帰って来た日常
王国歴1005年 秋 某月某日 晴れ
――あれから数日が過ぎた。
両親には叱られるだろうと思っていたイリスだったが、一緒についてきたアレクとモニカの説明によって叱られる事態は免れた。事件に巻き込まれていたという事を知った両親の反応は、母はあっさりと、父は恐ろしく狼狽えていた。
とりあえず無事に帰ってきたのならばそれでいい、とある意味男らしくのたまった母とは違い、巻き込んだ相手がウィリアムであるという事実に父はとにかく狼狽していた。まさか仕事の付き合いもある身近な人物がそんな事をするなどとは思ってもいなかったようだ。まぁ、そんな事をするような人物に見えていたのなら付き合いなど早々に打ち切っていただろう。
イリスが家に帰らなかった事を両親共に周囲にあまり吹聴しなかった事もあり、そして捕らえたウィリアムも既に城の方に連れていかれたという事で事件があった、などとはあまり周囲に知られる事はなかったようだ。これが大事になっていたならば、ご近所さんやらに色々と話を振られてイリスのみならず両親も面倒な事になっていただろう。
そういう意味では内密に済ませる事ができてよかった、と言うべきか。
家に無事帰ったイリスは、その日は早々に休む事にした。
久しぶりの母の手料理を食べ、お風呂にのんびりと浸かったあとは自分の部屋のベッドでぐっすり眠る。そんな当たり前の事が、酷く懐かしく感じられた。
しかし翌日から数日、イリスは寝込む事になった。
家に帰って来た事で気が緩んだのだろう。本人の知らぬうちに色々と張り詰めていたものがなくなったからか、翌日起き上がろうとしたイリスは足下のバランスを何が何だかわからないままに崩し、盛大に倒れ込んだ。
その時の物音でやって来た母曰く、多分今までの疲れが出たんだろうとの事。
思い返せばあの邸にいた時は睡眠もとっていたし食事もあったけれど、食事は缶詰と水だけだし暗くなったら早々に眠りについていたとはいえ、ウォルターに見つからないようにクローゼットの中に隠れ、少々無茶な体勢で眠っていた。更にはいつ襲われるかわからないため、浅い睡眠。疲れなど取れるわけがない。
数日安静にしていれば治る、と母に言われたため、起き上がろうとしていたイリスは再びベッドへと戻るハメになった。
その後の母は消化にいいものを作ってくれたり、父も仕事帰りに果物を買ってきてくれたりとじつに至れり尽くせりだったと言えよう。
そうして数日。
ようやくふらつきもせずに歩けるまでに回復したイリスは、久しぶりに外へ出た。
収穫祭が始まる前は昼間だとまだ暑さが残っていたのだが、いつの間にやら昼間であっても少しばかり空気が冷たく感じられる。残暑も過ぎてすっかり秋か……と思いながらイリスが足を運んだのは、比較的よく訪れるカフェだった。目当ては当然――フルーツたっぷりのタルトである。
収穫祭で出る色々な食べ物を楽しみにしていたのに、結局参加できたのは初日だけ。まだまだ見たかった物や食べたかった物はあったのに、今年はそれらを満喫する事ができなかったのだ。これから冬になる前に、せめて今からでも秋の味覚を堪能しようという算段である。
他にも色々と食べたい物はあったのだが、出かける直前に母に釘を刺されたため今回はタルトだけにしておくことにする。
「――来たか、イリス」
いざ、店内へ!! そう思った矢先、背後から声をかけられる。
「……待ち合わせとかそういうのはしてないんだけど……なんでここに来るってわかったの?」
振り返らずとも声の主はわかっていたが、だからといってそのまま声をかけるのは失礼だろうと思い振り向く。
「何年一緒にあちこち食べ歩いたと思っている。それくらいの予想はつくさ」
そう言ってこちらに突きつけるように差し出してきたのは、この店のケーキ全品20%割引券だった。指の間に二枚、挟まるようになっているそれをイリスは一枚だけ掴んで受け取った。そうしてお互いにこくり、と小さく頷いて。
二人揃って店内へと足を進めた。
「そういえばあれから数日経過したが、ウィリアムは今の所ほとんどの事を黙秘しているといっていい状態のようだ」
秋限定フルーツタルトを満喫し、食後の紅茶を飲んでいるイリスに思い出したようにワイズが告げる。ようだ、と伝聞系なのはワイズ本人が彼の取調べなどに参加していないからだろう。
「やった事に対しては認めているようだが動機あたりは完全に黙秘していると、クリスが嘆いていた」
同じく食後の紅茶を口にするワイズだが、その表情は特に困った風でもなくただの世間話をしているだけ、というようないつも通りのものだった。
「いっそ拷問にでもかけて無理にでも吐かせようと思わないでもなかったようだが、恐らく効果はないだろうな。だからこそ余計に手を焼いているみたいだが」
食べ終わってからで本当に良かった。あっさり拷問などという単語が食べている時に出て来ていたらタルトの味もわからなくなりそうだ、そう思う。
