険しいままだった。
「確かに噂は噂だ、という部分はわかった。しかし別の意味で危険すぎる」
「え? 流石に建物の老朽化部分まではどうしようもできないよ?」
「そういう意味じゃない」
頭を振って否定すると、レイヴンはイリスの目をじっと見た。
「いいか、確かに前にその館に行った事でその噂にあるような危険が無いというのはわかった。けれど今度は違う意味で危険になりかねないんだ」
「……どういう事?」
見上げるレイヴンの表情からは、何も読み取れない。
「ただの廃墟だとわかれば、今度はそこを根城にしようという犯罪者だって現れかねないという話だ。家出してみたものの行くアテがないから手近な空家に侵入……なんていう事もある。開いてた穴だって板で塞いだだけの簡単な処置なら、その気になればまた穴を開ける事もできる。塞いだからといって安心するのは早い」
「あー……あぁ、そっかぁ……」
「可能性としては低いだろうけど、絶対無いとは言い切れない。モニカも恐らくそういうのを懸念して一人で行くなと言ったのだろう」
「うぅん……わからないでもないけど、それでも身内のお使いに他の誰かを付き合わせるっていうのはなぁ……やっぱちょっと気が引けるよ」
何というか結局こういう考えに行き付いてしまう。モニカの言い分もレイヴンの言い分も、わからないではないのだ。同時に、どうにも釈然としないと思ってしまう。頼めばついてきてくれる友人がいないわけではないが、廃墟探索が趣味というわけでもない友人を誘うのはやはり何というか申し訳なくなってくる。ついてきてもらっても、楽しいものなんて何もないだろうし。
ふいに、イリスの頭に手が置かれた。
「……今回は、俺が付き添ってやる」
「えー、ありがたいけど、でも任務から戻ってきたばっかなんだよね? 戻って休んでた方がいいんじゃないの?」
「お前を放って戻ったら気が休まらない」
「どういう意味だ」
考えようによってはとても失礼な言葉だが、レイヴンなりに心配しているのはわかる。だからこそこれ以上食って掛かるような事も言えなかった。同時に、家に戻れと強く勧める事も。
館の外観は、前回とまったく同じだった。特に誰かが侵入するために壁に穴を開けたというような変化も見当たらない。
正面からは見えないため、少し回り込んで館を見上げてみる。
マリーとジャックが突き破った窓は、彼らと館を出る前に一応塞いでおいたしその後他の誰かが強引に突破したというような形跡もない。確かに登りやすそうな木があるにはあったが、流石にガラスならともかく板を突き破ってまで突入しようという者はいないだろう。
何とはなしにそのままぐるりと館の周りをまわって、正面へ戻って来る。他に外からわかるような穴は開いていないし、侵入しやすそうな部分も無さそうだ。イリスはその手の事に詳しいわけではないので、あくまでも素人判断だが。
鍵を取り出して玄関の扉を開ける。
「とりあえず前回一階部分は見たから今日は二階からね」
「わかった」
こうして二度目の――下見を含めると三度目なのだが――探索が開始されたのである。




