今年の夏の予定ですか? はい、出かける予定ですよ
先程立ち去った騎士二人が「公園ヤバい。今ホント行かない方がいい」と言ったかどうかは知らないが、ふと気付けば噴水周辺からはほとんどの人がいなくなっていた。見かけるのは相変わらず元気よく遊びまわる子供たちくらいである。
「イリス、お久しぶりですわー」
モニカがもうこんな重苦しい空気嫌だと言いたげに、救いを求めるようにイリスへと抱き着く。普段あまりこういった行動に出ないモニカに内心驚きつつも抱きしめ返す。
「……イリス……?」
俯いていて表情はわからなかったアレクがイリスの名に反応して、ゆるゆると顔を上げた。
「えぇと……お久しぶり、です?」
遠目で見た時から背中に水飛沫かかってるんじゃないかなーと思っていたが、近くで見ると背中というかマントが完全に噴水に浸かっていた。指摘するべきなのか悩んだ末、見なかった事にする。恐らくは既にモニカあたりが指摘しているはずだ。多分、きっと。
迷子になっていた子供がようやく親と会えたような、そんな安堵に満ちた表情を浮かべられてこっちを見られても事情が把握できていないイリスは困惑するしかない。一体何がどうなっているのか。レイヴンに聞いても彼もわからないと言っていたし、そうなるとモニカかアレクのどちらかに聞くしかないのだが。クリスに聞くのは何というかいらん厄介事ももれなくついてきそうなのでセルフ却下した。
とりあえずモニカに聞くのが最も無難な気がして、モニカに一体何事? と問いかける。けれどモニカは気まずそうにそっと視線を逸らし、イリスから離れた。
「あー、気にしなくていいと思うぞ。単純にこいつが振られて落ち込んでるだけだから。イリスに」
「は!?」
あっけらかんとした口調で言うクリスに、何がなんだかわからず思わずそちらへと視線を向けた。クリスの表情は大変楽しそうではあるが、
「振られても何も……え? 何の話? 私身に覚えがないんだけど同じ名前の別の人の話?」
イリスをからかうための嘘なのか、それとも本当の事なのか区別がつかなかった。
「いや、英霊祭の話」
「英霊祭……」
クリスの言葉を復唱するようにその単語を口にして。
そういえばアレクに夕方少しだけ時間がとれたから一緒に見て回らないか、と誘われた事を思い出す。友人と一緒に行く約束してるので、と即断ったが。……それでこれだけ落ち込んでいるというのだろうか? そんな馬鹿な。
英霊祭は前半は厳かに行われているが、後半は完全にただのお祭りだ。そして前半は言うまでもなく騎士のほとんどが駆り出されるため自由時間はほとんどなく、後半も人が集まる分警備に人員を割かなければならないので警備する場所や所属によってはほぼ自由などない事もある――というのは一般騎士の話であって、団長ともなると最初から最後までほぼ拘束されると言ってもいい。
ほんの少し自由時間ができる事もあるが、本当に少しの間だけだ。自由時間というよりは休憩時間と言うべきだと思うのです、と以前モニカが零していた。
友人とはいうものの、イリスはモニカと英霊祭を一緒に見て回った事はない。お互い気を遣いそうというか、確実に気遣いしまくるのが目に見えているからだ。
だからこそアレクの誘いを断った事に関しても、ある意味当然だと思っていた。
既に先約があると断った時、アレクの方もどちらかというと断られるの前提で話をしていたように思っていたのでここまで引きずっているとは思うはずもなく。本音と建前があるのは知っているが、それにしたってここまで落ち込むものだろうか?
