その情報はもう少し早く知りたかったです
王国歴1005年 夏 某月某日 晴れ
王都近くに存在する森の奥に館があるという話を姉の手紙で知り、確認しに行った翌日。
客層をしっかりと選びそうなカフェ店内で、イリスはフォーク片手に向かいに座るワイズを眺めていた。
月に一度の特別限定メニューを食べるための集まりである。
特別限定メニューが恋人限定、というある意味罰ゲームか嫌がらせでしかない代物ではあるものの、精神ダメ―ジを負って尚、食べる価値はあった。
「ん? どうした。……あぁ、そういう事か。ほら」
イリスが向ける視線をどう認識したのか、ワイズは自分のプレートに乗せられたミルフィーユを一口サイズに切るとそれをイリスに差し出した。躊躇う事なくそれを口にして、イリスは自分のプレートに乗っていたフルーツたっぷりのタルトをお返しとばかりに差し出す。
最初の頃は少し照れくさいと思っていた行為も、今ではすっかり慣れてしまった。……いや、思い返せば最初の頃も結構普通に食べ物のやり取りはしていたような気がするが。当時はまだイリスも小さかったし。
あまりにも淡々としたやり取りすぎて、周囲との温度差が激しい。
「そういえば英霊祭の時に『人喰いの館』の話、したじゃないか。あれ聞いて思い出したんだが」
「え? あぁ、うん」
言われてみれば英霊祭の時に、ワイズにはロイ・クラッズの館で起きた出来事について話しはした。
以前そこに足を運んだのを目撃されていたし、彼自身、心配して一緒について行こうかとも言ってくれていたのだが、その時は館内部にモンスターが出るとか色々不味い事もあって半ば誤魔化すようにして断ったのだが。
全てが終わったので一先ず簡単な事情は説明しておいたのだ。事細かに話すのは流石に問題があるだろうかと思ったので、祖父に話した程度にソフトにではあるが。
一応あまり事を大きくされると面倒な事になりそうだったので、口外はしないようにと前置いて。
あまり強くはないもののモンスターが棲みついていた、という部分で驚いたのか呆れたのかよくわからないリアクションをされたのだけは覚えている。
「以前ボクは『人喰いの館』には狂人が棲みついているとか言った事、あっただろ」
「うん、そういや言ってたね。『人喰いの館』とか『帰らずの館』とか言われて色んな噂はあったけど、それ初めて聞いてちょっとビックリした」
「すまない。あの話、やはり他の館と混同していた。狂人が棲みついていたのは、王都の外にある館の方だった」
「――え?」
「王都の近くに森があるだろ。薬草とか採れるからってんで結構色んな人が足を運んでるあの森。あの奥にある館の方だったんだよ。その話」
「王都の近くの森の奥……?」
何故だろう。凄く嫌な予感がする。
「あぁ、多分泉のあたりまでは人も行くけどその先はほぼ誰も立ち入らないだろうから、って事でほとんどの人は知らないんじゃないか? 館がある事自体」
「……えぇと、その館って、複数あったり、する……?」
「いや、流石にそこまでは知らないが……多分森の奥に館をぽんぽん建てるようなスペースはあまり無いんじゃないか?」
「……多分、だけど。その館昨日行った」
「っ!? 何だって……?」
イリスの問いに答えて紅茶を口に含んだ直後、まさかの館に行ってきた宣言で吹き出しそうになるのを堪え、聞き返す。かすかに引きつったイリスの表情から、それが嘘や冗談ではないと確信して。
「……一体何でまた……?」
かすかに咽つつそれだけ言うのがやっとだった。
「えぇと、その前に一つ訊きたいんだけど」
周囲を軽く見回して、イリスはかすかに身を伏せ声を潜める。別に聞かれて困る話というわけでもないが、おおっぴらにできる話でもない。
「ワイズは何でその館の事知ってるの? あの館の事、モニカとか騎士団長四人は一切知らなかったんだけど。グレン様とかが知ってた、とか?」
