不思議な何かがいるようです
この館に足を踏み入れた時にも磯の香りがしていたが、この部屋は更にその匂いがきつかった。
ぐるりと室内を見回してみる。
「……何が原因なのこの匂い」
強い潮の香り、とギリギリ表現できる匂いではあるが、これ以上この匂いがきつくなるのは少々勘弁願いたい。この匂いがこれ以上きつくなったとしたら明らかに市場の魚売ってるあたりと同じ匂いになる。つまりは、生臭くなってくる。そんな中宝探しなど正直あまりやりたくない。
室内にあったのは、大きめのテーブルと椅子。壁際に小さめの本棚。座り心地の良さそうなソファ。別の棚にはワインが並べられていた。
他にも色々あるが、匂いの原因らしき物はどこにも見当たらない。
「誰かの部屋、というよりは休憩室のような造りですわね」
「使用人用の休憩室と考えると少々豪華な気がするけどね……」
壁に飾られた絵画を眺め、クリスが小さく呟いた。
「……この部屋がどういう部屋かはさておき、鍵がありますね。テーブルの上に」
探すどころかわかりやすい程無造作にテーブルの上に置かれた鍵。分散した、と書かれていた手紙からして鍵もそこかしこに隠されているものだと思っていたが、全部の鍵をわかりにくい場所に隠したというわけでもなさそうだ。
これ以外の鍵は全部巧妙に隠されてしまっている可能性も否定できないが。
テーブルの上の鍵を手に取ったアレクが、テーブルの上にやはり無造作に放置されたままのトランプへと目を向ける。トランプの中に一枚、同じサイズの白い紙が紛れていた。
「『この泥棒猫』……?」
そこに書かれていた文字を読み上げて。
「アレクの口から下手したら生涯出てこないような言葉が出てきましたわね」
「というか、それは普通一部の女性が口にする事はあっても男が言う言葉じゃないだろう」
「そうだな。たまに聞く事はあるが言うのは大抵女性だな」
「えっ、たまに聞く事あるのレイヴン。……じゃなくて、それ、誰に向けてのメッセージなんだろ。……まさか姉さん宛って事はないよねぇ……?」
イリスの脳内で、瞬時に元々この館を相続するはずだった相手が実はいてその人物から姉に向けた恨みの手紙とかそんなものが想像される。
とはいえ、こんな森の奥の館なんぞ相続したところで住むには不便だし、売り払うにしても立地条件的に売れるかどうかも疑わしい館だ。どうせ相続するならもっと他のマシな物を寄越せと言った方が手っ取り早いだろう。
「違うんじゃないかな。さっきそっちの額縁の裏側とか確認してみたけど、そっちにもいくつかこんな感じの紙があったから」
「あぁ、恐らくではあるが先程の部屋で見た人物のうちの誰かが恋人関係にあって、人間関係に少々問題がある……という設定か、それとも実際にそうだったかだろう」
いつの間に部屋の中を調べていたのか、レイヴンが発見した紙をいくつか見せてくる。
『全く、おちおち二人きりにもなれやしない。主任には拾ってもらった恩があるが、こればっかりはどうにかならなかったのか』
『仕方ないわ。まぁ、これはこれでスリルがあっていいじゃない、ね?』
『あの二人仕事サボって抜け出すの勘弁して欲しいわー。あれでばれてないとか思ってるんだからおめでたいものだわー』
『気付いてないの主任くらいだろうね。もう年なのもあって』
「人間関係に少々問題がある以前の問題な気がします」
噂話好きなおば様方がわくわくしそうな内容ではあるが、正直そういう事情はあまり知りたくなかった。
余興のための作り話ならいいのだが、仮に作り話にしてもわざわざこんなの考えたのか……この館の前の持ち主、と考えるとどっちにしろ微妙な気分になる。
「ま、傍で見てる分には面白い見世物なんだろうけどね」
「クリスなら見てるだけじゃ飽き足らず裏でこっそり火に油注いで事態を引っ掻き回すくらいの事はやってそうだよね」
「ははは、否定はしないよ」
そこは嘘でも否定して欲しかったが、否定してもそれはそれで嘘にしか聞こえないのでこれでよかったのだろう。
