改めての再会
一番奥の右側の部屋。
その単語を口の中で小さく繰り返しながら長い廊下を駆け抜ける。
途中にある部屋は今までに見た部屋だから、そちらに注意を向ける必要はない。ただただ一心不乱に目的地を目指す。
途中、背後の方でプギィという甲高い悲鳴のような音と、何かが――水か何かの液体を入れた革袋が破裂するような――そんな音が聞こえて思わず足を止めて振り返ってしまいそうになる。
ちゃんと逃げ切るって、わかったって言ってたのに……!!
思わず声に出して言いそうになるが、唇を噛み締めて堪える。口に出してしまえば、勢いのままに叫んでしまいそうだった。
いや、まだ……まだ決め付けるのは早いかもしれない。無理矢理にでもそう思おうとしたが、どうしても嫌な想像が頭をよぎる。もしその想像が当たっているなら、残された時間はあまりない。立ち止まってしまいそうになる足をとにかく動かして、目的の部屋へと向かう。
そこに辿り着くまでの間が、やけに長く感じられた。時間にしてそう経過はしていないはずだが、もう何時間も走っているような錯覚にさえ陥る。ふとある事実に気付いた。
先程までそこかしこにいたはずの虫たちが、いつの間にかいなくなっている。素足であれを踏む感覚は慣れる事もなさそうなので、いないに越した事はないのだが素直に喜べるような状況でもない。
数が減った、程度ならいいが全く見かけないというのは、何か嫌な予感がしてならない。
それでも足だけは何とか動かして目的の部屋へと辿り着く。なるべく音を立てないように開けたつもりだったが、気が急いていた事もあって思った以上に大きな音が出てしまった。先代が今どの辺りにいるのかはわからないが、聞こえていない事を願うのはやや楽観的だろう。
「……何も、ない……?」
悪足掻き程度にドアを閉めて、せめて居場所がすぐにわからないようにしたまでは良かった。
だがしかし、ボギーが言っていた部屋は本当に普通の部屋だった。
肩で息をしつつ、それでも部屋の中を見回してみる。確かボギーは役に立つような物はないと言っていた。それでも何とかなるかもしれない、と。
だからこそ、てっきり隠れる事ができるような……そんな部屋だとばかり思っていたのだが本当に何もないただの空き部屋だった。役に立つ物以前に、物が一つもない。
「え、ちょっとまって、こんな何もない部屋で何がどうなるっていうの……?」
それとも部屋を間違えたのだろうか? いやそれはない。確かに右だと言っていた。
ベッドどころかテーブルや椅子、などという物も何もない室内で、一体何をどうすればこの事態をどうにかできるというのか。土壇場でボギーの嘘に騙された? 一瞬よぎった考えを、頭を振って否定する。本当に奥まで来てしまった以上、更に進むという事はできない。できるのは引き返す事くらいだが……先代と鉢合わせるのは火を見るより明らかだ。
戻る事もできない以上、この部屋でどうにかするしかないのだろう。ボギーは一体何を思ってこの部屋へ行けと言ったのか……その意図がわかればどうにかなる、はずだ。
考える時間はあまり無い。その事実に焦りつつもイリスは部屋の中をもう一度、ゆっくりと見回した。
この部屋に唯一あると言っていいのはたった今開閉したドアくらいだ。床と天井を見て、次に壁を見る。窓一つもないためこの部屋は他の部屋に比べて一際暗いような気がした。目が慣れてきているためある程度見えてはいるが。
もしかして、とある事実に気付き、イリスはドアに背を預ける形で立っていたが部屋の中へを足を進める。
一番奥の部屋だとボギーは言っていた。そしてここがそうだと思っていた。
……だがもしそうじゃないのだとしたら?
イリスが初めてボギーと出会った場所――ロイ・クラッズの館にあった、モンスターを入れていたケースのようにこの壁の向こうに一番奥の部屋のドアが隠されていたとしたら?
