既に事件は起きていた
王国歴1005年 秋 某月某日 快晴
三日間開催されていた収穫祭が終わって。昼夜を問わず賑わっていたアーレンハイドもようやく少し落ち着きを取り戻してきたように思う。
普段通り夜間中心に警備の任にあたっていたレイヴンだったが、ある意味一段落を迎えたとも言える。祭りなどに乗じて良からぬ事を企む輩は少なからずいたが、今回も特に大きな事件にはならずそういう意味では何事もなかったと言っていいだろう。
まだ少しだけ祭りの余韻が残っているのか騒がしい――が、それも普段と大差ないためあまり気にもならない。
別段今の時間は自分が見回る時間帯でもないが、何となく軽く周辺を散歩がてら見回ってさて、そろそろ城の方へ戻ろうかと思った矢先だった。
「――おや? お前さん確か……」
年老いた男の声だ。あまり年配の知り合いは自分にはいないはずだが……と思いつつも掛けられた声は自分に向けられていたような気がして、レイヴンは何を言うべきか一瞬考えたが特に何も浮かばず、とりあえずは小さく会釈するだけに留める。
「久しぶりじゃの。仕事帰りかね?」
「……えぇ、まぁ」
声をかけてきた相手とは別段親しいわけでもない。だがしかし無視するわけにもいかない相手だった。
――ジョージ・エルティート。イリスの祖父である。
彼には以前、エルトリオ戦役について話を聞きにいった事があった。イリスの友人であるとも告げていたので、今回姿を見かけて声をかけてきたのだろう。
「そうかい。祭りは楽しめたかね?」
「……少しだけですが」
一応警備の合間に、という意味ではあるが嘘ではない。
しかしジョージはその様子に何故か眉を跳ね上げた。
「なんじゃ、お前さんイリスとは一緒じゃなかったのかね」
「イリスならモニカと一緒に行動していたはずですが」
「……そうか。一緒に見て回ると言っとったのはお前さんじゃなかったのか。ふむ……」
「何か……?」
ジョージの様子にどこか嫌な予感がして、思わず問いかける。
「いや、ただ今朝方ステラが……あぁ、イリスの母親でワシの娘なんだが……家に来てな。収穫祭に友人と一緒に見て回ると言って出ていったきりまだ家に戻ってきていないと言っとってな。年が年だし友人の家に泊まりに行っててもおかしくはないから、とステラは笑っておったが。もしイリスに会ったら泊まるなら泊まると事前に連絡をしておけと伝えておいてくれんかね」
「は……?」
「おや、お前さんモニカさんとやらとは知り合いじゃないのかね?」
「あぁ、いえ、よく顔は合わせます」
「そうか、それじゃあ伝えておいてくれんか。ステラが食事の量を多く作りすぎてしまうとこぼしておったからな」
「わかりました、伝えておきます」
「うむ。頼んだぞ」
レイヴンがこくりと頷くと、ジョージは満足げに頷き返して立ち去っていく。恐らくは自宅に戻るのだろう。
「……イリスが家に帰っていない……?」
ジョージの姿が完全に見えなくなってから、呟く。収穫祭をイリスと一緒に見て回るのだ、とモニカが嬉しそうに言っていたのは記憶に新しい。だが一緒に行動していたのは初日だけのはずだ。詳しく聞いてはいないが、どうやら喧嘩をしたらしく(珍しい)収穫祭二日目、モニカは気落ちした様子で警備――特に見回り――に参加していた。折角取れた休みを返上して。
イリスと喧嘩して、謝ろうにも会えなかったという点と、わざわざ家に行くのもどうかと思ったからこその行動だとは思うが……結局二日目も三日目もイリスと会う事はできなかったようだ。一応こちらもイリスを見かけたらモニカが謝りたいと言っていたと伝えるつもりではいたものの、こういう時に限って遭遇する事も見かける事もなく。
ちなみにモニカがイリスと喧嘩したという話を知っているのはレイヴンの他アレクとクリス……まぁ言うまでもなくいつもの面子だ。レイヴンも思っていたが珍しいと感じたのは他の二人も同様らしく、見回りにしろ何にしろ、見かけたらモニカと仲直りするように伝えておくというような事を言っていた気がする。
てっきりモニカと喧嘩別れでもして家に帰り、収穫祭二日目も三日目も一人か、もしくは他の友人達と一緒に参加しているものだと思っていたのだが……先程の話からすると一度も家には戻っていない、という事はモニカと喧嘩した後も家に帰らずどこか別の場所に行ったという事になる。
イリスとはそれなりに長い付き合いではあるが、そういう行動に出るのはおかしな気がした。自分が知るイリスならば、何があっても一度は家に戻ってそれから行動に移りそうな気がしたからだ。喧嘩の内容までは聞いていないが、モニカと喧嘩した勢いで「もういい! モニカなんて知らない!!」みたいな反応になったとして、周囲に八つ当たりめいた行動を取るにしても普通に家に帰り、眠り、朝を迎えてそれでも尚落ち着けないようなら家を出る――と思う。
仮にモニカと喧嘩した直後に他の友人と遭遇し、一緒に行動する事になったとしても夜通しどころか収穫祭の間中、一度も家に戻らないというのはどうにも想像できない。
イリスの両親、というかこの場合は母か――は全く心配していないようだが、何かがあったのではないか、という気しかしない。
嫌な予感が予感どころか現実のものになりそうな気しかせず、レイヴンは急いで城へ戻る事にした。
今の時間ならばまだ、モニカは自分の執務室にいるはずだ。
――アーレンハイド城 白銀騎士団団長 執務室
「まだ落ち込んでるんですか? もういっその事直接家に行って謝罪でも何でもすればいいじゃないですか」
