まさかのコンプリートです
王国歴1005年 初夏 某月某日 快晴
王都の中心に広がる公園には様々な種類の植物があるがそのうちのいくつかは花が散り、木々も青々とした枝葉を広げている。今までよりも少しだけ強くなった緑の匂いにそろそろ夏か……などと思いながらイリスは大聖堂とは少し離れた位置にある噴水の前に立っていた。
珍しい事に、と言うべきか今朝方自宅ポストにイリス宛の手紙が届いていた。差出人はレイヴン。
館へ行くなら昼前に中央公園噴水前にて待つ、とだけ書かれた手紙と言うには短すぎる一文のみ。簡潔にも程がある。一瞬果たし状かと勘違いしたくらいだ。
そして肝心のレイヴンの姿はまだない。
レイヴンが約束を破るという事はないとは思うが、彼も騎士団長という立場上緊急の任務が入る事もあるだろう。……その場合は使いの者が来るはずだし、それに昼前というには少々早すぎたかもしれない。
ふと近くにあるカフェへと目を向ける。レイヴンが来るまでの間、そこで時間を潰すのも有りかもしれない。客が恋人ばかりなら一人で入るのも躊躇われるが、ここから見える分にはそういう事もなさそうだ。確かに恋人っぽい客もいるにはいるが、少し早めの昼休憩をしているであろう琥珀騎士団の女性騎士や、老夫婦の姿も見える。
あの店からならこの噴水も見えるし、レイヴンが来たらすぐに店を出る事もできそうだ。そう思い、そちらへと足を向けようとして。
「あー、すまないがそこのお嬢さん、少し道を尋ねたいのだが……」
唐突にかけられた声に振り返る。
「……えぇと、はい?」
軽く周囲を見回しても自分以外に該当する人物はいないらしいと判断し、声をかけてきた相手を見る。
そこにいたのは自分の父よりもいくつか年上だろうか……と思える男性だった。金色の髪と髭がたてがみのようにも見える。雰囲気からイリスと同じ一般市民には思えず、貴族だろうかと考えるも着ている服はアレクが着ている騎士団の制服によく似ていた。制服の縁の色が違うので白銀騎士団の者ではないだろう。
……それ以前に騎士かどうかもわからない。単純に似ている服なだけ、そういう風に見えない事もない。
イリスの困惑をどう感じたのか、男の方もやや困ったような表情を浮かべる。
「あぁ、その、妻の友人に贈り物をしたいのだが、この辺りになるべく控えめなデザインの細工物を売っている店などはないだろうか。東区や北区にある店にはどうも探している感じの物がなくて」
「控えめ……ですか。それって有体に言うと素朴とかそういう……?」
問われて少し考える。イリス自身、あまりそういった物に興味を持たないため言われてすぐには思いつかず。
「そういえば、ここからずーっと行った先にお一人様限定カレーの店っていうのがあるんですけど。その向かいあたりにそんな感じの店があったような気がします。その辺り他にも確かいくつかお店あったし、多分探してる感じの物もあるんじゃないかと」
「この先か……ありがとうお嬢さん。驚かせてすまなかった」
「あぁ、いえ」
男の後ろ姿を見送って、知らずイリスは息を深く吐いていた。
別に睨まれていたわけでもないが、どことなく威厳があるというか、気を抜けない雰囲気が漂っていたせいか無意識のうちに全身強張っていたようだ。困ったようにこちらを見ていた紅い目も、困っている割にはとてもそうは見えず、むしろこちらを探るような鋭さすらあったのも原因の一つかもしれない。動物に例えるならば獅子のような人だった。
気を取り直してカフェの方へ今度こそ足を運ぼうとして――
「――イリス」
今度は名前を呼ばれた。今のように知らない声ではない。しかし周囲を見回しても声の主が見当たらず。
「……レイヴン……?」
で間違いないと思う。声が聞こえるという事は近くにいるという事だ。一体どこにいるのだろう。
「ここだ」
押し殺したような声、と同時にがさりと近くの茂みが揺れる。
「……何、してるの?」
