向けられていた悪意の先が確定したようです
ごとり。重たい音を立ててそれは床に転がった。
「ふむ、随分熱烈な歓迎だね」
まさか扉を開けて早々襲い掛かって来るとは思わなかったためイリスはその場で固まっていたが、クリスの方は薄々予想していたのだろう。動揺する事もなく術を放ち、氷漬けになって床に転がるボギーを見下ろす。
「さてイリス、最悪な予想が一つ。前回私がここに来た時このボギーとやらが大量に館の中に発生したね。そして少なくとも同じ部屋で発生した奴らは私が術で殲滅した。恐らく倒した数で言えば現時点で私が最も多いだろう。
即ち、奴らはこちらを警戒し倒すべき敵として捉えているはずだ。……極力私の傍から離れないように」
「う……うん、わかった」
真剣な表情で言うクリスに、イリスもまたつられるようにして頷く。
「……向こうがこちらを個体識別できないのならその問題もないかな、と思ったんだけどね。多分見分けはついてるはずだ。そうじゃなきゃ、生みの親のWはともかくロイが襲われてもおかしくない。……何か特殊な狙われない方法があるなら話は別だろうけど」
「……前回見つけた日記には、犠牲者が出たみたいな事が書かれてた。それがもしここに肝試し感覚で忍び込んだ誰かだったら、確かにロイと他人の見分けくらいはつくんだろうね」
「仮に襲い掛かって来るにしろ、まぁこちらが不意を突かれる事は滅多にないとは思うけど。さて、前回確か鍵を一つ見つけたんだったね。まずはそれがどこの部屋の鍵なのか探す事にしようか」
廊下の奥からこちらを窺うように覗き見ていた小型のボギーが、クリスの視線に気づいたのか慌てて身を隠す。あちこちから見られているような気がするのは、多分本当に見られているのだろう。何というか、些細な事が原因で喧嘩してしまった友人と止む無く二人きりになったはいいが、謝るタイミングが掴めない何とも居心地の悪い空気に近いものが全身を覆っているような気になってくる。
クリスの方はどうやらそれを全く気にしていないようだ。まぁ、慣れているのだろう。
「イリス、あまり気にしない方がいい。変に動揺して隙を見せると多分これ幸いとばかりに徒党を組んで襲ってくるよ」
「気にするなって言われても……こういう空気に慣れるのは無理だよ」
こちとら一般市民で非戦闘員だというのに。
前回少々不本意な形で手に入れた鍵は、ミシンがあった部屋の斜め向かい側の部屋の鍵らしかった。
ドアを開けて早々何かの罠に見舞われるという事もなく、また何かが襲ってくる事もなくすんなりと中に入る。
「……また物置?」
少なくともこの部屋はイリスにとっては他の場所にあった物置部屋と同じように見えた。
家具などが置かれるでもなく、無造作に床の上に工具箱が置かれ、中に入っていたであろう道具がそこかしこに散乱している。壁際にいくつか並んでいる棚には布がかけられ、しばらく使っていないのだろう。窓から差し込む日の光によってか白かったはずの布は黄色く変色していた。
あちこちの部屋を劇的に掃除しているはずのボギーたちも、この部屋はあまり立ち入ったりしていないようだ。
「ただの物置ならいいんだけどねぇ……」
何かに気付いたのか、クリスがふぅ、と小さく息を吐いた。
「違うの? 少なくともそういう風にしか見えないけど」
「どちらかというとここは物置というよりは……何か作るための部屋なんじゃないかな。ロイ・クラッズに日曜大工の趣味があるかどうかは知らないけどね」
言いながら工具箱の陰に落ちていたであろう物を拾い上げる。
この館で何度か目にしたボウガンの矢だった。
それから壁際に並んでいる棚の方へと近づいて、かけられていた布をばさりと捲りあげる。
「うわ……」
「もしかしなくても、ここは罠を作るための部屋だった……ってところかな」
