生理現象には勝てませんでした
部屋の中を調べるにしても流石に今しがた倒したばかりのトカゲ型モンスターが部屋のほぼ中央に転がっているのは色んな意味で邪魔、というわけでアレクがベッドの下を覗き、そこに何もない事を確認して押し込む。図体の割に体型が平べったいからどうにか押し込む事ができた。
そこにある、という事実は消えないが視界に入らないだけマシだろう。
「見た所普通のケース、ですね……」
トカゲが入っていたケースを見て、呟く。
ケースは見たままを述べるのなら、ガラス状の筒の上下を蓋しただけの単純な作りだった。ガラス部分は床に叩きつけただけで簡単に割れるのでどうやら普通のガラスだろう。蓋部分に何やら文字が刻み込まれていたが、それがどういう意味なのかはまるでわからなかった。ガラス部分が普通の材質なので、恐らくこの文字が重要な意味合いを含んでいるのだろうとはイリスにも想像できたが。
「クリスはこれを目にしているんでしたよね?」
「えぇ、しっかりばっちり」
「でしたらこれはわざわざ持ち帰る必要はない……か」
それだけを言うとそのケースはもうアレクの興味から外れたようだ。
そのまま他に何かありそうな場所を探すべく、机の方へと足を向ける。
イリスも部屋の中を探そうとして身を寄せていた壁際から離れようとした時だった。
「痛っ」
「イリス!?」
思わず上げた声にアレクが凄い勢いで振り返る。
「あぁ、すみません。大丈夫です」
ふと見ると、壁から釘が僅かに出ていた。どうやらこれに腕を引っかけたようだ。袖が破れ、一直線に赤い線が走っている。……結構痛かったからもしかしたら出血したんじゃないかとも思ったが、どうやらそこまで酷くはないらしい。
「大丈夫、って……とにかく手当てを。そこに座って下さい」
「手当てって……ちょっと引っかけただけですよ?」
それ以前にそこに座れって、ベッドの下にトカゲの死骸があるんですけど。見えないとはいえ流石にそこに腰掛けて落ち着けるかと言われると無理だ。やんわりと拒否したものの、アレクはそれをあっさりと無視してイリスを座らせる。
手当てと言われてもそもそも消毒液も何もないのにどうするつもりだろうか……わざわざ消毒液なんてものをアレクが持参しているようにも見えないし……
イリスの疑問はすぐに解消された。
「ヒール」
「あれ?」
ふわりと柔らかい光がイリスの腕を覆う。ぴりぴりとした痛みも腕に走った赤い線も消えていた。
「イリス、まだそのままで」
「え? あ、はい」
アレクが机の上から何やら持ってくる。手にしているのは針と、糸。
「ついでに直しておきますね」
「あの……以前治癒系の術は使えないって言ってませんでしたか?」
「あれから覚えました」
破れた部分を修復しながらあっさりと言ってのける。
イリスは魔術を使えないが、素質があったとしても新たに術を覚えるのは中々に大変だと聞いている。前回アレクと館に来たのは今から一カ月以上前の話だ。その時に使えなかった術を覚えたとなると、それはとんでもない事ではないだろうか。
「……そういえば気になってたんですけど。アレク様前回は自分の事私って言ってましたよね」
「よく考えてみれば今は別に執務中というわけでもありませんから」
「公私分けてるんですか?」
「えぇ。なのでイリスもそう畏まらずに普通に話してくれて構いませんよ」
「……努力はしてみます」
何だか妙な居心地の悪さを感じて僅かに身じろぐ。破れた袖部分をアレクが現在縫っているためあまり動けないのは理解しているが、距離の近さが大変気まずい。下手に動いて自分の腕を針でぶすり、なんて展開は流石にイヤなのでなるべく動かないようにしているものの、とにかく落ち着かない。
「……アレク様、裁縫上手ですね。私の母より手際いいかもしれないです」
「何だかんだでいつの間にか身についてましたけど、僕よりもレイヴンの方が上手ですよ」
「えっ!? そうなの?」
それは意外だ。
「えぇ、以前遠征に行った時にたまたま向こうの騎士団と合流した事がありまして。その時うちの団員が一人、怪我をしましてね。運悪くその時その場に治癒術を行使できる者がいなかったんですが、レイヴンがその時団員の千切れかけた腕を見事にくっつけてくれました」
「それは裁縫っていうか縫合手術なんじゃ……いやそれ充分凄いけれども」
しかし服を縫うのと腕を縫うのとを同じにしちゃ不味い気がする。色々と。
なんて事を話しているうちに、どうやら終わったらしい。破れた跡がほとんどわからないほど綺麗に縫い合わされた部分を見て、「おぉ……」と感嘆の声が漏れた。下手をしたら母に怒られていたかもしれないので、無事証拠隠滅できたと言えよう。自分で縫っていたら恐らく母に即バレていた事だろう。……何だかちょっと虚しくなった気がするが、そこは心にそっと蓋をしておく。
「ありがとうございます」
「いえ、大した事ではありませんよ」
針と余った糸を元あった場所に戻し、そうしてようやくこの部屋の探索が再開された。
机の引き出しやらクローゼット、本棚と何かありそうな箇所は多々あったものの、この部屋からは特にこの館に関する情報も鍵も何も見つける事ができなかった。
わざわざ魔導器を隠してあった部屋に置かれていたわりに、無駄足だったようだ。
「……手詰まりになってしまいましたね」
「もうあとそんなに部屋もないし、いっそバールで破壊して強行突破しちゃいます?」
「いえ、どこかに見落としがあるかもしれませんし、もう一度探してみましょう。ドアを破壊するのは確かに手っ取り早いかもしれませんが、それが原因で何かの罠が作動しないとも限りませんから」
言われてみると確かにそうかもしれない。普通にドアを開けるなら問題はないが、ドアを破壊して通常の方法ではない入室により発動する罠、なんてものが無いとは言い切れないのだから。ドアを開けたらボウガンから矢が飛んできました、程度の罠しかなかった頃ならそんなものはないだろうと思うが、先程の部屋のような大掛かりな仕掛けを見てしまうと不用意な行動は危険すぎる。
とりあえずもう一度この部屋の中を隅々まで確認してみようという事になったのだが……
「……あの、アレク様」
「どうしました? 何かありましたか?」
「いえ、そうじゃなくて……とても言いにくいんですが……」
そう。思い返してみればいつもは準備もある程度済ませておいたのだが、今回はここに来る直前、貰ったお菓子を食べ、更にはアレクがくれたジュースまで飲んでいた。
だからこそ仕方がないと言ってしまえばそれまでなのだが。
「……その、お手洗いに行きたいです」
しかしだからといってこういう宣言をするのはとても居た堪れないものだった。羞恥プレイにも限度ってものがあるぞ。
何やら深刻な表情をしていたから随分重要な話だと思っていたのだろう。アレクの方も何だか微妙な表情を浮かべていた。いっそ泣きたい。