「イリス……その、英霊祭で一緒に行動をした方というのがその……友人ではなく恋人という事は」
「は?」
何言ってるんだお前、という言葉が口をついて出そうになるが、それは咄嗟に飲み込む。
「イリス、正直に仰って下さい。わたくし心の準備はできてますから」
「え? モニカ、ちょっと意味わかんないから落ち着こうか」
アレクとモニカが一体何を言っているのか即座に理解できなかった。もしかしてこの二人、暑さで頭やられたんじゃないだろうかと失礼極まりない事を考えてしまうのは仕方のない事だろう。
恋人。残念ながらイリスにそんな甘ったるい関係の相手はいない。
恋人、という点は一先ず置いて思い返してみる。
「……ワイズの事なら恋人違うよ?」
かれこれ数年ワイズと一緒に英霊祭を見て回ったりしてはいるが、屋台を制覇するという目的を持って共に行動しているだけなのでそれを恋人扱いされるのは何とも微妙な話である。
「……変な事吹き込むの止めてくれる? クリス」
「ははは、バレたか」
「バレないと本気で思ってたなら頭ちょっと診てもらった方がいいと思うよ」
「……どういう事ですの?」
「まんまとクリスに騙されたって事だよ」
そういや英霊祭の時、ワイズと一緒に行動していたのだが途中人の波におされて一時的ではあるがはぐれてしまい、その時たまたま警備していたクリスと遭遇、おや一人なのかい? と問われ友人とはぐれたと答えた記憶がある。その時に友人が男かどうかを聞かれ素直に答えたのだが……まさかそれがこれに繋がったという事か。
ちなみにクリスと別れた直後にワイズとは無事合流できたしその後も屋台巡りを満喫した。
「なあんだ、そうでしたの。クリスったら後でおぼえてらっしゃい」
「おやおや、普段の私の言動を思い返してみればすぐにわかりそうな事だというのに、あっさり引っ掛かっておいて何を今更」
あははうふふとにこやかに笑いあう二人は傍から見れば微笑ましいが、いかんせん何か黒いものが滲み出ている気がしてならない。
不穏な気配を察知したのか、近くの木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び去っていった。
「……なんだ、そうだったんですか。僕はてっきり……」
先程までこの世の終わりを見たような表情を浮かべていたアレクが、ほっとしたように呟く。
「憂さ晴らしに一人モンスターの巣窟へ足を運んでついでにちょっと殲滅してみたりしたけどどうにも気分が晴れなくていっそ相手を社会的に抹殺してしまおうかとさえ考えていたのですが」
「おいまて今何かさらっととんでもない事口走ったぞこの人」
モンスターの巣窟って憂さ晴らしに足を運ぶものだったっけ……? それ以前に恋人がいたら社会的に抹殺されるところだったのか。一体何の権利があってそんな事を。
騎士団長ともなれば忙しくて恋人作る余裕もなさそうだし、仮にできてもどこかに出かけたりなんて事もできなさそうとはいえ、八つ当たりという範囲を軽く超えていると思う。
さらりととんでもない事を口走ったアレクから距離を取るように、近くにいたレイヴンの背後へと隠れようとして。
「あっつ! レイヴン暑くないの!?」
掴んだ服が恐ろしく熱をもっていた。レイヴンの表情だけを見ていると涼しげなのだが、制服は黒いため熱をどんどん吸収しているらしく、これが服じゃなく金属なら――鎧あたりであったなら今頃はフライパンの代わりになっているかもしれないとさえ思う。
「暑いが、慣れた」
「あぁ、うん、そうだったね……」
レイヴンが漆黒騎士団に入ってからもう何年経過しているというのか。そうだ、去年もその前も、夏だろうと冬だろうとレイヴンはずっとこの制服なのだから、そりゃ慣れもするか。そう頭では理解するものの、何となく納得がいかない。
ちらりとクリスの方を見やる。黒ほどではないが、赤もそういや熱を吸収しやすいんじゃなかったっけか。
イリスが思った事を素晴らしく的確に読み取ったのだろう。にこやかな笑みを浮かべ手招きをする。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「まぁまぁ。悪いようにはしないから」
正直近づくとロクな目に遭わないと思うのだが行かなきゃ行かないで余計面倒な事になりそうなので、イリスはしぶしぶクリスへと近づいた。
顔を顰めるイリスにクリスは相変わらずの笑みを浮かべ言うなり抱き着いてくる。
「うわ……あれ? 熱くない。むしろ涼しい……何で?」
「そりゃまぁ、服に氷系の術をアレンジしてかけてどんな猛暑でも快適に過ごせるようにしてあるからね」
「おぉ……ひんやりして気持ちいい……」
イリスとしては正直このままクリスに引っ付いていた方が快適だし、しばらくこのままでいいかなーと気楽に考えていたのだが、モニカに強制的に引き剥がされたため快適だったのはほんの一瞬だった。
「ところでイリス、最近のご予定をお聞きしてもよろしいかしら?」
「予定?」
「えぇ。どこかの誰かさんが討伐しに行くはずだったモンスターを一足先に殲滅させてしまいましたので、騎士団全体が現在少々時間に余裕ができましたの。イリスさえよろしければ、一緒にお出かけしませんか?」
キラキラした表情で言ってくるモニカは、先程クリスから引き剥がした時と表情が違いすぎてさっきのあれは別人だったんじゃないかとさえ思える。
しかし流石にそれを指摘するのも酷な話だろう。イリスはそっと目の前の現実から意識を逸らした。
「お出かけ……予定……あ!」
モニカの言葉を繰り返すように口にして、思い出す。
「そういや近いうちに私外に行こうと思ってるんだよね」
「――え?」
イリスにしてみればそれは世間話の一つだったのだが、その言葉にモニカが固まる。
「……あれ?」
モニカが固まって、そこで不穏な何かを感じ取ったのかイリスが他の三名へと視線を向けた。
「そんな……外って……」
「何かあったのか?」
「外、ねぇ……?」
三者三様ではあるものの、彼らの反応もモニカに近いものがあった。
あ、これ話すタイミング間違えた。イリスが理解した時には既に手遅れだった。




