救助はある意味期待できないかもしれません
それを一言で言い表すのならば。
二足歩行の豚。
もう少しだけ言葉を付け加えるのならば。
やたらと凶悪な面構えをした小型の二足歩行の豚。
どちらにしても豚である。
「……久しぶり、って、え? 何で……?」
イリスのすぐ近くにちょこんと立ち、いよぅ、と言わんばかりに片手を上げているそれに向き直り、膝をつく。元々小さいためイリスが膝をついても目線は合わず見下ろしたままだったが、イリスにはそれが些か信じられなかった。
ロイ・クラッズの館に沢山いたボギーと名付けられた豚のようなモンスター。Wによって作られたそれは、あの館の中でしか生きていけなかったはずだ。数あるボギーの中でも老人のような風貌をしたこのボギーは、自らの終わりを悟っていたはずである。その後ロイ・クラッズの館へ足を運んだクリスとレイヴンの話によると、館の中にいたボギーたちは恐らく生命活動を停止させたかして、いなくなっていたはずだ。この老ボギーもまた、他のボギーたちと同じように生命活動を停止させたものだとばかり思っていたのだが……
「ふむ、その疑問はもっともな事よな。何、そう難しいものではない。わしだけが、ここに連れてこられた」
何でここにいるのか、という意味合いに受け取ったのだろう。ボギーは小さく頷いてこたえる。あの館にあったモンスターを詰め込んでいたケースに入れるまでもなく、このボギーのサイズなら懐に突っ込んで持ち運べそうではあるが、それにしたってどうして連れてくる必要があったのか。
「連れてきたのは言うまでもなく……Wだよ、ね?」
「他に誰がおる。言葉を介するのはわしだけじゃったからな。そういう意味では都合が良かったんじゃろうて。ついでにここを掃除するように命じられておるよ」
ボギーは元々館での家事を命じられていたモンスターだ。時折武器を持って襲い掛かってきたりもしたが、ロイ・クラッズの館では廃墟同然だったあの館を見違えるまでに綺麗にし、更には修繕まで行っていた。
だがしかし、イリスがロイ・クラッズの館に足を運んでいたのは春先の事だ。そしてこの老ボギーと出会ったのは初夏手前の話で。あの後ここへ連れてこられたとして、今までずっと掃除をしていたのだろうか……?
「他の同胞はおらんからな。わし一人でやるとなると相当時間がかかるわい」
「ですよねー」
イリスから見てもこの邸、相当な広さなのだ。イリス以上に小さなボギーがたった一人で掃除をするとなるとかなりの時間を費やすだろう。
「中々に老体には堪えるわ。まぁ、それでも大方の目処はついたがの」
ほっほ、と笑うボギーに、イリスはどう反応するべきかわからなかった。
「……助けてくれたのはありがたいけど、何で助けてくれたの?」
そこがイリスにとって疑問だった。Wによって連れてこられた先で命じられるがままに掃除をしていたとして。
以前に見知った顔がいたからといっても彼にはイリスを助ける義務も義理も何もないのだ。むしろW側の存在である以上、イリスを助ける事こそがおかしな話とも言える。
「助けた事に関して特に理由はないのぅ……それでもあえて言うならば…………暇つぶし、かの?」
ひたすら掃除ばかりしておるといい加減刺激の一つも欲しくなってのぅ、などと言うボギーに、がくりとイリスは肩を落とした。そんな理由で。いや、この場合ボギーが毎日充実しておるよ、みたいな状態ならば助けられる事はなかったのだから、これはこれで良かったと言うべきか。喜ぶべきなのかは微妙なところではあるが。
「暇つぶしで助けられたって部分に引っ掛かる点はあるけど……ありがとう、助かったよ」
根本的な部分は何一つ解決していないけれど。
「……ところでお前さん、何でこんな所におるんじゃ? 餌……のはずはないしのぅ」
「うぅんと、何かまた物騒な単語が聞こえたけど……いつまでもここにいて大丈夫かな? とりあえず安全そうな場所に避難したいんだけど」
「ん? それなら使用人達の部屋が安全じゃろうて。今の所は」
今の所。やはり少々物騒な部分が消えないが、使用人達の部屋がある別館はイリスが思った通りここよりは安全なようだ。すっとイリスが手を差し出す。言いたい事がわかったのか、無言のまま老ボギーはその手に乗った。そのまま腕を伝い肩へと移動する。
――別館 四階。
適当な部屋に入るとイリスは老ボギーを部屋の中央にあったテーブルの上におろした。そうして自分は向かい合うように椅子に座る。
こちらとしても色々と聞きたい事はあったが、まずはどうしてここにいるのかという老ボギーの疑問に対してこたえる。といっても、理解できている部分は少なく、恐らく、とか多分、とかいう言葉がくっついてしまうのは仕方のない事だったが。