意外とあっさりレイヴンの姿を発見したのはいいが、これは一体どういう事なのか。うつ伏せというか匍匐前進でもしていたのか、茂みに身を隠したレイヴンは頭を上げる気配もない。
少し考えて、イリスはレイヴンの隣に移動ししゃがみ込んだ。
「もしかして具合悪い? 手紙出したからわざわざここまで来てくれた? 無理しなくていいんだよ?」
「具合が悪いわけではなくてだな……今のは、その、イリスの知り合いか?」
「ううん、道聞かれただけだよ。何、レイヴン知ってる人? そういやアレク様の着てる騎士の制服と似てたけど、あの人も騎士なの?」
「……近くにはもういないな?」
イリスに聞かずとも、顔を上げて確認すればいいだけなのにレイヴンは一向に顔を上げようともしない。その様子に思うところがないわけでもなかったが、イリスはただ事実だけを述べる。
「うん、行っちゃったよ」
その言葉を聞いてゆるゆると身を起こすレイヴン。息を殺し気配も殺し、存在そのものを押し殺すようにしていたせいだろうか、レイヴンも先程のイリスと同様深く息を吐いていた。
「知り合いかと思って焦った……さっきの人はフラッド・エルヴァン・セレスター。黄金騎士団団長だ」
「ふーん……え?」
名前を聞いてあぁやっぱ貴族だったのかさっきの人、などと軽く受け流すつもりが、最後にとんだ爆弾を投下された。
アーレンハイドに騎士団が六あるというのは誰でも知っている。けれど、市民がよく見かけるのは街の警備巡回をしている琥珀や白銀だ。時々瑠璃や真紅も見かける事はあるし、夜になれば漆黒の姿を見る事もある。
けれど黄金騎士団は、城の警備や王族の警護が主な仕事のため、こちら側に出てくる事は滅多にないと言ってもいい。
「……って事はあれ、私たった今騎士団長コンプリートしたって事?」
「言ってる意味がよくわからないが、まぁそういう事だ。……本当に道を聞かれただけなんだな?」
「うん、それ以外には何も」
「……フラッドは滅多にこちら側に来ないとはいえ、王都の全区画網羅している男だ。道を尋ねるという事がまずおかしい。イリス、気を付けろ」
気を付けろ、と言われても。一体何をどう気を付けるべきなのか。普通に暮らしているだけで目をつけられるような事は一切していない……はずだ。もしかしてあれか、護身用のバールが目についたとかなのか。有り得る。
しかし護身用武器の所持は別に犯罪でも何でもない。流石にやたら大きな剣とか無駄に周囲にぶつかりそうで迷惑になりそうな代物なら注意はされるかもしれないが、このバールが注意されるような物ならそれこそ王都に住む住人の大半は注意される事になってしまう。このバールのせいでクリスに声をかけられる事になってしまったわけだが、あの時は雨で人も少なかったしあの時のイリスは少しばかり考え事をして思いつめた部分もあったから、たまたま騎士の目についてしまっただけだ。
実際の所フラッドがイリスに声をかけたのは、単純にモニカがグレンにイリスの事を話したりしている時にたまたまその場に居合わせることになったり、他の人物からさらっと小耳に挟む程度に話を聞いたりで少なからず気になっただけ、というだけの事なのだが当然イリスがそんな事を知る由もなく。
そしてレイヴンもまたフラッドがそんな茶目っ気を出すような人物だとは思ってもいなかったのだろう。一体どういう脳内会議を繰り広げたのか、一気に危険人物扱いである。仮にも同じ騎士団長なのだが。
「と、とりあえず、行こうか」
「そうだな。今日中に終わらせるぞ」
いつまでもフラッドの事を話していてもどうなるわけでもなく。思い出したように話を元に戻すイリスに、何だかよくわからないが決意を胸に秘めたらしいレイヴンが力強く頷く。よく見ると今日はしっかりと腰に双剣まで携えて戦う準備は万端だ。
残る部屋はあと三部屋。いつもよりも早めに出発している事もあり、今日中には目的の物を入手できるだろう。




