ホラーな雰囲気は添えるだけ
ぎぃぎぃ、ぎしぎし。
手前に穴が開いていたため不安ではあったが、階段そのものはどうやら普通に歩いて問題ないようだ。途中で階段にも穴が開くのではないか、とややおっかなびっくりではあったが、音がうるさいだけで階段は思った以上にしっかりしていた。
ほんの少し重心を移動させただけで軋んだ音を立てるのは、この際目を瞑る事にする。
――人喰いの館 二階。
「一階も相当でしたけど、相変わらず埃が酷いですね……」
「後でどこか窓でも開けて換気くらいはしておいた方が良さそうですね」
一階は壁に穴が開いていたり、昨日もイリスがやってきたりという事で多少の換気はされていたのだろう。それでも充分埃っぽかったが。
二階はそれ以上だった。一歩足を踏み出すたびに、床に積もった埃がふわりと巻き上がる。
階段を上がってすぐ、突き当りの廊下に窓が見えた。
一先ずそちらへ向かいイリスが窓を開ける。
しかし風向きの問題なのか、何というか換気できている気がまるでしない。
「気休めにもならない気がする……」
むしろ窓の外から見える景色から、埃が外に出るよりも館周辺の木々から葉っぱが落ちてこっちに入り込んでしまうのでは? という風にすら思える。
「あ、イリス。少し離れてもらえますか? ちょっと試してみます」
「え?」
アレクが何を言っているのかわからない。わからなかったが、理解する前にイリスは反射的に窓から離れていた。それとほぼ同時に、アレクの周囲を風が舞う。窓から入り込んだ風ではない。
時折聞こえるアレクの声が、呪文の詠唱であるとイリスにもわかったのはすぐだった。
アレクの周囲をふわりと舞う程度だった風は、徐々に勢いを増して今ではアレクの制服の裾をはためかせている。そして、埃も。
「トルネード!」
まるで激流に押し流されるかのように埃が舞い上がり、開けられた窓から外へ押しやられていく。
パリンッ!
そして窓が割れた。
「……すみません、術の威力配分を少々ミスりました」
「まぁ、えーと、その、大分スッキリしたからいいんじゃないですか? 窓は板で塞いどけばいいですし」
イリスの言葉通り、そこかしこに積もっていた埃は今はなく随分とスッキリしている。もっとも、他の部屋のドアはしっかりと閉められているため、部屋の中はまた埃っぽいのだろうがそれでも廊下に出さえすればマシだという逃げ道が出来た。充分だろう。
イリス一人で来ていたならば、果たしてマスクをした程度でも防げていたかどうか。風圧で耐え切れずに割れて窓枠だけが残された窓をそのままに、その上から板を打ち付ける。割れて落ちた窓ガラスの処理は後でもいいだろう。どうせこの近辺、人が通る事など滅多にないはずだ。
「いや、でも凄いですね。騎士団の人って皆そんな風に魔術使え――へぶっ!?」
「イリス!?」
窓を打ち付け終わり、アレクの方へ向き直ったイリスが唐突に転ぶ。何もない場所で転んだイリスにアレクが抱えなおそうとしていた板を思わず取り落とし、駆け寄った。
アレクの目にはイリスが何もない場所で盛大に転んだようにしか見えなかった。そして転んだ拍子にイリスが手にしていた工具箱が宙を舞い、アレク目掛けて飛んでくる。慌てる事なくそれを受け止めると片手に持ち直しイリスの傍に跪いた。
「ぬ……不覚……」
「大丈夫ですか!?」
とっさに手で支える事もできず顔面から倒れ込んだイリスが鼻をおさえ身を起こす。何もない所で転ぶほどドジっ子だった覚えはないんだけどなぁ、と思いつつ足元を見ると、その部分だけ床板が若干捲れ上がり、僅かではあるが段差になっていた。転んだ原因はまず間違いなくこれだった。
床を踏み抜いて一階へ落下、などという事故よりはマシかと思いつつも差し出されたアレクの手をつかみ立ち上がる。
「あぁはい。大丈夫です。すみません」
