突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込めばいいのか困ります
ドアを開け放ち部屋に入ってきたのは、館に入って早々見かけた豚っぽいモンスターだった。
とはいえ、最初に見た個体と同じものかは不明だが。
そいつはずんずんと部屋の中に入って来ると、びしっと手をこちらに向かって突き付ける。
「ギッ!! ギギー!! ギィギィ!!」
そうして何かを訴えるように鳴く。何を言っているのか、当然二人に分かるわけもない。
「……何だか怒ってる……?」
「一体何ですの?」
ただ困惑するしかない二人に、それはだんっと床を踏み鳴らす。怒りを伝えているのか、自分の言葉が伝わらない苛立ちか……ギィギィ言いながらだんだんと床を踏み鳴らしている。
そうしてひとしきり地団駄を踏んで。
くるりと踵を返すと一目散に部屋から出ていってしまう。
「……え、何どういう事?」
「さぁ……騒音撒き散らすな、という事だったのでは?」
どちらにしろ、この部屋には音のずれたピアノと古びた楽譜くらいしかない。
ここにイリスの祖父に宛てられた何かがあるようには見えなかったため、次の部屋に行こうとしたのだが。
「ギギィ」
先程この部屋に来た個体だろうか。そいつが何やら抱えて戻って来る。イリスはその抱えられているケースに見覚えがあった。前回クリスと来た時に見た、こいつらが入っていたケースとまったく同じ物である。しかし中を満たしているであろう液体が濁っているため、中に何が入っているのかまではわからなかった。
「ギーッ!」
がちゃん。
そいつが、持ってきたケースをイリスたちの目の前で床に叩きつける。
案外あっさりとケースが割れて、中の液体がどろりと床を汚していった。一連の流れにどういう反応を返すべきなのか、とイリスとモニカがお互い顔を見合わせ、どうしたものかと考えているうちに、またもそいつは部屋から駆け出していってしまう。
割れた中から異臭が漂うという事もないため、ただ単に癇癪を起こされただけにしか見えない。
割れたケースと中から出てくる液体に視線を向けて。それからもう一度顔を見合わせた。
「……見なかった事にして他の部屋に行きましょうか?」
「うん、それがいいんだろうね、きっと」
気持ち的にケースから流れ出てる液体を踏んでいこうとは思えなかったため、そこを避けて部屋を出ようとしたのだが。
ぐぇっ。ぐぉぇっ。
背後で何かの音がした。
今通り過ぎたばかりのケースがある位置から、というのは振り返らずとも理解できた。何だか酔って気持ち悪くなって吐きそうになってる人の声に近いような気がする。
正直嫌な予感しかしないが、このまま知らないふりで放置する方が後々面倒な事になりそうな気がして仕方なくそちらへと視線を向けて。
「うわっ」
「まぁ……」
顔を顰めるのはお互いほぼ同時だったように思う。ケースの中に入っていた生物らしきものが、流れ出ているどろりとした液体の上でぬっちょぬっちょと蠢いていた。
「気持ち悪い……」
「まだ先程のモンスターの方が可愛らしいですわよね」
これも恐らくはモンスターなのだろう。大きさは人間の赤ん坊くらいだろうか。どろりと半分溶けた蛙のようなモノが、のったのったとこちらに向かって進んでくる。
ぐぇっ。びしゃり。
先程の呻き声のようなものは、やはりこれが発していた声のようだ。そして口からどろりとした液体を吐き出す。
少し遅れて、吐き出された体液からじゅうと音がして――
「床溶けてるー!? え、何こいつ酸? 酸吐き出したよね今」
「イリス、よく見て下さい。羽っぽいの生えてますよ、あれ」
「注目すべきはそこ!?」
言われてよく見てみると確かにそいつの背には羽らしきものがあった。
しかし鳥のような羽毛がふわふわとしたものではなく、どこもかしこも粘液にまみれてげちょげちょのぬめぬめである。飛べるとは到底思えない。何だ、それはこいつなりの精一杯のお洒落なのか。ちょっと、いやかなり理解できない。
「ダークブリンガー」
モニカが術を発動させる。あ、それ武器の名称じゃなくて術の名前だったんだ。以前感じていた疑問が解消される。そいつの真下から影が真上に向かって伸びる。剣の形のようになったそれは、あっさりとそいつを貫いた。
「……体液が酸だと下手に斬りかかろうものなら武器が駄目になってしまいますわね。スライムか何かの亜種でしょうか」
「え、スライムって名前可愛らしいけどこいつと同じようなものなの?」
「あれも体内に獲物を閉じ込めて消化したりしますもの。生半可な剣だと錆びるどころか溶かされてしまいますわ。かといって素手で殴るなんてもっての他ですし」
「そうなんだ」
実物を見た事がないのでスライムという名前からゼリー状のぷよぷよとした可愛らしい何かを想像していたのだが、実際はかなり程遠い代物のようだ。
「それじゃあこの手の魔物は魔術で退治してんの? 術使えない人とかどうしてんの?」
「グレンは普通に斧でこう……衝撃波とか飛ばしてサクッと退治してますけど」
「一兵卒にできない芸当の話されましても」
術を使えない代表で当たり前のように出された名は、よりにもよって琥珀騎士団団長だった。
イリスも何度か見かけた事があるが、あの人は魔術が使えなくてもそりゃ強いだろうよと思ってしまう。というか、恐らくこの国一番の力持ちとかそういう称号を得ていそうな気がする。ドラゴン素手で殴って仕留めたとかいう噂もあるくらいだ。そこまでいくと力持ちとかそういう問題じゃないような……まぁこの際それはどうでもいい。
グレンについて詳しく知ろうとするなら、もう少し落ち着いてからモニカに聞けば済む話だ。
「……とりあえず、他の部屋行こうか」
「そうですわね」
二階の洋服があった部屋のように貴重品がありそうなら鍵をかけていくつもりだったが、この部屋は別に鍵をかけなおす必要もないだろう。
部屋から出て正面、一階と二階にトイレがあった位置にも扉が見えたのでそちらへと向かってみる。
この階のこの場所は、どうやらトイレではないようだ。
かちりと小さな音がする。二階で見つけたもう一つの鍵はどうやらここの鍵だったようだ。
「ギィッ!?」
「またお前か」
「イリス、さっきのと別個体かもしれませんわ」
「それ以前に鍵かかってるのに部屋にこいつらどうやって入ってるの」
室内に足を踏み入れるなり、またも例のモンスターと遭遇する。
二階の使用人部屋は壁に穴が開いていたし隠しスペースもあったしでまだわからないでもないのだが、この部屋はそんな隠しスペースがありそうにも見えない。見え見えだったらその時点で隠しも何もないのだが。
「……って、これ洗濯物……?」
天井付近に張り巡らされた紐に引っ掛けるようにして干されていたのは、どう見てもシーツだった。
「この館、日当たり悪いですし外に出ても干す為の場所とか無さそうでしたものね。ここで干しても日当たり悪い事にかわりはなさそうですけど」
それよりこいつらがこれを干したのだろうか。そうだとするなら随分と頑張ったものである。
館に入った時に出くわした奴はこちらを見るなりすぐ逃げたし、先程の部屋の奴もとりあえず最終的には逃げたと考えていいのだろう。こいつもてっきり早々に逃げ出すのではないかと思ったが、逃げるつもりはないようだ。じりじりと距離を取ってはいるが。
「イリス、あれを見て下さい」
「……何故、こんな所にまで日記が」
モンスターの背後、じりじりと距離を取りつつも背に庇うようにしているのは、この館で何度か見かけた日記と同じ装丁の分厚いノートだった。




