彼らにとっての最悪の展開は回避
イリスの気配がする。
そう言うなり駆け出したアレクの後を追って辿り着いた先は、何の変哲もない部屋だった。
恐らくは何か、細々とした物を置いておくための部屋だったのだろう。小さめの物置、という風にみて間違いないようなその室内は、だがしかし今は特にこれといって物が置かれているわけでもないので随分殺風景だった。
「……おい」
室内をぐるりと見回すも、当然ながら誰か――この場合はイリスだ――の姿は見当たらない。イリスの気配とかそれちょっと人としてどうなんだろう、的な事を言いながらやって来たにしては思い切り外れている状況にレイヴンが少し落ち着けと口に出そうとした矢先。
アレクが何かを拾い上げた。
それ程大きくない箱を抱え、困ったように眉を下げる。
「ここから、凄くイリスの気配がするんですが……」
「……ちょっと待て」
最悪の展開を予想していなかったわけではない。しかし、アレクが抱えているその箱の大きさから判断すると人が一人入るには到底無理な大きさだ。その中からイリスの気配がするとなると、導き出される結論はどう足掻いても最悪の結末だった。
そっと抱えていた箱を床に下ろし、恐る恐る開封する。
次の瞬間、二人同時に安堵の溜息を吐いていた。
「何だ服か」
「中身がない事に安心するべきかどうかは微妙なところですが」
箱の中にはイリスの服と靴、それから髪を結えていたリボンも入っていた。
入っていないのは本体と下着くらいだろうか。むしろ入っていない事を喜ぶべきなのかもしれない。
悩む間もなく箱の中から服と靴を取り出すと、アレクはそれを落とさないようしっかりと小脇に抱えた。
「とりあえず、これがここにあるという事はここにイリスがいる可能性がぐっと上がったわけだが……」
「えぇ、早く見つけなければ」
「……なぁ、お前のその変態的な感覚で本体の方の気配は察知できないのか?」
よく考えなくとも失礼極まりない発言だったと口にしてからレイヴンが思うも、訂正するつもりは全くなかった。気配がする、という言葉からの衣服発見という流れはどう考えてもおかしな話なのだから訂正する必要性を全く感じていないと言うべきか。
「……思い返せば僕が見たイリスは違う服着てましたし、今手元にイリスの服があるからか上手く気配を察知できる気がしないですね」
当たり前のように変態扱いをされているにも関わらず、アレクはそれをものともせずに冷静に返す。あぁもうこいつ色んな意味で駄目だ、とアレクに対する何度目かもわからない感想をうっかり口に出しそうになるがギリギリの所で堪える。
こいつが騎士団長とかじゃなかったら危険因子としてさっさと処分してるんだけどなぁ……とある意味物騒な事を思いつつも、表面には出さない。クリスあたりがこの場にいたならば、どっちもどっちだよと小馬鹿にしたように笑いながら言うだろうし、モニカがいたならば恐らくはレイヴンをそっとけしかけていた事だろう。
結果、事態が悪化しかねないのでこの場にいなくて良かったと考えるべきか。
「とにかく、イリスはきっといます。服がこの部屋にある、という事からしてイリスはこの部屋にはまだ足を踏み入れていません。いたならば、確実に自分の服に着替えているはずでしょうし。何か、着替える事が出来ない理由があるなら話は別ですが」
「……この部屋に鍵はかかっていなかった。にも関わらずまだここに来ていない、というのは」
「えぇ、高確率でこの階に来る手前で何らかの障害があると見ていいでしょう。もしくは、一階に来たものの扉には当然鍵がかかっているわけですから、別の脱出手段かもしくはこの邸の鍵を探してあちこち探索しているか、ですね」
「……これ以上、この部屋にいても仕方がないな。行くぞ」
イリスの服を持ち、尚且つ自らの武器を失ったアレクを先導させるわけにもいかないだろうと思い、率先してレイヴンが部屋を出る。自分の武器は双剣だ。片方を護身用としてアレクに渡す事も一瞬考えたが、普段アレクが使っているロングソードとは当然長さが違う。それでもアレクならば使いこなせるとは思うが、全体的な戦力として考えると渡さないよりも渡した方が戦力ダウンしてしまうのは明らかだった。
レイヴンもアレクも魔術は使えるが、レイヴンの魔術の素養はあまり高いとは言えない。逆にアレクはかなりの使い手だ。クリスには負けるが。
武器を渡してお互いが前線に立つよりも、アレクには魔術での後方支援に徹してもらった方がいいだろう。
それにこの邸の中は思っていた以上に暗い。
夜目が利く自分が先を進むべきだろう、と考えたのも事実だ。
部屋を出ると、先程からそこらで蠢いていた虫がカサカサと移動しているのが視界に入ってくる。足下であろうとお構いなしに進んできた何匹かをうっかり踏み潰してしまったが、特にこちらに何かを仕掛けてくる様子はない。
見た目からして普通の虫ではないのでモンスターに分類していいとは思うが、踏んだ時点で息絶えている事から見た目を除けば普通の昆虫とそう変わらないのだろう。
……厄介な毒を持っている可能性もあるため、率先して触れ合う気はないが。
「普通の虫ではないみたいですが、こんなに大量にいるわりに外には出ていってませんよね、これ」
「まぁ、外で見つけたら場合によっては騒ぎになるな」
「Wに創られたと仮定して、あの魚にされた人たち同様外に出られないようになってる可能性が高いと考えるべきでしょうか」
「だといいんだが」
「それにしても大量にいますね」
「襲ってくる気配はないから放っておいていいだろう」