「イリス、鍵をもう一つ発見しましたわ」
ワインが置かれていた棚のあたりを見ていたモニカがそう言って鍵を持ってきた。
「そっか、鍵を分散したって書いてはいたけど、一部屋に一つしか鍵を隠してないとは限らないんだね。……となるとまだこの部屋にあるかもしれないのか……」
一部屋に一つ鍵があるならまだしも、逆にあると見せかけて鍵がない部屋もあるかもしれない、という事か。
先程の部屋がそのパターンだったとしたら、後回しにして正解だったと言えるだろう。あるかもしれない以上は、いずれ探さないといけないわけだが。
一通り調べてみたが、この部屋にはこれ以上鍵は無いようだった。
秘密の手紙のやり取りらしき紙はいくつか発見されたが、それは見なかった事にしておく。
「それじゃ、次はこの鍵で開く部屋を探……」
アレクとモニカから鍵を受け取ったイリスだったが、提案しようとした言葉が途中で止まる。
「どうしましたの、イリス」
不自然な部分で止まった言葉に、モニカが怪訝そうに眉を寄せた。
イリスと向き合うようにして立っている四人の背後、その先はこの部屋のドアが見える。
ちなみに入った時にちゃんと閉めていなかったのか、半分ほど開いているため廊下も少しだがイリスからは見えていたのだが……
そこに、縦に細長い白いものが立っていた。
一体あれは何だろう? 疑問に思いそれをじっと凝視する。
細長く白いそれは、更によく見てみると手足が生えていた。白い部分とは違い肌色のそれは、どう見ても人間の手足である。
「……?」
無言のまま自分達の背後を凝視するイリスを不思議に思いつつも、最初に振り向いたのはモニカだった。
「……えっ」
どうやらモニカにもそれが見えたらしい。イリスだけが見た幻覚、というオチは消えた。
モニカの思わず漏らした声に驚いたのか、その白いのはびくりと身体を跳ねさせると一瞬のうちに消えた。慌ててモニカが廊下の方へと駆け出す。
「あの、一体どうしたんですか?」
振り向くのが僅かに遅かったらしい三人には、今の物体は見えなかったようだ。中途半端に開いていたドアを全開にして廊下へと飛び出したモニカだが、謎の物体の姿はもうどこにも見えなかったのか左右を何度かきょろきょろと確認した後、戻ってきた。
「一体どうしたも何も。アレクたちは今の見てなかったんですの?」
「え? えぇ、すみません。特に何の気配も感じなかったものですから」
「モニカ、一体何を見たんだ?」
「白っぽい何か……としか言いようがありませんわね」
「人、だったのかなぁ。手と足が見えたんだよね。ただ、頭はわからなかったけど」
人、という部分に姿を見る事ができなかった三人が一瞬反応したが、あれは本当に人だったのかと言うモニカの言葉と、それに同調するようなイリスの態度にそれぞれ首を傾げたり怪訝そうな表情を浮かべたりする。見たのはある意味一瞬だったため、イリスとモニカが見た部分だけをとにかく説明する。
「細長くて白い物体の横から人の手足が見えた……けど、頭は無かったと。誰かが驚かすのにシーツかぶってオバケの真似をしたとかそういう感じの外見でいいのかい?」
「違うよクリス、誰かがシーツかぶった状態だっていうなら、細長くなんかならないよ。もっとこう、ぶわーってなるじゃないか。そうじゃなくて、本当に細かったの。シュッとしてたの。で、その横から手と足が生えてたの。頭がありそうな場所も細くて……とにかく、シーツかぶったっていうような感じじゃなかったよ」
「シーツかぶって誰か驚かそうとしてる時に何かの拍子で死んで首がもげた幽霊とかじゃないの?」
「夏だからって無理矢理怪談オチにしようとしないで!? ってかそれはそれで怖いけど、それじゃあこの館幽霊出るって事になるよね!?」
「いい加減な事言わないで下さいまし、クリス。もしその状態で首がもげて死んだというのなら、シーツらしき物体には血がついて白どころか斑状に赤い汚れがついているはずです」
