どうやら完全に危険地帯のようです
焦げ臭い室内から出て、イリスは新たに発見した二つの鍵を見比べる。
どこの鍵かはわからない。けれど恐らくは三階のどこかの鍵だろう。
しかし今すぐ三階へ向かおうという気分にはなれなかった。たった三部屋見ただけで、何だか一日分の気力を使い果たした気分だ。
「ふむ、どうやらお疲れのようだね。もう帰るかい?」
「はい……と言いたいところなんですが」
あくまでクリスは無理強いするつもりはないようだ。というか、一応当初の目的の館の中を見て回るというのが達成されているから、という理由なのかもしれないが。
本当ならさっさと帰りたい。雨のせいで元々憂鬱な気分だったが、そこに色んな意味でずどんと精神的にきた。
だがしかし――
「一つ、確かめておきたい事があるんだけど……いいかな?」
何だかとても嫌な予感がするのだが、一人で確認する勇気は無い。
確かめたい事、というものに心当たりがないのだろう。クリスは二呼吸分ほどの時間を置いて、
「構わない、けど……それがもし危険そうなら遠慮なく止めるよ」
やや言葉を選びつつこたえた。
「危険そうだから人がいる時に確かめようって思ってるのに止めるとか、何それ一人で調べろと!?」
「何を確かめるのかわからないうちからホイホイ安請け合いできるか。まず何を確かめたいのかそれをちゃんと言えって言ってるんだ」
ある意味もっともな事を言われる。少し考えるように視線をあちこちへ彷徨わせて、イリスは先程入った部屋の方へと向き直った。
「さっき入った三部屋のどこでもいいんだけど、もっかい入ってみていいかな」
「目ぼしいものは何もないと思うけどね」
どこでもいいと言いながらも、たった今出てきた部屋を避けて最初に入った3の部屋へと入る。
2の部屋は壁に小さな穴が開いているため、恐らくはそちらにも焦げた臭いが漂っている事だろう。
どちらにしろその部屋には危険な物は無かったため、クリスも特に反対する事なくもう一度足を踏み入れた。
相変わらず狭苦しい部屋である。部屋に入り、イリスが向かったのはベッドでもクローゼットでもなく、机のある位置だった。
「また日記でも読むつもりかい?」
「ううん、そうじゃなくて」
言いながらも、イリスは机から少し横に移動して壁をじっと見る。小首を傾げて見ているが、そこにあるのはただの壁だ。
「……イリス?」
一体何を見ているのだろう。壁……だよな? まさか壁以外のモノが見えているとか言い出さないよな。どうしよう精神的疲労のせいで幻覚とか見え出したりして……いやいやまさか、流石にこの程度でそこまでの事態にはならないだろう。
そんなクリスの考えなどイリスは当然知るはずもない。何が見えているのかはさておき、イリスは何かを決めたようだった。小さく頷く。
「せーのっ」
ごりめりっ。
一体何をするのかと思いきや、イリスは手にしていたバールを壁に向かって振り下ろす。
木造の壁は、あっけなくその部分に穴を開けた。
「おい一体何してんだ……」
「……ぬ、やっぱりか」
確信を得たように頷くイリスが、すいっと横に避けて手招きする。
「前に来た時にさ、レイヴンがこの館窓少なくないか? って言ってたんだよね。その時はあまり気にしてなかったんだけど」
「あぁ、窓ね。……言われてみれば使用人部屋には窓がなかったな」
「でもさ、この部屋っていうか使用人部屋全部に言える事なんだけど、玄関側に面してる部屋だから、窓はあるはずなんだよ。外から見上げた時は実際窓あったの見てるから間違いないのに、いざ部屋に入ってみると窓なんてなかった」
何だか妙な圧迫感のある部屋だとは思っていたが、窓の有無までは気が回らなかった。そしてクリスはわざわざ館を見上げたりもしていなかったので、外側から窓が見えていた事すらも記憶にない。何度かここに来ているイリスだからこそ気付いたのだろう。
「……それで、隠しスペースがあるかもしれんと踏んだわけだ」
「そう、で、ここから窓が見えるんだけど、何か他にも変なのが見えるんだよね。これ何だろう?」
「どれだよ」
言われるままに、穴を覗き込む。確かにそこからは窓が見えた。
そして壁際に取り付けられるようにしてずらりと並ぶ何かのケースが見えた。本来の壁と偽の壁に挟まれているため開いた穴からでは薄暗くてハッキリとはわからない。ただ、とにかく嫌な感じだけはした。
「もう少し穴広げる?」
「いや、イリスは少し離れてろ」