「……こいつらって一体何のために創られたんですかね?」
「Wが何を思ってこういうのを創ったのか、という意味での質問か?」
「まぁ、それもありますけど。イリスをここに閉じ込めて、嫌がらせのためにこいつら放ったとしても少々決め手に欠けるというか」
「数の暴力で充分脅威的な気がするぞ、これ」
数の暴力のみならず、視覚の暴力でもあるが、それでもアレクはどこか釈然としていないようだった。
思案に暮れつつも、詠唱を開始し即座に術を発動させそれを放つ。
火炎系下級の術を室内で使うのはいかがなものかと思いつつも、城に程近い位置にある邸だ。魔導器の恩恵を無駄に受けているのは確実で、その程度の術ならば恐らく壁を焦がす事もできないだろう。
炎に照らされ一瞬明るくなった範囲内に、びっしりといるそれらに思わず眉を顰めて。
「……思ったんですけど。これイリスと合流できてもこれだけいたら色々後が大変ですよね。確実に」
「…………言われてみればそうだな」
「無事にイリスを見つけてさぁそれじゃあここから出ようか、って時に数に任せて襲い掛かられて万が一の事があっても何ですし。数はある程度減らしておくべきだと思うんですよ」
「……正直この先何があるかわからないから無駄な消耗は避けたいところだが……そうも言ってはいられないか」
「えぇ。まさか無制限に発生するわけでもないでしょうし、出尽くしている可能性もありますけど恐らくはどこかに発生源があるはず。イリスを探しつつそれも探してどうにかしておくべきです」
アレクの言葉に頷いて。
だがしかしレイヴンは、最初イリスの気配がするとか言いつつ後先考えずに走り出したわりにこいついきなり冷静になりすぎて色んな意味で大丈夫なのかこれ……という不安が胸中をよぎっていた。イリスが絡まなければ白銀騎士団団長は大変優秀かつ頼りになる人物のはずなのだが、生憎と今回の件はイリスが思い切り絡んでいる。
いつまた先程のような突拍子もない行動に出るかと思うと、気が気でない。
そんな風に思われている事など当然気付く事すらなく。
アレクは淡々とファイアーボールの術を発動させ蠢いている虫たちを蹴散らしていた。
流石に床・壁・天井全てを覆うようにいるわけではないものの、それでもかなりの数がいる異形の虫たちを魔術で蹴散らし、途中にあるドアを開け目当ての人物がいないかを確認しつつ移動する。
「……面倒な造りだな」
眉間に皺を刻んだままレイヴンが呟く。
迷路のように入り組んでいるというわけでもないが、どうやら裏口から入って通ってきた道には正面玄関へ続く道がないようだ。一度二階へ上がって、それから別ルートで一階に下りなければいけないというのは、一体どういう意図で設計・建築したものなのか。
どこか、途中で他の通路を見落としたという事はない。室内が暗いため明かりのかわりも兼ねてアレクが頻繁にファイアーボールぶちかましていたので、当初レイヴンが予想していた以上に室内をよく見渡す事ができていたのだから。何となく気になる壁など叩いてみたりもしたが、音からして隠し部屋があるというわけでもなさそうだ。
「あぁ、向こうに階段がありますね。どうします? このまま上がって二階を探索しますか? それとも、二階に上がって正面玄関に続くであろう一階へ下りてそっち探索しますか?」
「どちらにしろ二階に上がるしかないだろう。ざっと二階を確認してからその後決めればいい」
まだいくつか開けていない部屋のドアはあるが、こちら側の一階にはイリスはいないだろう。それだけは断言できた。しかし他に――例えば鍵がかかっている部屋の鍵などがないとも限らない。ただイリスを閉じ込めただけ、という事もないだろう。Wが絡んでいるなら恐らくはこの邸のどこかにある鍵を探し出せくらいの展開になっていてもおかしくはない。一応どの部屋に何があったか、くらいは覚えておくべきだろう。……もっとも、これと言える程特徴のある何かが置かれていた部屋は少なくとも今まで見てきた中ではなかったが。
結局こちら側の一階で発見したと言っていいものはイリスの服一式くらいだった。
明かりがわりに発動させ続けていたファイアーボールのせいか、周囲にいた虫たちも大分数が減った気がする。かなり攻撃を受けていたにも関わらず、虫たちはというとこちらを敵と認識する風でもなく生き残っているものはどこかへ目的を持って移動しているようだった。
虫たちが一斉に向かう先へと目をやると、どうやら二階へと進んでいるようだ。
「まさかこいつらの行く先にイリスがいるとかいうオチじゃないですよね……?」
「可能性としてはゼロではない、が……もしこいつらがイリスをどうにかしようとして移動しているのであれば、他の個体、この場合は俺達に一切何の反応も示さないというのも不自然だとは思う」
虫の一部だけが、というのであればまだしも、一斉にという時点で不自然さが際立ってくる。
「言われてみれば……僕達を排除しようと一割程度でもこちらに攻撃を仕掛ける個体が出てきそうなものですけど、今の今まで無反応でしたね。かなりの数の同胞を仕留められているにも関わらず」
「知能がないわけでもなさそうだが、こちらに一切反応はしない。……こちらの攻撃を無視してでもとらなければならない優先行動があると考えるべきか」
どちらにしても向かう先は同じ二階だ。そこから先、この虫たちがどこへ向かっているかによって探索する場所を決めようという事にしたのだが。
いざ二階へ着いてみると、先程まで視界のそこかしこに入り込んでいた虫たちの姿がほとんど見えなくなっていた。




