冗談が冗談に聞こえない人の冗談は心臓に悪いです
ノートを開くと案の定というかやはりというか、これもまたロイ・クラッズが書き記した日記のようだった。前半部分が破り取られていたが。
「……日記、ですね」
「何か進展ありますかね?」
椅子に座った亡骸が嫌でも目に入るが、またしても二人ゼロ距離で仲良く日記を覗き込むつもりはなかったのでイリスは言いつつも日記を机の上に置いた。
「そういえばこれがロイ・クラッズが書いたものだ、という確証はありますか?」
「一応じいちゃんとこで手紙見せてもらったけど、それと同じような筆跡だから間違いないんじゃないかなって思いますよ? じいちゃんの話だとあの手紙は確かにロイって人の字みたいだし、手紙からして偽造されてたって線は薄いんじゃないかなぁ……」
多少癖のある字ならば真似しやすいかもしれないが、癖がありすぎて逆に真似て書く方が疲れるような字体だ。何者かがロイのふりをしてこの手紙を書くよりも、それなら生前ロイに頼まれたとかで普通に手紙を書く方が手っ取り早いとすら思えるような――そんな書体だった。
『最近になって昔のことを頻繁に思い出す。恐らく先日彼女に会った事も強く関係しているのだろう。振り返ったところで過去など変わるわけもないというのに、難儀な事だ。
こうも昔の事ばかり思い出すのは、そろそろ時間がないからかもしれない。何に対するのかもわからないような焦りばかりが募る』
前半は破り取られていたものの、残されていたページにはまずそう記されていた。
あいつ、とか友人、とか彼女、とかロイの日記には全くといっていいほど人名が出てこない。Wを除いて。ここまでくるともうそういう風にあえて書いているのだろうとしか思えない。
『胸の内の苛立ちは尚も燻り続けている。これがただの八つ当たりでしかない事はわかっている。あいつは何も知らない。知っているはずがない。だからこそあんなにも穏やかでいられるのだろう。
こちらの考えを見透かしたかのようなWの言動も最近は不快でしかない。あいつに一体何がわかるというのだ、若造め』
「若造……?」
思い切り引っ掛かり、無意識のうちに呟いていた。以前見かけた日記でWと知り合ったばかりの頃は確か同年代くらいだとか書いてあったような気がするが……いや、年をとると一つ二つ年下であってもそういう風に表現する事はあるのかもしれない。
『薄々わかってはいたが、最近の……いや、このWは明らかにおかしい。にこやかにこちらの背を押すような言葉を口にする。おかしいのはその甘言にまんまと乗せられてしまいたくなる自分かもしれない。残された時間があと僅かだというのなら……必要な物があればいくらでも用意すると言い出したWの笑みが悪魔のようだ。こいつに人の心というものは存在しないのだろうか』
字がかすかに震えていた。葛藤すべき何かがまぁ、内容からしてあったのだろう。一体何をどうするつもりだったのか、最初から最後まで誰が見てもわかるように書いていないが今のこの館の状況を見れば……ロクでもない事だけは確かだ。
使用人代わりに、とモンスターを連れてきたWは、ロイに何かをさせるべく更なる協力をしていた。これは間違いないだろう。
『残り僅かな時間をこのために生きる、というのも不毛だが、考えようによっては似合いの末路とも言える。後の事は任せろと言うWの言葉に、もう戻れないのだと確信した。あいつがどういう行動に出るかはわからない。あいつの事だ、もしかしたら来ないかもしれない。けれど今までのあいつの性格からそれはきっとないだろう。
……どちらにしろ、犠牲は既に出てしまっている。今更引き返しようがない。死体の処理を嬉々として行うWも館の中を徘徊しているボギーも、自分にはもう区別がつかなくなってきた』
読み進めるにつれ内容がどんどん不吉というか嫌な予感ばかりというか、何とも不穏な雰囲気が漂ってきているのは決して気のせいではないのだろう。
使用人代わりにとモンスターを連れてくるWも相当だが、それを何だかんだで最終的には受け入れてしまったロイも……言葉を選んで言うにしてもおかしいとしか言いようがない。
それだけではない。犠牲は既に出てしまっている、とか死体の処理とか、どう考えても犯罪の香りがぷんぷんする。
「……死体が発見されなければ、基本的には行方不明扱いにしかなりません。しかし本当にこの館で過去に誰かが……?」
「無理矢理考えて死体の処理ってボギーたちの、って意味ならまぁ、まだわかるんですけどその前の犠牲って単語からしてやっぱりそうなんでしょうか……?」
「この館の噂が流れ始めたのが確か……王国歴997~998年くらいだったと記憶しています。けれどその当初は確かこの辺りに無人の館なんてものは無かったはず」
「それじゃつまり、その頃はまだロイ・クラッズは生きていた……って事でいいんでしょうか?」