「……なんじゃ、それじゃあお前さんあの時に……そうか」
何かに合点がいったようにふむ、と小さく頷くボギーに一体どういう事だと問いかけたかったが、ボギーは顎髭を撫で付けながら言葉を続けた。
「まず、お前さんは一つ多大なる勘違いをしておる。襲われて気絶してここに運び込まれた。それは事実じゃろうて。じゃがの、意識を取り戻すまでにかなりの時間がかかっておるぞ」
「……え?」
「一昨日までは外も騒がしかった。それがお前さんの言う収穫祭というやつだったんじゃろうて。つまりお前さん、丸二日眠っておったという事じゃよ」
「は!? え、それじゃもう収穫祭終わ……っ!?」
想像もしていなかった事実に思わずイリスは椅子をがたりと鳴らして立ち上がる。勢いで相手に詰め寄りたかったが、相手が相手なだけにそんな事をしたら握りつぶしてしまいかねない。何とか思いとどまってイリスは力なく椅子に再び腰を下ろした。
イリスの中では襲われてから目が覚めるまでそう時間はかかっていないと思っていたのだ。それがまさか丸二日眠っていたなどと言われて、すぐにそうですかと納得できるはずもない。
ボギーが嘘をついている可能性は少ない。ここでそんな嘘をついてもこれといったメリットはないからだ。先程助けた時同様に暇つぶしで、という理由があるならやらかすかもしれないが、仮に、それでも嘘をついていたとして、だ。
襲われた翌日イリスが起きて、今に至るとしよう。そうなれば現在収穫祭最終日だが、だから何だという話である。こちらに日付を誤解させるような事をしてもそこに意味など無いように思う。
もし自分が相手の立場だったとして、恐らく自分も素直に真実を告げているだろう。
「ふむ、収穫祭か。わしは外に出る事はできんが、それでも賑やかな音は聞こえておったな。三日もそんなのが続いていたから祭りなんだろうとは思ったが、昨日それが唐突に聞こえなくなったから何事かと思ったわ」
「あぁうん、それ絶対収穫祭だ。うわ、まだ見てないお店一杯あったのに……」
初日、まだ見ていない店をまぁ収穫祭はまだあと二日もあるし、などと思っていたあの頃の自分に言いたい。後回しにしないで見ておけと。そんな事を考えるのも後の祭りではあるが。
いや、収穫祭の事はこの際物凄く残念ではあるが、それはいい。良くないけど、いいという事にしておく。
問題は別にある。
何の連絡も入れずに家に戻っていない。帰ったら確実に怒られる気がする。
とはいえ、父はともかくあの母の事だ。娘が何かの事件に巻き込まれているなどとは考えてすらいないだろう。やや心配性とも言える父が事件の可能性を疑い騎士団に捜索願を出すかもしれないが、その前に母に言い包められる気しかしない。
「まぁまぁ、イリスだって唐突にふと思い立って冒険に出たくなるお年頃なんでしょ」
なんて言われたらかつて冒険者だった父がころっと信じてしまうかもしれない。というか、母の言葉を素直に信じて事件に巻き込まれた説を即座に彼方にポーイと投げ捨ててしまいかねない。
何だかその可能性が濃厚すぎて、家族はアテにならないなと再確認。となると残るはモニカだ。
彼女は頭を冷やしてくると言ってあの時立ち去った。恐らくその後、あの場所に戻ってきただろう。その場にイリスがいないという事実を認識して、もしかして自分が怒って帰ってしまったと思うかもしれない。……が、モニカの事だ。そこで終わる事もないだろう。当日は会えなかったとしても、恐らくは翌日も自分の事を探してくれてはいるはずだ。一応翌日も見て回る約束はしていたのだから。
しかし収穫祭二日目、待ち合わせ場所にやって来ないイリスに対してモニカが……
「あれ、もしかして絶望的?」
二日目も三日目も姿を見せない自分に対して何かの事件に巻き込まれた可能性を考えてくれるとは思うが、もし、もしもだ。友人であるワイズを疑うような発言をした事に怒っていてモニカの前に姿を現さない、という風に考えてしまったら。むしろそっちに受け取られてしまう気がする。別に何も怒っていないのだが。
「絶望的? 何がじゃ?」
「あぁうん、外からの助け?」
思わず口から出た言葉を聞き逃す事もなく、ボギーが問いかける。きょとんとした顔でこちらを見上げているのだが安定の表情の凶悪さのせいで可愛らしさはどこにもない。
何かの事件に巻き込まれたかもしれないという考えに行き着いたかどうかはさておき、どちらにしてもあまりのんびりとここにいるわけにもいかないだろう。助けを待つより自力で脱出する方が確実に早いんだろうな、けどそれ以前に脱出できんの? と思いはしたが……これはどうあっても腹を括って自力でどうにかするしかないのかもしれない。




