ある意味不安が残ります
王国歴1005年 夏 某月某日 晴れ
森の奥にある館に行ってから、二日後。前回の帰りに次はこの日に館に行こうと決めていたのだが。
「今日は二人だけなんだ……」
「僕たちだけでは力不足でしょうか?」
南門前に立っていたのはアレクとクリスの二人だけだった。
不満があるわけではない。てっきりモニカは来るものだとばかり思っていたため、少しばかり驚いただけで。
「モニカも残念がっていたよ。緊急で呼び出されたからこればかりは仕方ないけどね」
「……レイヴンは?」
「フラッド殿に呼ばれたらしいから、またお仕事が入ったんじゃないかな」
呼び出しなら仕方ない。
「ごめん、出発の前にちょっと手紙出してきていいかな?」
本当はここに来る前に出してくるつもりだったのだが、久しぶりに書く手紙の内容をああでもないこうでもないと悩んでいたら、待ち合わせの時刻が近づいてきて慌ててこちらに来た次第である。
「手紙?」
「うん、ちょっと姉さんに」
それだけでクリスは大体の事を察してくれたらしい。少々金額はかかるが特別緊急便で手紙を出す事にして、それから出発。
前回と違い、館へは少し遅くに到着した。
――館の中は前回来た時と特に何も変わってはいないようだった。
イリスたちが足を踏み入れると同時に明かりが灯され、そしてやはりかすかに磯の匂いがする。
恐らく匂いの元であるあの魚たちの姿は見当たらない。
「そういえば、ここの館について知ってる人がいたんだよね」
ふとワイズが言っていた言葉を思い出してしまったため、イリスはそんな事を口にしていた。
「ここを知ってる人、ですか……?」
「まぁ流石に誰も知らない、なんて事はないだろうから誰かしら知ってる人はいるだろうけど。噂になるようなものがないから話が広まったりしないだけで」
驚くアレクとは反対に、クリスは落ち着いていた。森の奥にある館の存在について知らなかったものの、だからといって誰も知らないかというとそうではない事くらい早々に理解していたのだろう。
「この館には狂人が棲んでいた、って言われたんだけどさ。今ちょっと変な事思い浮かんだんだけど、まさか魚人と狂人聞き間違えた、なんてオチがあったりはしないよね……? 森の奥の館に魚人がいるって時点で充分おかしいけど」
イリスのその言葉に、エントランスを進んでいた二人の足がぴたりと止まる。
「あれを魚人と呼んでいいのか正直かなり微妙なんですが」
「え? でも手とか足とかあったよね?」
「あれはただ魚に人の手足くっつけただけのような代物でしょう。本物の魚人はあんなのじゃありませんよ」
アレクは実在する魚人を見た事があるらしく、さっくりと否定してきた。しかしそれならこの館に出るあれは何と呼ぶべきなのだろうか。……モンスター? それはあまりにも呼び方が広範囲すぎやしないだろうか。
「過去形とはいえ狂人が棲んでいた、なんて話、それならそれで結構広まっていそうなんだけどそんな話は聞いた覚えがないなぁ。……まぁ王都の外だし広まったら広まったで厄介だから意図的に話を広めないようにした、って事もあるかもしれないけど」
「それはあるかも。この話してきた人も聞いたの子供の頃だった、って言ってたし」
「……それじゃあ、君のお姉さんはある意味厄介な館を譲り受けたかもしれないって事か」
しみじみと言われたその言葉に、イリスは否定できなかった。否定できそうな部分がまず見つからない。
「だからこそのお手紙ですよ。もう少し詳しく姉さんに聞いてみれば、何かわかるかもしれない」
……もっとも、姉の返事に期待できそうにないので、どちらかというとわからないかもしれない方が可能性としては高いのだが。
「この館の前の持ち主がわかりそうな痕跡がいくつかあるけど、肝心の尻尾を掴ませてくれるかどうかが問題だね。……あぁそうだ、来て早々だけど私はそこの部屋で休ませてもらう事にするよ」
そこの部屋、とクリスが指し示したのは前回来た時に鍵が開いていた、やたらと書類が散乱していた部屋だった。
「クリス……仮にも危険かもしれない館内での単独行動はいかがなものかと思いますが」
「そういうわけだからアレクはイリスと二人でこの館の中を探索しておいてくれ」
「任せて下さい!!」
「おいまて今アンタ単独行動に難色示した直後だろ手の平返す速度が早すぎるわ!!」
拳を胸にどんとあてて了承するアレクに、イリスは思わず裏拳で突っ込みを入れていた。
一体どういうつもりだとクリスを睨みつけるが、当の本人は柔和な笑みを浮かべている。……いっそまだ何か悪巧みしている感じの笑顔の方がマシだった。
「まぁそんなに心配しなくても。そこのドアは開けておくから何かあったら全力で叫ぶといい」
「叫んだらちゃんと助けに来てくれるんだろうね? あー、叫んでる叫んでるはははーとかって聞き流したりしない!?」
何かあったら、の何かがモンスターが出た時なのかアレクが奇行に走った場合かによって、イリスの身の危険度が大きく違ってくるのでかなり必死に食い下がる。
「流石に見捨てたりしないさ」
「……信じるよ、その言葉」
この館の中はそこまで暑くないので、以前のように暑さで意識が朦朧としておもむろにイリスの脚を切断しようというような事態にはならないと思いたいが……何かあった時にアレクを物理的に止める事ができる相手がすぐ近くにいないというのは少々心許ない。
思い返せば最初にロイ・クラッズの館を探索した時だって、大方マトモそうだったがちょっと足を怪我しただけで家までお姫様抱っこで送り届けるという所業をやらかしているのだ。暑さ寒さ関係なく、油断はできない。
何かあったら全力で殴ろう――そう心に決めて、イリスは仕方なく了承の意を示すべく頷いた。
何故だろうか、まだ何も開始していないはずなのに、既に気が重いのは。
部屋の前でクリスと別れる。言葉通りにクリスは一応部屋のドアは開け放した状態のまま中へと入っていった。
少しだけ気になってそっと覗いてみると、彼はどうやらそこかしこに散らばった紙を拾い上げてはそれらに目を通しているようだ。
「……えぇと、それじゃ行きましょうか」
流石にそこに入って一緒に調べる気はない。目が疲れる以前に頭痛がしそうだ。
そっと部屋から離れ、前回見つけた鍵を手にする。前回発見した鍵は二つ。どこの部屋に対応しているかは、鍵を見ただけではわからない。
鍵そのものは普通の鍵だった。姉から送られてきたこの館の玄関の鍵と見た目はそう変わらない。玄関の鍵だけは見分けがつくようにペンで小さく印をつけているため、間違う事はないが。
とりあえず手近な部屋から鍵が開くか試してみようという事になり、実行してみた結果、クリスが入っている部屋の左隣――エントランスを挟んだ隣の部屋が開いた。




