代わりにはなれないしなりません
最初、この部屋で槍が降ってきた時に天井を見たが天井全体を見たわけではなかったものの、特に何かがいるような感じはなかったように思う。そんなに広い部屋じゃないため、天井の一部を見上げて何か異常があれば恐らくは気付いたはずだ。
しかしこの物体は上から降ってきた。巧妙に姿を隠す能力でもあるのだろうか……と思いはしたものの、既に事切れている以上深く考察する必要もないだろう。仮に姿を消す能力があったとして、出てきたのは死ぬ間際でその能力を維持できなくなったとか、そんなところなのかもしれない。
以前モニカと来た時に見たこの種類のモンスターは赤ん坊程の大きさだったが、これはそれと比べると二回り程大きいように思う。これが仮に寿命を迎えたのだとすると、この種族はあまり大きくなる事はないようだ。だから何だという話ではあるが。
けれど、本当に寿命だろうか?
ベッドの下のケース。そしてボギー。
ケースから出てきたのがボギーでこのモンスターは最初からこの部屋に潜んでいたというのなら寿命説も有りだろう。しかしイリスはそう思えなかった。あのケースから出てきたのはこっちの方なんじゃないだろうか。
「レイヴン、念の為それ切り刻むか燃やすか凍らせるかしといた方がいいかもしれないよ……?」
言ってから、そういやレイヴンは炎系の魔術は使えなかったんだっけ、と思い出す。燃やすとなると廊下の燭台から蝋燭を持ってきて……いや、流石にそれだけじゃ火力が弱すぎる。他の方法を素直に選ぶべきだろう。
「イリス、そこの槍を」
「あ、あぁ、そっか」
部屋の隅に放置していた槍を使えばいいという事実に、今更のように気付く。先程降ってきた槍を使えばこちらの武器が駄目になる事もない。
「ところでレイヴンて槍使えるの?」
「一通りは叩き込まれた」
「一通り」
「あぁ」
「それじゃあ棍棒とかも?」
「何故そこで棍棒が出てくる?」
「あ、あー、いや、気にしないで」
何となく前回来た時の事を思い出してふと言ってみただけだが、レイヴンはそこまでの事は聞いていなかったようだ。クリスもわざわざ棍棒の種類を事細かに話したりはせず、武器持って襲い掛かってきたとかで済ませたのだろう。レイヴンは心底意味がわからないといった顔をしている。
わざわざ説明する程の事でもないし、イリスは深く突っ込んでこないレイヴンにこれ幸いとばかりに胸を撫で下ろした。
槍をいくつか抱えてレイヴンの方へ行こうとして――
ぴしり。
何かが割れたような音。反射的に足を止めた。
部屋の窓だろうか、と視線をそちらに向けたが窓にはヒビ一つない。
一体何だったんだろう、と思った矢先に今度はこちらに駆けてきたレイヴンによって抱えられそのまま部屋の隅まで勢いよく吹っ飛ぶ羽目になった。
「ちょっ、何事!?」
レイヴンが下敷きになりクッションがわりになったためイリスにダメージはない。とはいえ、いきなりすぎて抱えてた槍は全て落としてしまった。
「なるべく離れてろ」
すぐさま身を起こしたレイヴンがそれだけ言うと、鞘から剣を抜く。
「離れろったって……うわぁ」
一体どこに離れろと……という言葉は続かなかった。少し遅れて身を起こしたイリスが目にしたものは、ベッドの上で咲き誇る一輪の花だった。野山に咲くような普通の花と違い、天井に届きそうな程の大きさではあるが。
ベッドの上で事切れた先程のモンスターから生えているという事に気付いたのはその直後の事だ。
そこから生えている植物もモンスターなのだろう。普通の植物なら斬りかかろうとしているレイヴンと触手で応戦したりしない。
触手についた棘やら葉の形から薔薇のように見え、そして花の部分は毒々しいまでの赤い色をしていたが、
「何故……たんぽぽ……」
恐らくこれもWが創り上げたモンスターの一種なのだろう。しかし何を思ってこんなのを創ったというのか。いやもう最初から最後まで薔薇でいいんじゃないか? そんな風に思ってしまう。
触手がかすったためかレイヴンに多少の傷はあったものの、致命傷になりそうな怪我はしていないようだ。氷の術で触手を部分的に凍らせてそこを砕くという戦法をとっているため、うぞうぞと蠢いていた触手の数も大分減った。勝負がつくのは間もなくの事だろう。
Wが創ったであろうモンスターだし、花という事もあって花粉のようなものをばさばさ撒き散らしてしかもそれが毒でした、なんてオチがありそうだとは思ったがそれはイリスの考えすぎだったようだ。色は毒々しいものの流石にたんぽぽから花粉が飛ぶというのは無理があるのかもしれない。