棚に並んでいるボウガンは、以前レイヴンと来た時に仕掛けられていた物と全く同じものだった。ボウガンだけじゃない、他の棚にはナイフなどの刃物まで保管されている。
反対側の壁にも何かが立て掛けられているが、そちらにも白い布がかかっていた。嫌な予感しかしないが、その布も捲ってみるとそこには槍がずらりと並べられている。
「この瓶に入っているのはどうやら火薬かな? ホント、物騒な館だよ」
「ってことは、大掛かりな罠はさておき部屋に仕掛けてあったボウガンも全部館の噂に便乗した愉快犯の仕業じゃなくて」
「仕掛けたのはロイじゃないかな。もしWが最初から罠を仕掛けているような館なら、ここに越してきたロイの日記に書かれていてもおかしくない。……書いてある部分を私たちが見ていないだけかもしれないけど。
だが、私は仕掛けたのがロイだと思った上で続けるとしよう。詳しい事情はわからないが、ロイは何らかの目的をもってこの館に罠を仕掛けるようになった。客室に仕掛けられたボウガンは恐らくロイの真似をしたんじゃないかな、ボギーが」
言われて、あぁそうかもしれないと納得する。
以前モニカに向けてボウガンを撃ってきたボギーはボウガンの大きさに苦労していたようだが、一応使い方は理解できているようだった。恐らくはロイが使用していたのを見て覚えたのかもしれない。
「さて、どうせなら他に鍵か日記が出てくればいいんだけど……イリス、そっちはどうかな?」
「引き出し開けたら日記が出てきたよ……タイミング良すぎじゃない?」
もう何度も目にした装丁。中を開くまでもなくこれも日記だろう。
「さて、今回は一体何が……」
イリスから日記を受け取りページを開いたクリスだったが、言葉が途中で止まる。
「クリス……?」
何か重要な情報でもあったのだろうか。前回は平気で音読していたというのに今回は一向にそうする素振りがない。見上げるとクリスの視線は上下しているので、文字は読んでいるようだ。
「……前回イリスとアレクが見つけた日記には犠牲者が出たと書いてあったね。けれどぼかして書いてあるようだったから、それが本当に人であったかどうかはわからなかった。しかしどうやら本当にここは『人喰いの館』にして『帰らずの館』だったようだ」
そう言って日記を差し出してきたので、恐る恐る受け取り目を通す。
『あまり凝った仕掛けは作れない。下手をすると自分が引っ掛かってしまいそうだ。罠にかからなかった者はどのみちボギーが始末してくれる。仕掛ける罠はこんなもので充分だろう。
Wが流した噂によって、またこの館に面白半分に侵入してきた者達で罠の威力を確認、必要に応じて調整する事にする。何、死体はWが処分するのだ。もう気にする事もないだろう』
「何か前回はまだちょっと良心の呵責とかありそうだったのが随分吹っ切れていらっしゃるよ!?」
駄目だ。もう色んな意味で突き抜けてしまっている。罠を仕掛ける、という事は当然獲物がいるわけだが、肝試しにやってきた連中で実験しているという事は、当然まだこの時点では獲物は罠にかかっていないわけで。
「……え、ちょっと待ってよ? ロイ・クラッズはじいちゃんをここに招待したんだよね。……って事は今までの罠ってじいちゃん狙いって事!?」
「まぁそうなんじゃないかな。ロイと君の祖父がどういう関係だったか、そこら辺詳しく聞いてないのかい?」
「同じ村の出身で、村を出た後数十年は会ってなかったとしか。っていうか、王都に住んでても多分そんなに交流してないと思うよ。私だってロイ・クラッズの名前聞いたのこの館に来てからだもん。もしもっとずっと前から何度も付き合いがあるような関係なら、父さんか母さん経由でその名前聞いてもおかしくないし」
「村にいた頃に、二人に何かあった……って線は?」
「さぁ、それもちょっと。村にいた頃のロイは常に人の中心にいるような人だった、とは聞いてるけどじいちゃんはそれとは反対みたいだったから、あんまり接点なかったんじゃないかなぁ」
