真紅の魔術師はかく語りき
王国歴1005年 春 某月某日 快晴
アーレンハイド城、瑠璃騎士団団長執務室にて。
数日雨続きだったためここしばらくはほぼ室内に篭りきりだったがその分片付いた書類を纏め、モニカはふと窓の外を見た。
ぬかるんだ地面はさておき、草木についた水がキラキラと日の光を反射してその眩しさにモニカは思わず目を細めた。
あれから数日、イリスは一体どうしているだろうか。
イリスが館に向かう時間は大体昼くらいからだ。だからこそ、なるべく時間が取れたらそのくらいの時刻に公園へ足を運んでいたのだが、あれ以来イリスとは会っていない。流石に一人で館へ行くという事はないだろう。
何者かが潜んでいるかもしれない、ただの老朽化しただけではなさそうな館に一人で行くなど流石に……いや、あの後イリスの中で何らかの考えがあってぶっ飛んだ行動に出る可能性が無いわけではないが、それにしても……だ。
流石にあの雨の中、外出しようという気にはならなかっただけかもしれない。
きっと大人しく家の手伝いなどをしていたのだろう。
そうに違いない。そう思いたい。
さて、書類を提出して公園に足を運んでみようか。
雨も上がったし、もしかしたら公園にイリスがいるかもしれない。用があるなら訪ねてきてくれて構わないと言った事もあるのだが、イリスは今まで一度も訪ねてはこなかった。妙なところで遠慮する友人である。
この場にイリスがいたならば、遠慮違うと全力で否定しそうだが残念ながらいないためモニカの中ではイリスは遠慮がちで控えめな友人、という扱いである。誤解って恐ろしい。
「――はい? どうぞ」
控えめにドアがノックされたため、提出しようと思い持っていた書類を一度机の上へ置いた。
大分片付いたと思ったのだが、まだ書類が追加されるのだろうか。勘弁してほしい。
「やぁモニカ。ご機嫌麗しゅう」
しかしモニカの予想を裏切って入ってきたのは、自分の部下でもなんでもなかった。
腰まである赤い髪が真っ先に目につくが、女性ではない。
赤い騎士の制服に、髪も目も赤。全体的に目に痛々しい色彩の青年。マントだけが空の色のように鮮やかな青だが、それで目に痛々しい色彩が中和されるというわけでもなく。
「……一体何の用ですの? クリス」
クリストファー・フォンラート・シモンズ――アーレンハイドに六ある騎士団のうち真紅騎士団の団長である彼がこの場にいるのは、何らおかしな事ではない。瑠璃騎士団と同じようにどちらかというと他の騎士団のサポートに回る事が多い真紅騎士団とは、度々合同演習や周辺諸国への遠征、定期討伐など共に行動する事も多く、その為の会議などで顔を合わせるのはよくある事なのだから。
「いやいや、大した用じゃないんだけどさ。今時間いいかな?」
「……なるべく手短にお願いしますわ。わたくしこれから少し出かけますので」
「……ふむ、お出かけ先は公園かな? 今日は生憎例の少女はいないと思うよ」
例の少女、それは言うまでもなくイリスの事だろう。
彼に直接イリスの事を話した覚えはないが、それでも耳にする機会はあっただろうし彼がイリスの名を知っている事は不思議ではない。というか、名前だけなら恐らく自分のせいで他の騎士団長も知っているだろう。
イリスが知ったら何それ怖いと言い出しそうだが。
「どうしてそう言えますの?」
「……これ以上は手短に済みそうにないからね。一応用件はそれだけになるのかな」
はははと爽やかに笑ってみせるクリスに、モニカは知らず自分の拳をぎりっと握り締めていた。真面目にしてくれていれば頼りになる人物なのだ。だがしかし、この男のこういう部分が気に喰わない。クリスを見上げる視線にも剣呑な何かが宿ったのを自覚したが、それを向けられている当の本人は何でもない事のように受け流している。
「ふむ、先程の言葉の一部を訂正しようか。もしかしたら重要な要件になるのかもしれない、と」
「……わかりました。聞きましょう」
クリスの言った言葉の意味が、騎士団にとっては然程重要ではないかもしれないがモニカ自身にとっては重要であると暗に示している事を理解すると、モニカは自ら握り締めていた拳を解いた。
「そうか。それじゃちょっと場所を変えよう。ついてきてくれ」
「――え?」
何故場所を変える必要があるのだろうと思いつつも、この場で話すつもりはクリスには全くないのだろう。モニカが何らかの異を唱える間もなく彼はさっさと部屋を出ると、すたすたと歩いていってしまう。
「あ、ちょっと!?」
仕方なしに、モニカも急いでその後を追った。
――アーレンハイド城 白銀騎士団団長執務室
雨上がりの晴れた外とは打って変わって、室内の空気は決していいものとは言えなかった。
数分前にクリスが唐突に訪れて、レイヴンを残して「二人はしばらくここで待機」などと言い残して去ってしまったからだ。
お互い別に仲が悪いというわけでもないが、普段から仲がいいというわけでもなく。いつまでこのままなのだろうか、とお互いが胸中で思いつつ、何とも気まずい状態のまま無言で椅子に座っていた。
そもそも仕事上での関わり合いしかしない程度の間柄だ、待っている間に和やかに世間話をするというような事もない。そのせいで、気まずい思いをしているようなものでもあるが。
「やぁやぁお待たせー」
その気まずい状況を打破する救世主の登場は、意外とすぐの事だった。……この現状を作り出した相手を救世主と呼んでいいのかは疑問だが。
「わたくしたちを集めてどういうつもりですの? クリス」
クリスに続いて入ってきたモニカの表情は、既にこの部屋にいた二人同様困惑に満ちたものだった。何かの会議でもないのに騎士団長が四人も揃うという状況は、少々異常とも言える。
「私の知る限りの関係者を集めたらこうなっただけの事だよ。はいはい、モニカもまずは座って座って」
「関係者……ですか? 一体何の関係者だというのです」
モニカに椅子を勧めるクリスに、だったら自分の執務室に集めればいいじゃないですかどうしてわざわざここなんですと問い詰めたい気分だったが、聞いても無駄だと理解しているのかアレクは若干諦めがちに聞き返した。
「うん? あぁ、私も昨日行ってきたんだ。例の『帰らずの館』にね」
「どういう事ですか!?」
「何ですって!?」
咄嗟に反応したのはアレクとモニカだった。レイヴンはちらりとクリスに視線を向けただけで何も言わない。クリスの予想では真っ先に何か言い出しそうだった相手が何も言わない事に、思わず視線を向けてしまう。しっかりばっちりかち合った視線からは、特に何も窺い知る事ができない。
「……それはイリスと、という意味か」
「そりゃまぁ、私は鍵なんて持ってないからね」
「イリスは……怪我とかしていないか?」
「私と一緒だったんだぞ? 有り得ない」
「ならどうでもいい」
興味は失せたとばかりに視線をそらすレイヴンに、クリスは思わず苦笑を漏らす。
「果たして本当にどうでもいい事かね。あの館、噂に違わぬ危険な場所だぞ」




