普段穏やかな人が怒ると怖いのはよく言われる話です
先に動いたのは、モンスターの方だった。その身をくるりと反転させて、背後にあった日記の方へと跳躍する。
「あまり人様の日記を見るのは感心しませんけど、ある意味情報源として必要かもしれませんからね。仕方ありません、イリス」
「う、うん。そうだよね、仕方ないよね」
二人がいる位置から日記が置かれている場所まで、数歩分の距離だ。そこまで離れているわけでもない。
そしてぴょんぴょんと飛び跳ねていたモンスターは日記を踏み台にそこから更に跳躍、干されていたシーツへと飛び移る。シーツを掴み、ゆらゆらと身体を揺らし今度は壁の方へと跳んで――
「イリス、こっちです」
「ぅおっ!?」
ぐいとモニカが腕を引く。がこんという音がそのすぐ後に聞こえた。
先程までイリスとモニカがいた位置に槍が降ってきたのは、直後の事だった。
「ギャフッ!?」
「ええぇえ!? ちょ、今天井から槍……っ」
あのままそこに立っていたら、間違いなく串刺しだっただろう。顔からさっと血の気が引いていく。
壁際ぎりぎりに立ってそれを避けたモニカは、ダガーをモンスター目掛けて投げ放っていた。まさか避けた挙句に反撃に出てくるとは思っていなかったのか、ダガーはすんなりと命中し、壁に張り付くようにしていたモンスターはダガー諸共床へと落下する。
「……どうやらあのスイッチ、罠を発動させるためのものみたいですね」
言われて壁を見ると、先程モンスターがいたあたりには確かに何かのスイッチがついていた。
というか、何故この部屋にこんな罠を。
「偶然飛びついた先が、というわけではなさそうでしたわね。明らかにこのスイッチ目掛けて移動してましたし」
「もしかして二階客室のボウガンもこいつらが……?」
「さぁ、それはわかりませんけれど」
まだぴくぴくと動いていたモンスターから、ダガーを引き抜く。
「ギェッ」
げろり。
断末魔と思しき声を上げ、同時に口から何かを吐き出す。
「……鍵吐いたよ!?」
「素手ではちょっと触りたくありませんわね」
少し考えてから、干されていたシーツを切り裂いて布越しに鍵を拾う。一応拭いてはみたが、それでもまだ素手で触ろうとは思えない。更にシーツを切ってそれで包んでおく事にする。しかし何だってまたこいつは鍵なんて飲み込んでいたんだろうか。もしかして他の鍵も別のモンスターが飲み込んでいたりするんだろうか。
そうだとしたら鍵を探すだけで相当苦労しそうだ。
日記を拾い上げ、一先ず部屋を後にする。流石にもう槍が降ってくる事はないかもしれないが、他の罠が無いとも限らないこの場所でのんびり読む気には到底なれなかった。
そうして一度ピアノがあった部屋まで戻る事にする。正直そこにもあまり戻りたいとは思わないが、あのどろどろした物体を視界に入れないようにすればここよりはまだ安全だろう。
「……あら、これ、途中のページが破られてますわね」
部屋に入り早速日記を開いたモニカの言う通り、確かに真ん中あたりのページが破り取られていた。
書き損じたから破いたというよりは、そこだけ抹消したくて破り取ったといった感じにごっそりと。ロイが自分で破いたのかそれとも他の誰かがやったのかは、当然判断できるわけもなく。
とりあえず残されているページを読んでみる事にした。
『こいつら正直鬱陶しい』
真っ先に目に飛び込んできたのはこの一文だった。
ロイは一日一ページ使って書く事にしているのか、例え一行で終わっても次の分は新しいページに書いているため、今まで見た日記も空白が目立つページはあった。しかしこのページには余白部分に例の豚のようなモンスターが描かれている。意外と上手い。ここにきてわけのわからん茶目っ気を披露されてもどういうリアクションをとればいいというのか。