そうして触手があと一つとなった時、攻撃を食らったわけでもないのにレイヴンの身体がぐらりと揺れた。
「レイヴン!?」
思わず声を上げる。その声が原因だったのか、残った触手がこちらへと伸びる。壁ぎりぎりまで下がって逃げようとしても、触手の長さ的に逃げ切れない――そう判断してイリスは近くに転がっていた槍を手に取ろうとして、
「エレン!!」
カランと何かが落ちる音と、レイヴンの悲鳴じみた叫び声と。
その後の事はイリスにはよくわからなかった。
驚異的なスピードでイリスを庇うべく覆いかぶさったレイヴンの脇腹を、触手が薙いでいく。イリスが手に取ろうとした槍をレイヴンが拾い上げ振り向きざまに投げつけると、命中したそれが致命傷になったのか毒々しいまでに赤い色をしていた花は一瞬にして枯れ落ちた。
かさりと乾いた音がして、一瞬遅れて槍が床の上を転がる音がして。
そこから更に遅れて、イリスが身を起こす。
「レイヴン……?」
「エレン……怪我は、無いな……?」
床の上に倒れたまま腕をイリスの方へ伸ばすレイヴンの瞳は、見事なまでに焦点が合っていなかった。
「…………」
イリスはそっとレイヴンに手を伸ばすと、左手でレイヴンの胸倉を掴み右手で――
すぱぱぱぱんっ。
その場に第三者がいれば思わず目を瞠ってしまいそうな程無駄のない動きで往復ビンタを繰り出していた。
「目ぇ、覚ませっレイヴン!」
そうしてそこから頭突き。がつんと鈍い音がして、イリス自身予想以上のダメージだったのだろう。レイヴンの胸倉を掴んでいた手が離れる。ごっという鈍い音はレイヴンが床に頭をぶつけた音で間違いないだろう。
自らの額を押さえながらレイヴンを見る、と――
「う……」
小さな呻き声とともに、よろよろと身を起こそうとしていた。
「イリス……か……?」
「そうだよイリスだよ。私妹さんじゃないよ正気に戻った?」
「あぁ、すまない……迷惑をかけたな」
「迷惑なんてかけられてないよ。助けられたもの」
「……どうやらあの触手に微量の毒があったようだ……少々幻覚を見ていた」
起き上がろうとしたものの、まだ身体に力が入らないのか壁に身を預ける。
「毒って……大丈夫、なの?」
「多少耐性があるから少し休めば問題ない」
「時々私漆黒騎士団の存在に疑問を感じるんだけど……って、レイヴン、脇腹!」
「あぁ、かすり傷だから問題ない」
「でも血、出てるよ!?」
見るとレイヴンの脇腹からはだらだらと血が流れていた。本人はかすり傷だと言っているが、とてもそうだとは思えない。レイヴンがかすれた声で、ゆっくりと詠唱を開始する。
「……これも毒が原因か……」
術自体は確かに発動した。しかし傷は塞がる事なく血も緩やかではあるが未だに流れ続けている。
「落ち着いてる場合じゃないよ、すぐ戻った方がいいよね。肩貸すから、行こう!?」
「それはできない」
慌てるイリスに、しかしレイヴンはきっぱりと否定する。あまりにもはっきりと断言されたため、一瞬何を言われたのかイリスには理解できなかった。
「……何で!?」
「理由は後で話す。とりあえずシーツか何かを破って傷口縛っておけば問題な……」
そこまで言いかけて、言葉が止まる。この部屋に包帯が無いのは先程確認済みである。そしてこの部屋唯一のベッドの上には、枯れて萎れた花の残骸。シーツを千切ろうにも粘液でべたべたのどろどろ。これを破って傷口に……というのは誰であってもやろうとは思わない。止血どころか謎の病気を持ち込みそうな勢いだ。
「わかった。包帯は今までの部屋でも見た記憶ないから、シーツ取ってくる。パッと行ってパッと戻って来るから、それまで死ぬなよ、レイヴン」
「待て、どこまで行くつもりだ」
「隣の部屋。そこも中はここと似たり寄ったりだし、シーツ引っぺがして持ってくるだけだからすぐ戻るよ」
「隣なら俺も」
「その状態で動くの危険だから却下」
すっと立ち上がるイリスを見上げる。恐らくこれは何を言っても無駄に終わりそうだ……そう判断する。
「何かあったら大声で呼べ。すぐに行く」
「レイヴンも何かあったら呼んでね、駆け付けるから」
「……あぁ」
バール片手に部屋を出て行くイリスを見送って、何事も起こらない事をレイヴンはそっと祈った。脇腹よりも胃が痛い。