「わかってはいるのです。そうするのが一番早いという事は。ですが……家に行って、そこで追い返されたりしたらと思うとわたくし……立ち直れる気が全くしないのです」
「あぁ、それは……そうですね、突発的に死んでしまうかもしれません、私なら」
第三者がいればぎょっとして思わず発言者を二度見してしまいそうな会話を淡々としながら、アレクはモニカから渡された書類に目を通していた。
収穫祭前に行った討伐での報告書である。モニカはグレン達とともに行ったのだが、それを纏めた物を更にこちらで纏めて一緒に提出してしまおうという話だったのでこうして持ってきてもらった次第だ。
それらにざっと目を通す。特に不備は見当たらない事を確認すると、アレクはその書類を机の上で整えて自分が提出する分と合わせる。
「でも珍しいですね、貴女がイリスと喧嘩なんて。しかもこうしてずるずる後を引いてるなんて。一体どんな暴言を吐き出したんですか?」
「ちょっと、クリスみたいな言い方しないで下さいまし! わたくしだって確かに言い過ぎたかな、とは思いますけど暴言なんて吐いてませんわ」
「またまたー、言った本人は暴言だと自覚してなくても言われた方にとってはとんでもない暴言だったかもしれないじゃないですか。大体、他の団員やら私たちにも声をかけておいて、イリスを見かけたら教えてくれって言ってたけど、彼女も相当怒ってるのか上手い事こちらの目を掻い潜ってるっぽいし?」
「うわ、ちょっとノックして入ってきて下さいよ、クリス」
モニカの発言に即座に返してきたのは、狙いすましたかのようなタイミングで入ってきたクリスだった。
「何の用ですの、クリス? 貴方には別に一緒に提出するような書類があるわけでもないでしょう?」
「あぁ、今休憩時間。暇になったから揶揄いに来た」
「帰って下さい」
「帰って下さいまし」
輝かんばかりの笑顔で言ってのけたクリスに、アレクとモニカが同時に告げる。勿論、そんな事を言われてはいそうですかと帰るクリスではないのだが。
「でもおかしな話だよね。イリスとモニカが喧嘩したってのはまだいいとしても、イリスがこうも上手くこちらの目を掻い潜ってるだなんて」
「……どういう事ですの?」
「彼女別に潜入とか得意ってわけでもなければ特殊な訓練を受けたりしてるわけでもないだろう? ならこちらを避けて隠れるにしたって限度ってものがあるはずだ。知り合いでもあるこちらを意識して向こうが隠れる、その結果こちらが彼女を認識できない。ここまではいいさ。
けど、一応何人かの部下にも声はかけたんだろう? その数名の騎士が誰かもわからない状態でイリスがこちらの目を全て掻い潜っているっていうのは……不自然すぎやしないかな」
「……何が言いたいんですか、クリス」
「突発的に王都から家出したとかいうオチじゃないよね、って言いたいだけ」
「流石にそれは……」
「無いとは言い切れないんじゃないかな。イリスが王都から出ていかないっていう保証はどこにもないだろう? と不安煽るのもいいけど、何か変な事件に巻き込まれてなければいいね」
「嫌な事言わないで下さい、不安になるじゃないですか……一応通常時以上に見回りもしてたから、何か事件があれば痕跡の一つくらいは残ってるかもしれませんが……」
嫌な事を言うなと言いつつ、自分でも想像してしまったのかアレクの表情がかすかに青ざめる。流石に今のは悪趣味が過ぎたかとクリスも自覚したのか、悪い悪いと紙切れ並の軽い謝罪を口にする。しかしその表情からあまり悪いとは思っていないだろう。
そうこうしているうちに、執務室のドアがノックされた。その音はどこか重々しい。
「……? どうぞ」
白銀騎士団員ならばノックの直後に声の一つでもかけてくるはずだが、その声がない。他の団の騎士だとしても、所属と用件くらいは口にするだろう。ただノックだけがされた、という状況に一体誰が訪れたのか予想もつかずアレクが困惑しつつも声を出した。
「失礼するよ」
言いながら入ってきたのはフラッドだった。彼がここに来る事など滅多にないためその場にいた全員が一瞬硬直する。彼は自ら訪れるより呼び出す側の人間だ。わざわざここに来た、という事は何か……余程重大な事でもあるのだろうか。
早々に立ち去ろうとしていたクリスとモニカに「あぁ、構わんよ。すぐに終わる」と制してフラッドはアレクに書類を差し出した。
「何故かうちの方に紛れていてな」
「あ……! あの、わざわざすみません」
普段ならこうして届けに来たりなどせず呼び出して取りに来いと言うフラッドに、アレクが一瞬呆気に取られた表情を浮かべる。
「構わんよ。それから、そこにある書類は提出するやつかね? ならば持っていくが」
「え!? あ、はい。……ですが」
モニカの分と合わせて持って行くはずの書類は、確かにフラッドに渡すつもりのものだった。六ある騎士団の団長、という点では彼らは同じ立場だが、その中で統括する立場にあるのはフラッドなのだから。
「何、こちらもついでだ。あぁ、そうそうモニカ」
「はい!?」
唐突に話を振られたからか、彼女の声はやや裏返っていた。しかしフラッドがそれを気にした様子はない。
「結局お嬢さんとは仲直りできたのかね?」
彼が何を言っているのか、しばらく理解できなかった。ややしばらく経ってから、
「あの、それは一体……どういう事でしょうか……?」
かろうじて何とか声を出す事ができたクリスが、恐る恐る問いかける。フラッドの言っているお嬢さんは、間違いなくイリスの事だろう。だがしかし、どうして彼の口からイリスの事が出てくるのか。それが不思議でならなかった。