「う、うん……」
実際のところ、イリスも何らかの嫌な予感はしていたのだろう。素直にベッド側の方へ移動する。
それとほぼ同時に、ぱきぱきと乾いた音が響く。卵の殻を砕いたような音が、すぐ近くから。何だかとても嫌な感じが先程以上にする。クリスもまたイリスのいる方向へとやや身体をずらして、背に庇うような位置へと移動した。
念の為レイピアを構える。
ぱりん、と何かが割れる音が聞こえたのと、じゅわっという音がしたのも同時だったように思う。壁から白い煙が上がる。先程ちらりと見えたケースの中に何らかの液体が入っていたのだろうか。てっきり壁が溶けるという現象が起こるかもしれないと思ったのだが、
「ギィッ!」
「ギャッフー!!」
ばきゃっ。
予想に反して壁は内側から出てきた連中によって粉砕された。
「え、何これ気持ち悪っ!」
「さっき見たのと同じやつらだな」
それは確かに豚に見えない事もなかった。子豚を二足歩行させたらこんな感じかもしれない、といった風貌の生物がギィギィ鳴きながら壁をぶち破って次から次に出てくる。
しかし豚はよく見れば意外とつぶらな瞳をしていると思えるが、こいつらの顔はどう頑張って贔屓目に見ようとしても悪人面だった。ついでに豚に牙はない。猪ならまた話は違ったかもしれないが。
壁から飛び出した時にクリスに近い位置にいた個体はレイピアの餌食となるも、いかんせん数が多い。
「サンダーストーム!」
「ギャッ!?」
クリスが発動させた術が室内を蹂躙する。雷に打たれた直後、感電してぴくりとも動かなくなるものと、消し炭となり跡形もなくなるものとに分かれたが、どちらにしろあまり頑丈な生物ではないようだ。
「……こいつらは焼いても食べられそうにないですね」
「そういう発想に真っ先にいくのもどうかと思うよ」
「いや、見た目豚っぽいからもしかしたらいけるかもしれないよ。……顔さえ見なければ」
最後の方でそっと目を逸らして言うイリスに、それはつまり、もう顔見てる時点で無理という事ではないのか? と思いつつもクリスは室内を見回した。色々と酷い有様だ。
「ところでイリス。私の気のせいであって欲しいんだが、先程こいつらが壁ぶち破って登場した時に聞こえた声とここにいるこいつらの数、若干合わないような気がしないか」
「……隣の部屋とその隣の部屋にも出たかもしれないって事ですよね、言いたい事。
……多分出たんじゃないかな、っていうか何かそこかしこでぱたぱた足音してるんだけど」
「……一体何匹いるんだ。イリス、これから部屋を出るわけだけど、なるべく私の背後にいるように。いいね」
「サー、イエッサー」
この状況だ。何が起こるかまるで予想がつかない。言い含めるようなクリスに対して、イリスは真面目な顔で敬礼していた。
てっきり部屋を出た直後に襲い掛かってくるものだとばかり思っていたが、廊下には一匹もそいつらの姿は見えなかった。耳を澄ませば足音は聞こえるので、いるのは確実なのだろう。
「……逃げ回ってる、のか?」
「一応相手の力量判断する知能はあるんですかね。本能的なものとか」
念の為残り二つの使用人部屋を開けて確認してみる。
やはりこちらの部屋の本来の壁と後から作られた壁の間にも、ケースが並んでいるのが確認できた。恐らくはこのケースにあのモンスターが潜んでいたのだろう。
「……いや、何かもういいや。考えるの後にしよう」
「帰りたいけど、こいつらって館の外とか出ちゃいますかね……?」
「見回り強化してもらうように伝えとく。たいして強くないからまぁ、騎士なら遭遇しても問題ないだろ。肝試し感覚でここに忍び込むようなのに関しては……最近は壁の穴も塞がれてるし大丈夫だと思いたい。
強行突破するような奴に関しては何かあっても自己責任、自業自得だ」
流石に逃げ回る相手を追い掛け回してまで退治する気力はクリスにも無いらしい。げんなりとした表情を浮かべている。
「イリス、私の方からモニカたちに今回の事伝えておくから、次この館来る時はまず公園に立ち寄るように。なるべく誰かは時間を空けていけるようにしとく。……時間は大体昼くらいで問題ないね?」
「そうですね、とっても助かります」
姿は見えないがあちこちでギャッフーとややご機嫌そうな声が聞こえ、イリスもうんざりした表情を浮かべていた。
流石にイリスも理解するしかない。もう完全に一人で来てはいけない館になってしまったという事は。