「なんでこういう事をやったのか、っていう動機ってあれじゃないの? ほら、えぇと、エルトリオ戦役だかでうちのじいちゃんがもう一人の英雄だったかもしれない説とか」
「それで目をつけたのは先代、つまりウォルターの方だろう。ウィリアム本人の動機ではない。彼がウォルターに手を貸した理由……まぁきっと、大した理由じゃないだろうなとは思っている」
飲み切って空になったカップに新たに紅茶を注ぎ、ワイズはそこに今度はミルクを足した。
「これは推測が多分に含まれているから、話半分で聞いてくれて構わない。……あぁ、何かケーキのおかわりはするか?」
その言葉に話が長くなるのだろう、と理解はしたが母から釘を刺されているため首を横に振った。かわりに、紅茶のおかわりを貰う事にする。
「まず事の発端がエルトリオ戦役だったというのは合っている。ギリアムの死、発端はまさしくそれだった」
ギリアムって誰だっけ? と一瞬考える。あぁそうだ、英雄と呼ばれていた本来の人物だ。英雄という単語ばかりが先行しすぎてうっかり忘れていたが、とりあえずイリスは神妙な顔をして小さく頷く。
「フラッドの親戚筋らしいが、どのみちフラッドが生まれる前に死んでいる。だからこそ当時の話はあまり知らない……が、どうやらギリアムとウォルターは親友だったらしい。とはいえウォルターはエルトリオ戦役が始まる前に事故で足を負傷し、騎士団を抜けていたためエルトリオ戦役に参加はしていなかった。
戦友の死、ウォルターが不老不死だの死者蘇生だのといったものを研究し始めたのはほぼこれが原因だろう」
事の発端が五十年前とか何それ怖い。とうっかり口にしそうになったが、話の腰を折っていい雰囲気ではない。ワイズと同じようにミルクティーにした紅茶をそっと口にして、言葉ごと飲み込んだ。
「とはいえ、だ。実際に死者を生き返らせるだの不老不死だのそんなものが人の手でできるわけもない。その研究の途中でウォルターもそれは気付いていたと思う。その事実に目を逸らして行われたのが――恐らく人よりも強い生命体を生み出そうとしたか、新たにギリアムを創ろうとしたか。結果として人体を元にしたモンスターなんてものが出来上がった。素材に人を使わないものもあったとは思うが、まぁそこら辺を詳しく追求する意味はないな、今のところ」
「それで巻き込まれた人の数とか……ううん、私が聞いても仕方のない事だね、それは」
「そうだな。こちらもそれはまだ把握しきれていないと思う。そうこうしていくうちにロイ・クラッズと出会ったウォルターはジョージ・エルティートに目をつけた。いや、時間軸としてはその前にイリスの姉に出会っているんだったか。偶然にしろ意図的にしろ、どちらにしても結果は同じだ。人体実験に使うつもりだっただろうしな」
改めて聞くと嫌な話だ。しかし結果としてジョージが行くはずだった館に足を運んだのはイリスだったし、ロイの目論見もウォルターの狙いも外れてしまっている。……いや、それ以前にその時点でウォルターは生きていたのだろうか?
森の奥の館で発見した日誌あたりでその頃には既にウォルターは先代と呼ばれ、ウィリアムが跡を継いでいたはずだ。ウィリアムからすれば実験材料にそこまでこだわるつもりはなかった、のだろうか。
「ウォルターが怪しげな研究に手を出した原因あたりはフラッドの推測だ。恐らく確定だろうとは思っているが、問題はウィリアムの方だな。いつどこでウォルターと出会ったのかさえわからない有様だ。
ただ、イリスが研究対象、もしくは観察対象になっていたのは確かだと思っている」
「私が? 何で私?」
そう言われて反射的とも言える速度で疑問を口にする。
逃げ足だけならそこそこ、と思ってはいるがそれだけでウィリアムが自分を狙う意図がわからない。英雄かもしれない、という意味でウォルターがジョージに興味を持ったまではいい。もっとも、本当に英雄かどうかはわからないが。
その血縁、という点で狙うにしてもそれだけでは理由が弱すぎる気がした。
「イリスを、というか正確にはイリスにくっついてくる騎士団の誰かが狙いだった、とも考えられる。実際館に足を運ぶ際、必ず誰か一人はいただろう。それもそこらの騎士ではなく団長が、だ」
「あぁ、要するに私、ちょっと豪華なオマケがついてるお菓子の方みたいな扱いか」
罠にしろモンスターけしかけるにしろ、騎士団長が相手ならば確かに色々研究するにはうってつけだろう。そこらの人間よりも強い相手だ。人体実験でも使えばさぞいいデータがとれるかもしれない、とウィリアムが考えても不思議ではない。
思い返してみれば去年に比べ今年はウィリアムと遭遇する機会が多かったようにも思う。もしかしたらそれとなくイリスの様子も探られていたのだろう。
「まぁ、つまりは今の今までウィリアムの掌の上だった、というわけだ」
「うん、今薄々そんな気がしてた所だから、そうきっぱりはっきり言わなくてもいいよ……」
最後の最後でその掌の上から逃れたものの、改めて言われてしまうとがくりと項垂れるしかなかった。