「いえ、こちらこそすみません。私治癒系の術は使えないんです。使えていれば治せたのに……!」
「大袈裟な。ちょっと鼻ぶつけただけで血も出てないですしそれなのに治癒術って」
確かに転んだ直後は驚いたのとちょっとした衝撃で一瞬鼻血くらいは覚悟したイリスであったが、この程度なら怪我のうちにも入らない。そんな軽傷ですらない状態に治癒術とは随分大袈裟だとイリスは笑おうとしたのだが。
一瞬ではあったがアレクの表情が泣きそうに歪んだために笑うに笑えなかった。
「今度は、私が貴女を助ける番だというのに……恩一つまともに返せないなんて……っ」
「――え?」
「いえ、何でもありません。足の方は大丈夫ですか? 捻ったりしてませんか? 何でしたら抱えて行きましょうか?」
「捻ってないですから抱えていりません」
あまりの勢いにうっかり流されそうになったが、頭を大きく振って否定する。
「そう……ですか」
目に見えて落ち込んだ様子のアレクに、
(何故そこで残念そうな顔をする。私に怪我をして欲しかったのかお前は)
などと少し被害妄想めいた事を思ってしまったが、流石にそれは口に出さなかった。
むしろその前の言葉の方が気になるが、既に何でもないと撤回されてしまったものを深く突っ込んでもマトモに返事が返ってくるだろうか。
イリスはアレクの事を知っていた。モニカ以外にも騎士の知り合いはいたし、モニカやその知り合いからアレクの話題が出た事もあるからだ。それでなくとも白銀騎士団の団長、という立場の彼の事は王都の住人ならば知らない者はいないとも言える。
しかしイリスがアレクと直接会ったのは今日が初めてのはずだ。それ以前は遠征討伐の際の出立やら凱旋パレード的なもので見かけた程度の記憶しかイリスにはない。
今度は、という事は前に一度会っていて、その時助けられた? アレクが私に? それはないだろう。誰かと勘違いしているのではなかろうか。
詳しく訊いてみようにも、どう切り出せばいいのか考えているうちにアレクの方は自己完結していたようだ。
「足元、気を付けて下さいね」
などと言いつつ落したままの板を拾いに行ってしまう。
やんわりとその事については言及しないように、という雰囲気があった事もあり、結局イリスも深く立ち入って訊く事はできなかった。
――ざっと見回して思ったのは、一階と同じ構造のはずなのに妙に狭苦しく感じる……という事だった。
一階にあった部屋数と比べると、二階はそこかしこにドアが見える。
「これは……一階と比べると確認するだけでも大分時間がかかりそうですね。どうしますか?」
「とりあえず近くの部屋から見ていこうかなって思うんですけど」
「では、先程の窓の近くから――」
見て行く事にしましょうか、と続くはずだったアレクの言葉はしかし途中で切れた。
先程聞いたような破裂音と、人の声がしたからだ。
これから確認しようと思った部屋ではない。今いる場所から離れた部屋のどこかからの音だとは思うが、それでも静かなこの館の中では思った以上に大きく響いた気がする。
「……誰か、いる?」
「そのようですね。行ってみましょう」
拾いなおした板は結局階段付近の壁に立てかけて、二人は物音がした方向へと移動する。
位置的には一階にあった物置の上になるだろうか。そこにあった部屋から、確かに人の声がした。
聞こえてくる声は、少し甲高く女性の声のようだった。
「ジャック! ジャック、しっかりしてちょうだい!」
鍵がかかっていたら蹴り破ろうとすら思っていたアレクだったが、ドアはすんなりと開いた。どうやらそこは客室のようだが古びた家具には案の定埃が積もり、更に今は窓が割れぐったりとして動かない男と今にも泣き喚きそうな女の姿。
「……何してるんですか、貴方たちは」
アレクの声が呆れかえっていたのは、決して気のせいではない。




