心の整理はついたかい?
「――時々思うんです。あの時もし、イリスに会わなかったなら、と」
「正直嫌な予感しかしないが聞いておこうか」
黙殺する事も考えたが、そもそもこの話題を振ったのはレイヴンだ。今更何も聞かなかったふりはできないだろうと思い、やや躊躇いつつも先を促す。
「周囲の期待に応えようとしていた僕は、あの時点でかなり限界きてましたからね。いっそ何もかも無くなってしまえばいいとも思っていました。……あの時イリスに出会わなければ、そう遠くない未来にその考えを実行していたかもしれません」
「…………そうか」
穏やかに微笑んで言うセリフじゃない。突っ込みたいが突っ込んだ所でどうにもならない気がしてきて、レイヴンはしばしの沈黙の後、絞り出すように相づちだけを口にした。
気晴らしで単身魔物の巣に乗り込んで殲滅してくるような相手だ。当時の実力は今に比べて劣るかもしれないとはいえ、それでも油断できるものではない。そんな男が何もかも無くなってしまえばいいという考えに則り実行に移そうとしたならば、アーレンハイドが滅ぶまではいかないにしても惨劇が起こる事は確実だった。……いや、抱え込んでいた物が大きい分、もしかしたら当時の方が危険だったのではないだろうか。そんな風にさえ思える。
アレクはイリスに救われたと言っていた。
実際はイリスによって救われたのはアレクではなく、アーレンハイドではないだろうか。レイヴンはそう考えたが恐らくそれは間違ってはいないだろう。流石に本人も知らないうちに国を救った英雄になっているなんて事、予想も想像もしていないだろうからこの話自体話題にする事もないが。
イリスの祖父が英雄と呼ばれた相手かもしれない。そんな疑惑によってWに英雄の身内として目をつけられた可能性が高いイリスやその姉だったが、まさか本当に国を知らずに救ってしまった英雄になっていたなど、本人どころかWの方でも予想外だろう。
アレクが口にしたのは、恐らくアレクとレイヴンが似た立ち位置にあったからだろう。事実本人もそのように述べていた。ならばこの件はレイヴンが口を噤みさえすればこれ以上話が広がる事もない。
まず有り得ないがイリスが「世界を手中に収めたいからちょっと手伝って」などとアレクに言おうものなら喜んで魔王として君臨しかねない。アレクの中のイリスの立ち位置はそんな部分にあると言っても間違いではないだろう。この事実がWあたりに知られていたならば、きっともっと厄介な事になっていたはずだ。
よく考えなくてもアレクの周囲にいる人間が期待ばかりをかけなければ、こんな事にはならなかったのかもしれない。とはいえ、生まれ落ちた家の事を考えるとどうしてもそうなってしまうのも仕方のない事だった。
「…………救われたのはわかった。だが、その後一切接触がなかったのはどういう事だ?」
アレクの性格を考えると、その後もあれこれ色々と関わってきそうだがロイ・クラッズの館に行く事になった時までイリスの口からアレクの名など出た事はなかった。
となるとイリスとアレクが出会ったその時以来、全く関わっていないのは明白だ。下手をすればモニカに言われてロイ・クラッズの館に付き添う形にならなければ、アレクは今でもイリスと関わらなかったのではないだろうかとすら思う。
そこだけが不自然と言えば不自然だった。
「あの後割とすぐにイリスとは再会したのですが……向こうはこちらの事を覚えてすらいないようでしたからね」
「当時の事ならそれでも話しかければあっさり思い出してもらえそうだとは思うが」
「でしょうね。ですが、その時の私にしてみればそれで良かったんです。あぁ、彼女にとって私の存在はその程度のものだったんだなぁ、と」
周囲からやたらと期待をかけられていた所にそんなの知った事じゃないとばかりに軽い扱いを受けて安心するのもどうかと思うが、理解できない事もなく、レイヴンはそうかと小さく相づちを打った。
恐らく本人もそのままで良かったのだろう。遠くからたまにイリスの姿を見かけて、あぁ今日も元気そうだなぁ。その程度の感想を抱く程度で満足できていたのだろう。
