サイズだけならマスコットと言い張れますが、流石に認められません
――レイヴンと出会ったのは今から五年ほど前の事だ。
彼はその頃には既に漆黒騎士団の団長になっていた。最年少だとかそんな話を聞いた気がする。
公園の茂みに隠れるようにして横たわっていたのを見つけたのが最初の出会いだっただろうか。顔色も悪くぐったりしていたので、酷く驚いた事だけは覚えている。
誰か人を呼んでこようとしたイリスに、レイヴンはただの寝不足だから……と言っていた。
寝るなら家で寝ろと言ったものの、彼はそれには答えなかった。
その後も何度か遭遇し、そのたび声をかけていくうちに彼はイリスに色々と話すようになった。
元はただの平民である事。家族を亡くしフォレストシープ家に養子として迎えられた事。フォレストシープ家が代々漆黒騎士団の団長を務めている事。
名前から白銀騎士団と対になっているように聞こえるが実際は黄金騎士団の影にあたる立場である事。騎士団の中で唯一暗殺などを行う事。
妹が生きていたならイリスと同じ年であった事。
黙っていればいいような事も、彼はイリスに話した。そうして、だからこそ関わらない方がいい、と。
はて、その時自分は何とこたえただろうか。こうして今も関わっているのだから、関わらないという言葉ではなかったはずだが……
廊下を小走りで移動する。幸いな事に廊下には何の姿も見受けられない。隣の部屋に行くだけだが、それでもイリス一人では小型のボギーならともかく中型のボギーをどうにかできる気がしないため、周囲に何の姿も見えないというのはある意味安心だ。以前来た時に隣の部屋の鍵はかけずにそのままにしておいた。だからこそイリスはそのままノブの手をかけて開けようとしたのだが。
「……開かない……!?」
内心焦りつつも、鍵を取り出す。鍵をあけて今度こそドアを開けようとして。
キィッ……と、音がしたのは背後からだった。
反射的に振り返る。
「……え?」
ドアが開いていた。まだイリスたちが足を踏み入れていない、鍵も入手していないため開ける事のできない部屋のドアが。
開いたのが今、そして廊下にはイリス以外の姿はない。となると中から誰かが開けた事になる。……誰が?
ボギー……だろうか。あれはこの館の中を掃除したり修繕したりしているのだから、鍵の一つや二つ使うくらいの事はできるだろう。鍵を持っていなくともどうやってか部屋の中に入り込むのだから、内側から鍵をあけてドアを開けるくらいは容易い。
しかし、では何故今そのドアを……?
罠、かもしれない。けれど、今ならこちらは鍵を持っていなくてもあの部屋に入る事ができる。しかしレイヴンを放置しておくわけにもいかない。
「……こっちじゃ」
イリスが悩んでいる間に、部屋の中から声がかけられた。しわがれた、低い声。背後で開いたドア。そこから見える室内は薄暗く、中に誰がいるのかはわからないが声からして老人だろうか……
老人……まさかロイ――いや、それは有り得ない。彼は数年前に死んだはずだ。この館にいるのはイリスとレイヴンと、あとはボギーや他のモンスター。他に人がいるだろうか?