壁を壊す道具も何も持っていないが、この状態のイリスにボギーが行けというくらいだ。素手でどうにかなるのかもしれない。
もしそこに何もなければ――完全に手詰まりである。
万が一何もなかったとしても取り乱さないように、心を落ち着けるべく深呼吸を一つ。そうして踏み出した次の足は、固い床を踏みしめていたはずだったのだが……
「っ!?」
がくん、と足下が崩れるような感覚に何が起きたのかわからないまま、次いでやってきたのは衝撃。とはいえ、そこまでひどいものではなかったようだが。ばきりと大きな音がしたのは覚えている。何せたった今の事だ。
一体何があったのか。状況を把握するにはまだ頭が働いていないような気がする。
「……イリス……?」
「っ、いった……って、あれ?」
身体が感じたのは落下した感覚。……もしかして、床が抜けた? などと考えていると、すぐ近くから声がした。
「……レイヴン……?」
見間違いだろうか? いや、確かにそこにいたのはレイヴンだった。その表情には僅かだが驚きの色が浮かんでいる。
「……大丈夫か?」
驚きのせいかやや目を見開いているレイヴンが、近づいて手を差し伸べてくる。その手を見て、もう一度レイヴンの顔へ視線を向ける。
「……少し、痛いかな。私これどう考えても落ちたよね」
レイヴンから今度は視線を真上へと向ける。するとやはりと言うべきか、先程まで床だった場所――こちらからしたら天井か――には穴が開いていた。魔導器のせいで壁や窓に穴を開けたりできないくせに何で床(天井か)に穴が開いたのか。そこら辺に疑問が残る所だが、今そこを掘り下げて考えている余裕はないだろう。
「でも、落っこちたわりにそこまで痛くない……かな?」
「あぁ、それアレクが下敷きになってるからだと思う」
「――は?」
あまりにもあっさりと言われたため、一瞬何を言われたのか理解できずに随分と間の抜けた声をあげたように思う。
下敷き? 誰が? アレク様が?
徐々に理解しだした脳と、理解しだすと同時に視線は自然と下へと向けられて。
そこにはレイヴン同様驚いたような表情でこちらを見ているアレクの姿があった。向かい合うような、というよりはイリスが落下した場所にたまたまアレクがいて運がいいのか悪いのかは別としてアレクの腹あたりにイリスが尻餅をつくような形で座り込んでいる、というべきか。
「わ、わ……すっ、すみませんすみませんッ!!」
事態を把握したと同時に、イリスは慌ててアレクの上から降りる。その際慌てすぎて足下からバランスを崩しべしゃりと無様に倒れ込んだ。
「イリス!? 大丈夫ですか!?」
その途端慌てて今度はアレクが立ち上がる。。
「うわはい大丈夫です知らなかったとはいえクッション代わりにしてホントごめんなさい」
倒れ込んだ姿勢から体勢を立て直し頭を下げる。
後のレイヴン曰く、それはもう見事な土下座だったそうだ。
「いえ、それは全く構わないのですが……すみません、こちらも少々反応が遅れてしまって」
しゃがみ込み、そっとイリスの腕に触れる。天井から降ってきた際擦りむいたであろう箇所に治癒術を発動させたアレクに、思わずイリスが顔を上げて。
「まさか、二度も貴女が降ってくるとは思わなかったもので」
困ったように微笑むアレクに、今度はイリスが驚きで目を見開く番だった。
「二度目って……それじゃ、あの時の……」
「覚えて……いえ、思い出していただけたんですね」
「え、あ……はい」
しっかりと断言していいものか曖昧だが、思い当たるのはただ一つ。少し前に見た懐かしい夢。
人様の上に振ってくるような事、そう何度もやらかした覚えはない。あれも確か五年前。アレク曰くイリスと出会ったのも五年前。時期は一致していた。
「すみません、あの時と今とじゃ全然雰囲気違いすぎて……」
夢で見た時はハッキリと覚えていたはずなのに、いざ目が覚めてみると騎士の外見なんておぼろげにしか覚えていなかった。白い制服、これは白銀騎士団の制服で合っているはずだ。黄金騎士団の可能性もあるが、遭遇する可能性は限りなく低い。金髪碧眼、それに該当する人物なんて王都には掃いて捨てる程いる。金髪碧眼の白銀騎士、となると掃いて捨てる程はいないかもしれないが、それでも該当する人物はそこそこいるのは確かだ。
よくよく見れば面影くらいはあるかもしれないが、それだけで思い出せと言われるとイリスには厳しいものがあった。
「いえ、いいんです。思い出していただけたのならそれだけで充分です」
無駄にキラキラした笑みを浮かべて言うアレクに、どういう反応を示せば良かったのだろうか。よくわからずに、困ったようにレイヴンへと視線を向ける。
うわ、何か面倒な事になりそう。
そう、言い出しそうな表情をされた。イリスも似たような感想を抱いたからこそ助けを求めたのだが、どうやらそこは無駄に終わりそうだ。




