拍子抜けするしかないようです
前回同様てっきり扉を開けた直後に襲い掛かって来るものとばかり思っていたが、イリスの予想に反して館の中は静まり返っていた。
即座に抜刀できるようにしていたレイヴンが、拍子抜けしたように周囲を見回す。静かだ。まるで最初にここに来た時のように。
「……気配はする……が、あまり近くにはいないようだな」
「隠れて様子を見てるって事?」
「……見張られているという感覚もあまりない」
言われてみると確かにそうだ。
前回来た時は姿は見えなくともそこかしこから見られている感覚はあったのに、今回はそれが無い。
「んと、レイヴンは今の所危険人物認識されてない、って事?」
クリスは一度目に来た時にボギーを大量に仕留めていたし、前回も何だかんだで襲い掛かってきていた個体はしっかりと殲滅している。レイヴンがここに来た時ボギーはいたのかもしれないが遭遇していないから実力を知る事もないだろうし、何より棚が爆発した際負傷してすぐに引き返している。
ボギーから見れば罠にかかって早々に引き返した、今までここに来た普通の人間と同じような認識なのかもしれない。
それならばいきなり全戦力を率いて襲い掛かって来るという事もないだろう。無い、と思いたい。
「……どういう意図があるにしろ、好都合だ。今のうちに行くぞ」
「う、うん」
どこかで待ち構えている可能性は高いが、わざわざここで襲われるのを待つ必要はどこにもない。二人は足早に階段を上がっていった。
――『人喰いの館』三階。
まだ足を踏み入れていない部屋は三つ。
そのうちの一つにはロイ・クラッズが祖父に宛てた何かを残した物がある部屋。これは書斎の隣の部屋だが鍵が無いためまだ入れない。
書斎で見つけた鍵は一つ。
とりあえず残る二つの部屋のどちらかの鍵である事は間違いないだろう。
この館に罠を仕掛けるために色々作っていた部屋の隣か向かいのどちらかの部屋が開くはずだ。
ちなみに前回ドアが粉砕された挙句クリスの氷の術で塞がれていた部分は、何事もなかったかのように修復されていた。……凶悪な顔に似合わずいい仕事っぷりである。寝ている間に仕事をしてくれるらしい小人さんも真っ青だ。
近くから、という単純な理由で向かい側にあったドアに鍵を差し込んでみる。
カチリと小さな音がした。
レイヴンが先に立ちドアを開ける。そこから見える室内は、いたって普通の部屋だった。
使用人部屋でも客室でもなく、館の主以外の誰かが住んでいたように思える何の変哲もない室内。隣の部屋と違いミシンなどの裁縫道具がないだけで、隣と内装はほぼ同じのようだ。
ドアを開けてすぐに室内に入らなかったのは、レイヴンなりに何かの勘が働いていたからなのか。僅かに遅れてからドスドスという音とともに、真上から槍が降ってきた。
何もないと油断して足を踏み入れた直後に串刺しになるようなタイミング。無言で槍を引き抜いて部屋の隅へと放る。レイヴンがあまりにも淡々とその作業をしていたせいでイリスも驚くタイミングを見失っていた。ちらりと天井を見るも、この罠以外の物は仕掛けられていないようだ。
床にいくつか小さな穴が開いたが、これもまた次来る時にはきっと綺麗に修復されているのだろう。
「とりあえずこの部屋で鍵が見つかればいいんだけど……」
「どこかに隠すにもそれらしい場所は無さそうだな」
ベッドの下、ベッドの中、クローゼットの中、机の引き出し、本棚の間、隠せそうな場所といえばまぁそんな所だろう。奇を衒うような隠し場所があるようには見えない。
ドア付近を調べていたレイヴンが何かを乱暴に引っこ抜いた。槍は全て落下しきったが、ドアに連動するように仕掛けられていた罠の一部を念の為破壊したようだ。
「イリスはそっちを調べてくれ。こっちは俺が」
「うん、わかった」
そっち、とレイヴンが指した先には机や本棚がある。パッと見で特に危険な物も無さそうだ。……いきなり爆発するような事さえなければ、ではあるが。
あると予想していたロイの日記はこちらの予想を裏切ってこの部屋には置かれていないようだ。本棚や机の上というわかりやすい場所のみならず、机の引き出しの中にも見慣れてしまった日記帳は見当たらない。
日記に栞のように鍵を挟んでいた事もあったのでもしかしたら……と思っていたのだがどうやらそう都合よくはいかないらしい。
クローゼットの中を確認していたレイヴンの方を見る。クローゼットの中には服が何着か入っているだけで、そちらにも鍵はなかったようだ。
そっとクローゼットを閉める音に混ざって、びたんっという音が聞こえてきた。音のした方へ反射的に視線を向けると、どうやらベッドの下に潜んでいたらしい小型のボギーが転んで腹を床に打ち付けた音だったようだ。腹のあたりを手で抱えるようにしてごろごろと転がり悶えている。
レイヴンがそれを無言のまま掴み上げ、部屋の外へと追い出す。
「……退治しないの?」
「無駄だからな」
「……でも、以前鍵飲み込んじゃってるのとかもいたよ。今回もそのパターンだったら」
「…………館の中にいるモンスター全部倒すつもりでいかないと鍵は見つからないな。その場合は」
正直それだと鍵が見つかる気がしないので、そうじゃない事を祈りたい。
「あの子ベッドの下で一体何してたんだろ……」
イリスたちがやって来た事に気付いて慌てて逃げ込んだ、という風には見えなかった。何の気なしにしゃがみ込んでベッドの下を覗き込む。
割れたケースがそこにあった。
……今の個体はあのケースから出てきた……にしては、割れた音が全くしなかった。イリスたちが来る前にそこで割れたのか、もしくはさっきの個体がここでケースを割ったのか……
「イリス! そこから離れろ!!」
「え?」
もしさっきの奴がここでケースを割ったなら、中身はどうしたのだろう……などと考える間もなく答は出ていたようだ。ぼとり、と音がしてベッドの上に何かが落ちてくる。
どろどろとしたそれは以前にも見た事があった。あれは確か――モニカと来た時、ピアノのあった部屋で見た羽の生えたどろどろの蛙らしき物体。以前見た時よりも大きなそれはベッドの上で謎の粘液を撒き散らしながらのた打ち回っていた。
屈んだ状態で後ろへ飛び退いた。呻き声なのか鳴き声なのか判別のつかない声を上げてベッドの上をのったのった動くそれから視線を逸らさずに少しでも遠ざかろうとするイリスとは別に、レイヴンは剣を抜きイリスを庇うように前に立つ。
「レイヴン、そいつ確か酸っぽいの吐くから剣とか止めた方が」
いや、二つあるなら一つくらい犠牲になってもいいの……か? 双剣ってでも二つで一つなんだっけ?
などとイリスが考えてる間に、ばしゃりと一際大きな水音がした。そしてぴくりとも動かない蛙もどき。
「……あれ?」
何もしてないうちから勝手に事切れたようだ。ベッドの上を無惨な状態にしただけ、というのもどうなんだろうか。むしろお前何しに出てきた。