ロイ・クラッズの館に行く際、モニカによって強引に付き添いを押し付けられる前までは。
再び得てしまった接点を、もう一度捨てる事まではできなかった。だからこそ今に至る。
「……これは俺の正直な感想だが。お前面倒くさい。多分イリスあたりも同じ事言う気がする」
自分もイリスの存在に多少なりとも救われた側ではあるが、ここまで面倒じゃないと断言できる。
アレクの中では完全にイリスの存在が精神安定剤扱いだという事実に、彼自身気付いているのだろうか? 昔から過剰なまでの期待をかけられていた。それは今だって変わっていない。だがそれを平然と受け止めていられるのは、精神的に成長したからとかではなく、イリスという拠り所があるからだ。だからこそ森の奥にある館に行こうとしていた際、イリスが王都から出ていってしまうかもしれないという事態に取り乱してしまった。
拠り所がなくなってしまえば、彼はまた周囲の重圧ともいえる期待に押し潰されそうになるのだろう。メンタルが弱いと斬り捨てるには少々酷な話か。少なくともアレクに向けられている期待は、人一倍どころではないのだから。
一方のアレクはというと一瞬何を言われたのか理解が追いつかなかったらしく、ぱちくりと目を瞬かせていた。
「俺だからまだしも、他の連中に言っても俺と同じどころかそれ以上の反応しか返ってこないと思うぞそれ」
「……そう、ですよねぇ……薄々そんな気がしたから今まで口にしませんでした」
「賢明な判断だと言っておく」
「まぁでも、折角ですからイリスには話してみようと思ってます。言って、思い出してくれるとまでは期待しませんが」
「それで心の整理がつくなら好きにすればいい」
心の整理がついて、ついでに止めるのに苦労するような暴走もしないでくれればもっといいのだが。
――会話しつつも二階の部屋を見ていくうちに、気付けば大分奥の方まで来ていた。残す部屋はあと僅かだ。ここまでの部屋で特に何か、使えそうな物や何か気になるような物は一切なかった。何もないというのが逆に引っ掛かるくらいに何もない。
使われていない邸なんだからこれが普通なのかもしれないが、今までの事を考えると異常にすら思えてくる。
そうして最後の部屋に入る。
ここも、特に何があるわけでもない部屋だった。ただ他の部屋に比べて内装がやや賑やかな感じがしたが、部屋の片隅に転がっていた物を見て納得する。どうやらここは子供部屋のようだ。
「……どうやらこの階には特に何もないようですね」
それでも念の為、と足を踏み入れ部屋の中央あたりまでやってくる。
部屋の隅の方におもちゃが転がっていたが、ただそれだけだ。すぐ近くに箱があって、そこには他にもおもちゃが詰め込まれている。どうやらこれはそこから転がり落ちたようだ。
何の気なしにレイヴンがそれを拾い上げ、箱へと戻す。流石にこの部屋にこれ以上いても仕方ないだろう、そう思い踵を返そうとして。
ふ、とアレクが視線を上に向けた。何かあるのだろうかと思いつられてレイヴンも視線を天井へと向けたが、何かあるようには見えない。虫がいるというわけでもなかった。
「どうした?」
「……いえ、気のせいかもしれませんが、今、何か聞こえたような……」
言いながらも視線は天井から逸らさない。
「……気のせい、でしょうか?」
「さぁな。どっちにしろここにいるよりもだったら三階へ行って確かめればいいだけの話だろう」
「それもそう――っ!?」
ですね、という最後の部分はアレクの口からは出てこなかった。
唐突にばきりという音がして、上から何かが落っこちてくる。咄嗟の事すぎて避けるという事もできず、アレクはそれの直撃を喰らう。受け止めると言う事も思い出した時には手遅れだったのか、上から降ってきたそれに潰されるような体勢で尻餅をつき、予想外の痛みに思わず顔を顰めて。
「……イリス……?」
「っ、いった……って、あれ?」
その光景を見ていたレイヴンが訝しげな声を出し、その声によって降ってきたものの正体を確認したアレクの表情はあまりにも間の抜けたものだった。