「……ロイは、この館にモンスターがいて尚ここで暮らしていたという事ですの?」
「あ、そういう事になるよね。え、何こいつらずっと昔からいるの? すっかり王都の住民なの?」
「税も納めていない輩を住民とは認めたくありませんが……いえ、それよりも、この一文だけを見ると彼は特に何の被害も受けていないようですわね……」
『鬱陶しいので視界に入るなと怒鳴りつける。そいつらは一瞬怯えたようだったが、その後は言われた通りに視界になるべく入らないようにしていた。しかしどちらにしろこそこそと背後から様子を窺っていたりするので、その気配が鬱陶しい事に変わりはなかった』
隣のページにはそう書かれていた。完全に一緒に住んでいる。
一体どういう経緯でこうなったというのか。
そこから数ページはそいつらに対する愚痴のようなものが書かれ、そして途中からはページがごっそりと抜けている。残されていた終わりの方のページには、
『名前を聞いてみたがどうやら無いらしい。豚のようだし鳴き声と合わせてブギーと呼ぼうかとも思ったが、何となく響きがゴキゲンなのでボギーと呼ぶ事にする。個体名というよりは種族名と考えるべきだろうか』
そう書かれ、そこで終わっていた。
「名前を聞いて? ……って、意思の疎通できてらっしゃるよ!? っていうかさっきまでの愚痴が一転して何か心の交流関係結ばれてるよ。一体この人何があってこうなっちゃったの……?」
「間のページで何か心の変化があったのかもしれません。……後で読み返してそこだけ気恥ずかしくて破ったのかも」
「いやぁ、私ならこの日記帳まるっと一冊処分するよそれなら」
「少し情報を整理してみようにも、結局わかったのがあの豚みたいなモンスターの名前がボギーという事だけでは……何の進展もありませんでしたわね」
持ってきた日記帳をモニカは楽譜が置かれている棚の方へと置く事にしたようだ。流石にこれを外に持ち出しても、対処に困るだろう。
「日記は一先ずここに置いて……と、イリス、この後はどうしましょうか?」
そう言ってモニカがこちらを振り返る。
どうするも何も、あと手元にある使っていない鍵は先程の奴が吐き出した物だけだ。できる事なら一度洗ってから使いたい。洗えるような場所がこの館にあればそれでもいいが、厨房もトイレも水は出ないようだったしそれなら一度家に戻って洗った方が確実だろう。
まだ日没までは時間もあるが、今日は早めに戻ろうと提案するべくイリスが口を開きかけた時、
バタンッ!
と、勢いよくドアが開く。
「ギィッ!!」
「きゃっ」
「えっ?」
ドアが開いてから、ほぼ一瞬の出来事だったように思う。
ボギーがまたドアを開けてやってきたのは、ドアが開いた音で視線をそちらに向けたイリスにも理解できていた。
直後にモニカが小さく悲鳴を上げ、今度はそれにつられてイリスは視線をそちらに向ける。
楽譜が置かれていた棚に、矢が突き刺さっていた。
もう一度ボギーへと視線を戻す。
恐らくは、客室に置かれていたあのボウガンだろう。それを持ったボギーが矢をモニカに向けて撃ったらしい。
幸いボギーが小柄でボウガンの重さに耐えきれず狙いが定まらなかったのか、直接モニカに被害はなかったようだが、矢はモニカのスカートをかすかに裂いていた。そしてボウガンから矢を撃った直後、重さに耐えきれなかったボギーは尻餅をついていた。
いてて……と言いたげに腰をさすっている。
よたよたとボウガン構えてここまで来た事を考えると微笑ましい気がしたが、やってる事は一歩間違うと人死にが出るため洒落になってない。
被害はスカートが破れて穴が開いただけで、怪我はないようだ。
しかしモニカは無表情のまま、そのボギーを見下ろす。
「……殲滅のお時間です。覚悟はよろしくて?」
その言葉の直後、ボギーの身体が勢いよく吹っ飛んだ。