……いや、一人だけ、Wと名乗る人物ならば襲われる事もなくこの館にいてもおかしくはない。
悩んだ時間は恐らく数秒にも満たないだろう。けれどもその短い時間がイリスには恐ろしく長く感じられた。
悩んで、悩んだ末に。
イリスはその部屋に足を踏み入れた。
「――ただいまレイヴン、無事!?」
ドアを勢いよく開け放って飛び込んできたイリスに、レイヴンは視線を向けつつ片手を上げた。相変わらず出血は止まっていないが、意識はしっかりしているようだ。
「これ、解毒剤らしいんだけどホントに使って大丈夫かな!? あと包帯」
「解毒……包帯、って隣の部屋にそんなものは無かったんじゃ……」
「話はあと。とりあえずこっちの解毒剤ホントに安全? レイヴン見分けとか区別とかつく?」
「……あぁ、一応大丈夫そうだが……」
「そっか、ホントに解毒剤なんだね」
安堵の息を漏らすイリスから、解毒剤の入った瓶と包帯を受け取る。
それ程時間が経過したわけでもないがそれでもそこそこ出血していたらしく、少々くらくらするもののこの程度ならどうにでもなるだろう。そう判断してレイヴンは立ち上がる。イリスを庇うべく手放して床に転がったままの双剣を拾い上げ、解毒剤が入っていた瓶を見つめていたイリスを見やる。
「一体何があった?」
「レイヴン、大丈夫? まだ休む?」
「いや、この程度なら問題ない」
その言葉にイリスはじっと探るようにレイヴンを見ていたが、あまりにも平然としているので言葉通り大丈夫だと判断したのだろう。瓶を両手でしっかりと握り締め、
「私達がまだ鍵見つけてなくて入れない部屋が開いて、そこに誰かがいた。その誰かが、この解毒剤と包帯くれたんだよね……」
どう説明していいものかわからず、といった風に口を開く。
「誰か……?」
「部屋の中暗くて、見えなくて。ドアが開いてたすぐの場所に解毒剤と包帯が置かれてたの」
「……いや、まぁ済んだ事か」
「レイヴンが言いたい事は何となくわかってる。私もすごく悩んだよ。罠かもしれないって」
「誰か、というのは?」
「声がしたから。この館に人なんているはずないとは思ったけど、一人だけ、Wならもしかしたら……って」
確かにイリスの言う通り、この館に何の関係もない人間がまだ自分達の入れない部屋のドアを開けて、というよりはWがと言われた方が納得はできる。
「行って、確認したい」
「うん……もしWだとして、まだいるかどうかわかんないけど。でも声からしておじいさんっぽかったし、いなくてもまだそんな遠くには行ってない、はず」
この部屋でこれ以上鍵を探すよりも、まずは先にそちらへ行くべきだろう。既にドアが閉まり施錠されている可能性もあるが、その時はここに戻ってきてくまなく探せばいいだけの話だ。
そう考えて二人は廊下へと出る。
もしかしたら既に何事もなかったかのようにドアが閉められているかもしれない、とも思っていたがドアはまだ開いたままだった。
「あ、明かりついてる」
ドアが開いた隙間から煌々と明かりが漏れ出しているのを見て、イリスが声を上げた。中に誰かがいたとして、わざわざ明かりをつけてから出て行ったりはしないだろう。となるとイリスが聞いた声の主がまだそこにいる可能性が高い。
そっと中を覗き込んでみる。
少なくとも誰かがいるようには見えなかった。見えたのは、一定の間隔で並んでいる棚。槍やボウガンなどが仕掛けられているようにも見えない。
既にイリスが部屋に入っている以上、罠はないかもしれないがそれでも警戒を怠る事なくレイヴンが足を踏み入れる。少し遅れて、イリスが続いた。
「――ふむ、お若いの。怪我のほうはもう大丈夫そうじゃのう」
「っ!?」
先程イリスが聞いた声と全く同じ声。反射的に声がした方へ向き直ったレイヴンの視界には、誰の姿も映らなかった。棚の影に隠れているのだろうか。警戒しているレイヴンに、声の主は何を思ったのだろうか。かすかな忍び笑いが聞こえた。
「こっちじゃこっち。もう少し上じゃよ」
上、と言われて視線を上へと移動させる。
「……は」
「って、えぇー」
この館に誰かいるとするなら、Wと名乗る男だろうと思っていた。いたのだが……
予想を裏切ってそこにいたのは、小型のボギーだった。今まで見てきたボギーと違うのは、顎から白い髭が伸びて顔に皺が刻まれているといった点だろうか。
棚の上に腰をかけて「こっちじゃこっち」と言いつつ片手を上げる老ボギーは、飄々とイリスたちを見下ろしている。
「え、何、なんで喋ってんの……?」
今まで出てきたボギーのどれもこれもがギーギー鳴くだけだったのに、何でこいつだけ喋ってるんだろうか。イリスの最もな疑問に対して、老ボギーは顎髭を撫で付けつつほっほと笑うだけだった。