「えぇ、無人の館というか、この近くには別荘もありますからね。管理人が常在している所もあるにはありますが、数日に一度訪れて様子を見るだけという所もあります。
そういった館を『帰らずの館』とか『人喰いの館』として肝試しに訪れた人たちとのトラブルがあった……と聞いています。当時そこら辺は琥珀騎士団が対処していたので伝聞ですが」
確かにイリスがかつて聞いた『人喰いの館』の噂も、今は誰も住んでいない、という言葉が使用されていた。
「管理人がいてもいなくても、老人一人なら場合によっては気付かずに……なんてパターンもありそうですね。若いうちなら友人呼んで騒ぐ事もあるかもしれないけど、ここ、友人どころかW以外の人なんてとても招待できそうにないし。ボギーのせいで。
……それでもしここも無人の館だと勘違いして、肝試しに忍び込んだ誰かが犠牲になった……とか?」
「可能性としては有り得ますね。個人的には何年もモンスターが王都の中で暮らしていたという部分に眩暈がしそうですよ」
「まぁ、その部分だけ聞くととんでもないスクープですからねぇ。実際問題なのはモンスターを創ったかもしれないWの存在なんだけど」
冷静に考えればそちらの方がよほど重要なはずだが、この件が明るみに出ればまず騎士団の在り方について問われる事だろう。しかし館の外に出たなら気付くだろうけど、館の中でひっそりと暮らしてたモンスターにまで気付けというのは少々無茶振りすぎる気もする。
「……ま、まぁ、ほら、必要な物入手したら後はこの館ごと隠蔽しちゃうとか方法は色々ありますよきっと!」
「隠蔽……って、僕が言うなら大問題ですがだからといってそれを勧めるのもどうかと思いますよ、イリス」
「自己保身です。ロイ・クラッズが死んだ今、その関係者でこの館に招かれたじいちゃんとか代わりにここに来た私とかにまで下手したら矛先向かうじゃないですか」
それはとにかく困る。最悪王都から夜逃げしないといけなくなるかもしれない。両親は王都以外の土地でも生きていけるだろうけど、祖父は……今更新天地を目指すなど無謀すぎる。それでなくともこの土地には祖母が眠っているのだ。恐らく祖父はここを離れるつもりもないのだろう。
最悪の展開を想像したら、実際あってもおかしくない展開すぎて何だか泣きそうになった。さっきとは別の意味で。
「大丈夫ですよ、イリス。貴女が考えるような悪い事にはなりませんから。そうならないよう、僕が貴女をお守りします」
「そうなると流石に色々立場不味くなりませんかアレク様。っていうか軽々しく守るとか言われましても。具体的にどうするつもりですか」
普通、こういう事を言われたら胸の一つもときめきそうなものだったが、今のイリスは自分で想像した最悪の未来予想図によって自分の生活第一だった。中途半端な庇護ならば、最初から無い方がマシである。それに、かつて母が言っていた。
簡単に守るとかいうような男は信用しない方がいい、と。
「そうですね……それではジークロード家が王家に対して反逆、なんて展開はどうでしょう?」
「最悪の更に上をさらっといかないで下さい。というか、どうしてそうなった!?」
「大丈夫ですよ、イリスを守るという名目があればモニカも参加するだろうし、そうなるとグレン殿ももれなくついてきます。グレン殿が反旗を翻すとなるとグレン殿人望が厚いですから、他の騎士もかなりついてくるだろうし、勝ち目が全く無いわけではありませんよ」
「全然大丈夫じゃない! そういう意味違う! 私を守るという名目で一体何人の人生犠牲になるんだ冗談にしても笑えねぇよそれは流石に!!」
それはいっそ冗談であってくれ、切実に。自分のせいで王都で内乱が、なんて事になるとか最悪どころじゃない。それ以前にそうなったら王都反逆の首謀者として大罪人の咎を負う事になるのではなかろうか。
先程想像してしまった展開が、まだ生易しいものだと思い始めてしまう。
「まぁ冗談はここまでにしておきましょうか。どちらにしろイリスにもイリスのご家族にも悪いようにはしません。そこだけは安心して下さい」
「……本当に冗談なんですね? 笑えないどころか心臓に悪い冗談は金輪際止めて下さい」
大きく息を吐く。ぐったりと力が抜けて、上半身を机の上に預ける形で倒れ込んだ。
「……あ、鍵だ」
視界にボギーの死体が映って思わず身を引きそうになったが、そのボギーと椅子との間にきらりと光る物が見えたため手を伸ばす。
ボギーの亡骸を視界内に入れないようにしたままならば、恐らく気付かなかっただろう。
しかし……何故尻の下に敷く。口から吐き出さないだけ今回はまだマシかもしれない……と思いつつも、やはりもう少し普通に入手したかった。
気付けば窓の外から見える空の色が大分暗くなってきたため、今日の所は引き返す事にする。




