平和なはずの場所にするっとモンスターが出てくるのはどういう事なんでしょう
予想していた通り、1の鍵が該当する部屋もまた使用人部屋のようだった。
最低限の家具、最低限のスペースと、まるで何か間違い探しをしているような気分にさえなってくるその室内へと足を踏み入れて。
「おや、今度はノートじゃないんだね」
机の上に無造作に千切られたノートの一部が置かれている事に気付いたクリスの横から、イリスもその紙切れを覗き込んだ。
これも日記の一部なのだろう。やはり日付は記されていないが。
そこにはWを名乗る人物から館を譲り受け、こちらに越してきた直後であろう内容が書かれていた。
少々古い館だが、それなりに手入れはされていた事。家具のいくつかは残してあるが、不要ならば処分してくれて構わないとの事。好きなように使ってくれて構わないと言われた事。
そこにあった紙切れからは、これ以上の情報を得る事はできなかった。
「……偽装の可能性も考えたが、これが本当ならこの館の正式な所有者はやはりロイか」
「偽装って?」
「所有者をロイという事にして、実際はロイ本人が管理人だったんじゃないかとも思ったんだがな。Wが何者かは知らないが、そうやってロイを隠れ蓑にして何か悪事を働くという事だって考えられた……が、この様子だとその線も薄くなったようだ」
「……んん?」
それはつまりどういう事なのか。考えてもよくわからないイリスが首をかしげるも、クリスは苦笑するだけでそれ以上言うつもりはないようだった。
「引き出しの中には何もないか。……クローゼットの方確認するからイリスはベッドの下確認してくれるか?」
「りょーかーい」
正直あまり頭脳労働が得意ではないイリスは、それ以上考える事をやめ言われるままにベッドの下を覗き込んだ。最初の頃来た時のあの埃まみれっぷりは何だったんだと言いたくなるくらい、今では塵一つ落ちていない。
誰かがここにいるとして、その人物は相当綺麗好きのようだ。……と考えたが、それでは何故最初の頃はああも荒れていたのか。その頃はまだいなかった? つい最近ここに来て、それから掃除を開始したというのならばわからない事もないが、それにしたって――
またぐるぐると考え込みそうになっていたイリスだったが、クリスがクローゼットを閉める音で我に返る。
「こっちには何も――ッ!?」
クローゼットを閉めてイリスの方を振り返ったクリスの言葉が不自然に止まる。それから後の事は、ほぼ一瞬だった。
「焼き払え、イグニートジャベリン!」
クリスの右手から迸る炎が、イリス目掛けて飛んできた。
思わず身を固くするイリスの横ギリギリを通り過ぎたその炎は、クリスが発動させた術で間違いない。
そして背後でジュッと何かが焼け焦げる音と、「ギィッ」と何かの悲鳴が聞こえた。
ぎぎぎ、と音がしそうな気がしたが実際はそんな事もなく。
首を動かして背後にあるであろう何かを確認する。イリスの背後、すぐ近くで何かが焦げた跡だけが残されていた。
「…………あの、一体何があったんですか?」
「…………」
何が何だかわからないままに、イリスが問いかける。クリスの表情が随分と険しい。
何かがいたのは何となくわかる。しかし消し炭と化しているので、それが何だったのかはイリスにはわからない。
それ以前に、生物を一瞬で消し炭にしちゃうとかクリスの魔術の威力は実は相当高いのか……? それともそういう術なのか? 魔術に詳しくないイリスにはそれすらよくわからないままだった。
しばし沈黙していたクリスだったが、流石に何もなかったで済ませるのは無理だと思ったのだろう。どこか困惑したように口を開いた。
「いや、正直よくわからん」
「え? 何どういう事?」
「振り返ったらイリスの背後に何か変なのがいたからつい反射的に。いや、詠唱も適当に端折ったから牽制程度になるかと思ったら予想以上の威力にちょっと自分でも驚いてた」
「……え、驚くところそこ?」
「いや、結構重要だぞ。普通は複数の術同時発動なんぞしたら通常より威力弱体化するくらいだし。というかまず制御難しくて失敗する場合だってあるし」
「……あぁ、そういや室内どころかこの階全体明るいのはクリスの術があるからだもんね。……何かすっかり当たり前のように受け入れてたから忘れてた。実はクリスって相当凄い魔術の使い手?」
「じゃなかったら真紅騎士団の団長なんて務まらないよ」
イリスの中で少しだけクリスに対する見方が変わる。同時に、モニカがもう少し真面目にしてくれていれば……と嘆いていた理由が凄く理解できた。
「で、結局その、私の後ろにいたっていう変なのって?」
「んー、何というか……豚? っぽかったな」
「豚……ですか」
「あぁ、これくらいのサイズだから子豚に見えた」
これくらい、と言いながらクリスが手で示してみせた大きさは、大体20~30センチくらいだろうか。
「それが二足歩行してたな」
「豚がですか」
「で、顔が何て言うか凄く邪悪な面構えだった。だからこそ咄嗟に焼き払ったわけだが」
「……それ、本当に豚ですか?」
「豚っぽかった、とは言ったが豚だとは断言してないぞ」
「えぇと、それ世間で言うモンスターってやつじゃないですか?」
「だろうな」
さらりと肯定するクリスに、イリスはがっくりと肩を落とした。そんなさらりと……いや、それ以前にモンスターがここにいるという事実はおかしすぎやしないか!?
「ここ王都ですよね」
「あぁ、他国と比べて騎士の数がやたらと多い騎士国家と言われてる王都で間違いない」
「その王都の中にモンスターってかなり問題じゃないですか?」
「由々しき事態だろうな」
「って言うわりにそんな感じ一切しないのはどういう事ですか」
「初めて見るタイプのモンスターだったからちょっと実感が沸いてないだけかもしれん」
クリスの記憶に、今見たタイプのモンスターはいなかった。少なくとも、王都周辺のモンスター討伐などで見かけた事は一度もない。新種か、もしくは他の地域から流れてきた種か。しかしそれがいとも容易く王都の内部に入り込むというのは、かなり不自然である。
王都をぐるりと囲む壁のおかげで、大抵のモンスターはそう簡単に侵入できないようになっている。とはいえ、壁に出来た破損部分から小型のモンスターが侵入する事も稀にあるが、大抵は即騎士団に発見され速やかに討伐される。こんな風に建物の中にまで侵入するという事態が既に異常とも言えた。
「恐らく先程の足音の主なんじゃないかと思っている」
隣の部屋で聞こえた足音。部屋に入った時に忽然と消えた足音の主。
壁に開いていた穴は子供でも通るのが難しい小さな穴だが、クリスが言ったサイズの生物なら通れない事もないだろう。
……では、以前モニカと来た時に聞こえた足音の主も、クリスが焼き払ったのと同じだったのだろうか。
「ふむ、ただの噂だと思っていたが、意外と事実なのかもしれないね。この館の噂」
「えぇとそれってつまり……」
「過去いくつかあった行方不明人の何人かは、本当にここで死んだ可能性もゼロじゃなくなってきたって事さ」
ただの老朽化が進んだ館だとばかり思っていたが、何だかどんどん危険度が増してきているのは気のせいではないだろう。今更ながらに、最初に一人で来た時よく無事だったなと心の底から思う。