「いやそういう事じゃなくてさモニカ……」
突っ込むべき部分がどこかずれているモニカに、イリスはがくりと項垂れた。クリスの方は恐らく冗談で言っているだけだろうとわかるので、深く突っ込む必要はないだろう。
「……幽霊の方がいいと思うんだけどね。この場合」
「それは……一体どういう意味で?」
アレクの問いに小さく溜息を零し、だってよく考えてごらんよ、と前置きして。
「仮に生きてる人間だったとして、それじゃあ今のは誰だって話だよね。前の館の持ち主が余興の為に雇った人物、と考えるのが無難だろうけど、アイリスがこの館に来るのがいつになるかわからない中で待ち続けたりするものかね? 予備の鍵を持っていたとして、館の持ち主は現在アイリスだと考えるとこの館で待機する人間はそう簡単に館の外に出る事もできなくなるだろうね。いつ来るかもわからない人物を待つ間に食料が尽きる可能性だってある。万一王都に食料を買いに行っている間にアイリスがこの館にやってきたら、色々と台無しだ。
では次に考えられるのはアイリスが雇った人物。彼女は館を譲り受けイリスをここに向かわせるよう手紙を出している。一応彼女も館の中をさらっと確認した、と手紙にはあったから、前の持ち主の余興に乗っかる形で……という事も考えられなくはない。前の持ち主の考えた余興そのものがアイリスが考えたイリス宛の余興であるという可能性も出てくるけどね。
むしろアイリスの方がイリスがここに来るであろう時期をある程度見据える事ができる分、人を雇うのは容易いだろう。
けど、どっちにしても驚かすために雇った人材っていう線は無理が出てくるんだよ。いつ来るかもわからない相手のためにこんな生活に不便な館で数日過ごそうっていう相手、そういないだろうし仮にその人材を雇うべくどこかで募集をかけるようならこの館の存在がもっと噂になっていてもいい。けれど、この館の事は騎士団長である我々の耳には入ってこなかった。
では、その次に考えられるのは、何かの拍子に忍び込んでここを根城にしている犯罪者の類。まぁそれならそれで一番楽なんだけどね。けどそれも微妙だろうね。仮に驚かして逃げ帰ってもらおうとするにしても、そうなればこの館の話が王都で広まるだろうしそうなれば最悪騎士団が調査に踏み込む事だってあるかもしれない。
ならばここで始末するのが一番だろうけど、その場合わざわざ堂々と姿を見せるような真似はしないだろう。
それでなくともこちらは五人いるわけだし。自分の実力に自信があったとしても、こっちはいかにも騎士ですって風貌の野郎が三人いるんだから、むざむざ姿を人前に晒すなんて事余程の馬鹿でもない限りしないだろうね。
館には鍵がかかっていたのだから、うっかり迷い込むって線もない。道に迷った旅人なんてまずないだろう。
そうやって色々考えてくと、生きてる人間よりは幽霊説のがマシに思えてこないかい?」
「長々と言ってはいるが要するに、幽霊相手なら術ぶちかませば済む話だけど人間だったら色々事情も聞かないといけないから面倒くさい、という事でいいのか?」
クリスが言った事を一つ一つ脳内で整理しているイリスだったが、そんな事する必要ないとでも言いたげにレイヴンが頭に手をポンと乗せクリスの話を要約する。
「まぁそうだね。おっと、何も面倒なのは私だけじゃない。もし何か事件が起きた場合、この館に来ているイリスは勿論、この館の所有者でもあるアイリスにだって言える事だよ。調書だなんだって取る事になるだろうからね」
「……うん、とにかく面倒な事になるかもしれないってのはわかったから、今見たのはとりあえず幽霊かもしれないって事にしとこうか」
本当なら真実を追究するべきなのかもしれないが、今のクリスの言葉で恐ろしく面倒な予感しかしなくなったため、イリスは考えるのを止めた。仮に人だったとしても、館の中を探索していけばそのうちどこかでばったり遭遇するだろう。なるようになるさ、というある意味丸投げな結論である。