グレンが知っているのならば、モニカも知っていそうではあるが……話す程の重要性が無いと判断していればモニカがあの館の事を知らなくても不思議はない。
「いや。ボクがその館について聞いたのは随分昔の話だからな。元々あの森の奥に行く人間なんてほとんどいないだろうし、知っている人がいても話題にならないだけなんじゃないか?」
イリスと同じようにかすかに身を伏せて同じく声を潜めてワイズが答える。
「でも狂人が棲んでる、なんて噂だとしても結構広まりそうだけど……?」
「ボクが子供の頃に森の奥に館がある、なんて聞かされてちょっとした冒険気分で行こうとした時に言われた言葉だったからな。釘を刺す程度の話で、実際本当にそこに狂人とやらが棲んでいたかどうかは知らないんだ」
「あぁ、つまり、実際人を食べるかどうかはさておいて、モンスターに食べられちゃいますよ、みたいな脅し文句みたいなものだった、って事でいいの?」
「恐らくはそうだろうな。で、それを『人喰いの館』と混同して勘違いしていたようだ」
誰からそれを聞いたのか、という部分も気にはなったが、ワイズの方も子供の頃に聞かされた話としてあまり細かく覚えていないようだし、これ以上突っ込んでも詳しい情報は得られないだろう。
モニカ達が知らなかったという事は、少なくともその館の話が出た事があるのは彼らが騎士団長になる以前、下手をしたら騎士になる前の話である可能性が高い。
森の奥に館が存在する、という話を知っているのはそう考えるとイリスの両親くらいの世代か、もしくはそれより上の年代の者くらいなのだろう。
……いちいち森の奥に館があるなんて話をして子供たちが無謀な冒険心を働かせるくらいなら、黙っておくというのも一つの手なのかもしれない。わざわざ館があるなんて話をされなければ、あんな森の奥に行ってみようなどとは流石に思えないだろうし。
「それで、一体どうしてその館に行くなんて事になったんだ……?」
イリスの方の疑問はある程度解消されたが、当然ながらワイズにとってはそうではなく。
「えーと実は……」
少々言葉を選びながらも、イリスはその館に行く事になった経緯を説明した。
「……それ、面倒な物件押し付けられただけなんじゃないか?」
「デスヨネー」
一通りの説明を聞いて、ワイズが呆れたように呟く。
「で、その館の前の持ち主ってのは?」
「知らない」
「……まぁ、そんな場所にあるようじゃ売り払うにも売れないだろうし、前の持ち主からしたら万々歳ってところなんじゃないか? 館に残ってる調度品好きなようにしていいとはいえ、恐らく二束三文だろうしな。館まるごと処分するのにかかる費用に比べたら」
「最終的に上手い事どうにかできればいいなとは思ってるけど……」
「けど? 何だよ」
「一筋縄じゃいかなさそうなんだよね」
話すべきか悩んだ末、イリスはあの館の中で見かけた魚人(でいいのだろうか?)についても話す事にした。
話を聞くにつれ、ワイズはこめかみのあたりを手で押さえる。
「……団長が一緒にいるっていうなら問題無いとは思いたいが……ちょっとその館について何か他にわかったらボクにも教えてくれないか。ボクの方もちょっとその館について知っていそうな奴に聞いてみる」
「えぇと……」
「心配するな。グレン団長には言わないし、話が周囲に広がるようなヘマはしない」
「うん……そうしてくれると助かるよ」
「そこら辺は上手くやるさ。それじゃ、そろそろここの空気も居た堪れなくなってきたしさっさと食べて出るとしようか」
その言葉にイリスは静かに頷いて、プレートの上に残っているタルトに手をつける。
ワイズと別れた帰り道、少し考えた末にイリスはレターセットを購入し、姉に手紙を書く事を決めた。
返事が無事にやってくるかは定かではないが。