そもそも村にいた頃って、それこそ一体何十年昔の話だ。その時何かがあったにしても、それを蒸し返すのは今更すぎる。
『本当はあいつに対する八つ当たりでしかないのはわかっている。今すぐあいつをここに呼び出せばきっとあいつは来るだろう。昔から何だかんだ義理堅い奴だった。そうして、奴と会ってしまえばきっと感情に任せて自分はあいつに襲い掛かってしまうだろう。それだけはしてはいけない。
自分の死後、適度に時間を置いてからあいつを呼び出すとWは言っていた。その言葉を信じていいのかはわからない。老いた自分をからかっていただけなのかもしれない。そう、だと信じたいのかもしれない。
けれど、Wはあいつにも興味を抱いたようだった。恐らくは、本気だ。
自分に残された時間はあと僅かだ、今からいっそ全てを白日の下に晒してしまうべきだろうか。……いや、それも無理だろう。かつての友人は以前のWについて不都合な事実を知ったらしい。そのせいで死ぬ事になったのだ、と今のWは言っていた』
イリスが読み終わったのを見計らったようにクリスが口を開く。
「かつての、とか今の、とかイリス、君はそこをどう考える?」
「え? いやそれは普通にWが二人いる……とか?」
「だとすると余計に厄介だね。何かの件で人が変わったようになってしまい、それに対してかつての、とか今の、という意味ならばWは一人なんだろうけどWという人物が複数いるなら……確実に何かの組織として暗躍してるだろうね」
「クリスは実際の所どう思うの?」
「ん? あぁ、普通に複数いると思うよ。最初知り合ったのは同年代で、でも前の日記には若造だとか書かれてたんだろ? 同一人物に向ける言葉かね、果たして。一人だけだといいなってのは、あくまでも面倒を避けたいこっちの願望」
事も無げに言われ、イリスは一瞬考え込んだ。彼の言葉は本心なのだろう。確かにWと呼ばれる人物が複数いて、それが何かの組織めいた活動をしているならば。モンスターを実験の流れで創ってしまうような相手だ。世界平和のための活動、というよりはその逆を考えるべきだろう。
「さて、どうするイリス。君の祖父に宛てた何かがこうなってくると本当にあるかどうか、あったとしてもそれが持ち帰る事ができるものかどうか……こうなってくると疑わしいね」
クリスの口調はどこまでも軽い。けれども突き付けてくる言葉はイリスにはやけに重く感じられた。
「……それは、もう諦めて家に帰れ、って事? じいちゃんに何もなかった、って言えって事?」
恐らくそういう事なのだろうと思っていたのだが、あっさりとクリスは否定してみせた。
「まさか。この日記に書かれているあいつってのが君のじいさんなら、Wは彼に興味を抱いたとも書いてあるし、ここでイリスが何も見つからなかった、と言ったとして今度は直接Wとやらは君のじいさんに接近するかもしれない。ここが本当に『人喰いの館』であるという証拠がこうしてここにあるんだ。後は騎士団に任せる、って方法もあるよって言っただけ」
この館に来たばかりの頃ならともかく、確かに今なら騎士団が動く理由は充分すぎる程存在する。
けれどもイリスは首を横に振った。
「そうするのが本当はいいのかもしれない。でも、きっとあともう少しだから、最後まで見届けてみるよ。ここに来たのがじいちゃんでも、きっとそうする」
我侭かもしれないが、それは意地でもあった。
「この館がじいちゃんを殺すために用意されたものなら、私はそれを台無しにする。じいちゃんをここに来るような事になんてさせるものか。Wはともかくロイはもう死んでる。あの世で用意した舞台がじいちゃんじゃない奴に台無しにされて、精々悔しがればいい」
最も、イリスはあの世だなんてもの、正直信じてなどこれっぽっちもいないのだが。




