まさか招待されるとは思いもしませんでした
他の出口を探そう。
そういう結論になったのは、その直後の事だ。これだけ大きな屋敷なら、まさか出入口が一箇所だけ、などという事はないだろう。こちらは玄関のようだから、裏口にあたる場所へ行けばもしかしたらそっちが開いているかもしれない。
……可能性は低いけれども。
裏口があるとするなら、恐らくは厨房付近だろう。一先ずそれっぽい所へ行く事にする。
途中、適当にドアを開けてみたが、どこもかしこも似たような内装で少し気を抜くと自分がどの辺りに居るのかがわからなくなりそうだった。
もしかしてこれらの部屋の中に先程の玄関の鍵が隠されているのだろうか。もしそうなら、それを探すだけで一苦労だ。全ての部屋に鍵がかかっていないだけマシなのかもしれないが。
程なくして、厨房と思しき場所へと到着する。やはり誰かがいたような感じはしない。見る限りしばらくここは使われていないようだ。
この屋敷の主は一体どういう生活を送っているのだろうか。……少し考えて、ここが人里離れた館などではなく王都だという事を思い出す。
そうだ、王都なのだから、食事などは使用人がいなくてもちょっと外で食べてくればいいだけの話だ。
今の今まで足を運んでいた館が住む人がいなくなった場所だったのと、ここも何だか似たような雰囲気があるせいか気を抜くと王都であるという事すら忘れそうになる。
恐らく裏口に繋がっていると思われるドアを発見し、駆け寄る。そうして開けようとしたが、こちらも予想通りというべきか、ドアはびくともしなかった。
鍵がかけられているのかと考えたが、こちら側から開けられない仕様というのはおかしな話だ。外側から鍵をかけてしまったら、開けるのに一々玄関から出て回り込んで開けなければ裏口は使用できないではないか。では、ここは鍵などかかっていない、という事になるはずだ。
しかしドアは鍵がかけられたかのように開かないし、開く様子もない。
ドアの向こう側に何か、重たい物でも置かれているのかもしれない。
他の出口を探すか、最悪窓を割るか。
あまり気は進まないが、他の部屋もよく調べてみるべきなのかもしれない。部屋数が多すぎてそれを考えるとうんざりするが、そうも言っていられない。
そうして一階の部屋を調べてわかった事がいくつか。
一つ、こちら側はどうやら使用人たちが住んでいる所謂別館であるという事。
一つ、本館と呼ぶべき屋敷とは二階と四階で繋がっているという事。
一つ、窓を割ろうと試みたが、それは無理だった事。
城が近いという事もあり、恐らくここら一帯の建物も魔導器の恩恵を受けているのだろう。とはいえ、窓に叩き付けた椅子は若干脚が歪んだので、あの森の奥にあった館のように家具まで全て、というわけではなく窓や壁など外壁部分だけと考えるべきか。
……少し考えて、結局それはイリスにとって何もいい事などないという結論に辿り着く。
家具をいくら壊す事ができたとて、外に出られないという事実に変わりはない。
「やっぱり……こっちじゃなくて本館だと思う向こうの方だよなぁ、調べるとしたら」
大まかにしか調べていないが、どうやらこちらの別館に使用人と思しき人物はいなかった。ここにある部屋全てが使用されていた頃なら話はまた変わってきたのかもしれないが、ほぼ確実にこちらで生活している使用人はいないのだろう。
最低限一人か二人くらいはいると思いたいが、最悪一人も使用人がいないという事も考えられる。
生活感も人の気配も一切無いこちら側は、とにかく静かだった。季節柄秋になっているのだから、そこまで暖かくない日だってあるがそれにしたってこの建物の中の空気は冷たすぎる。
人が住まない建物など、蜘蛛やら他の虫の絶好の住処になりそうなものだが、それすらない。だからこそ余計に不気味だった。
虫すら寄り付かない何かがあるのではないだろうか……そんな風に考えてしまう。
同じ間取り同じ内装の部屋を一体いくつ見ただろうか。
どのドアを開けても同じ内装の部屋ばかりだと、自分が一体今どこにいるのかさえわからなくなってくる。
「……あ」
一体いくつドアを開けたのか、数えるのすら放棄しかけた頃にふとした変化が目についた。
内装は確かに他の部屋と同じではあるものの、その部屋には水差しが置かれていた。そうして、その隣には缶詰が一つ、寄り添うように置かれている。
「まさか命綱って……そういう事?」
握り締めたままだった缶切りを見て呟く。
ここから出られないのではないだろうか、そう思い絶望して餓死するか衰弱死するか――本来ならそうなるはずだったのだろう。しかし好意と呼ぶべきか悪意と決めつけるべきか、ここには僅かな食料と水が用意されていた。
足掻いて生き残りここから出られるならば良し、そうでなければ……ここにイリスを閉じ込めた人物の趣味が悪いという事だけは理解できた。
これが普通の食料であるなら、口にする事を躊躇ったかもしれない。しかし見た所缶詰に何か仕掛けや細工が施された様子はない。
更に言うなら、この缶詰、王都で普通に売られているものだ。見知らぬ、中身が本当に食料かどうかも怪しい缶詰なら開けるのを止めたかもしれないが、本当に普通の缶詰だ。イリスの家にも備蓄としていくつか置かれているような、極々普通の。
――どれくらい寝ていたのかはわからない。
起きたばかりであまり空腹を感じてはいなかったが、いつまでも何も食べないままというわけにもいかないだろう。
それでなくとも足下から伝わる床の冷たさと、歩いても一向に温まる気配のない身体。このままの状態が続けばそのうち秋ではあるが凍死だってできてしまいそうだ。今は少しでも食べて、体温を上げるか保つかしないと本当に唐突に足下からがくんと崩れ落ちてしまいかねない。
「……つまり、こうなる事を見越していたって事だよね。計画的犯行ってやつか」
考えをまとめるように口に出す。
これでたまたま通りすがりの趣味の悪い貴族が助けてくれた説は消えた。命綱と称して缶切りを置き、そこらの部屋に缶詰やら水を用意しておく――突発的に思いついての行動ではない。事前に、それこそもっと前から計画していたと考えるべきだろう。
ぎこぎこと缶切りで開ける。フォークやスプーンがないのでそのまま指先で中の物をつまみ口へと運び、咀嚼する。汚れた指先をぺろりと舐めとり、少し考えてスカートの裾で拭いた。自分の服ではないのだが、汚した所で構わないだろう。
ここにイリスを閉じ込めた相手も恐らくそれくらいの事は予想しているはずだ。
適当な人間を捕まえて閉じ込めて、脱出するまでの様子をどこかで見物する趣味の悪い貴族ならばまだマシだったのかもしれない。たまたまそれにイリスが捕まった、それだけならば運が悪かった……で済むだろう。イリスの心情的には済まないが。
しかし、イリスをここに閉じ込めた相手はたまたまイリスを狙ったのではなく、確実に狙っていた。
「……多分だけどこれ、絶対Wの仕業だよね」
自分で自分の事をあまり賢いとは思わないイリスでも、その可能性には気付いていた。正直あまり気付きたくはなかったが、現実逃避をして現状が悪くなる事はあっても良くなる事はないだろう。
ロイ・クラッズに館を譲ったり姉に館を譲渡したりしていた相手。王都に住んでいる可能性が高いであろう相手。城にも出入りできるもしくは顔が利く相手――Wはつまり、そういう人物なのだ。城の近くに居を構えていても何ら不思議ではない。……本当にここに住んでいるか、というのはさておくとしても。
まさか、こちらから乗り込むどころか相手から招待されるとは思ってもいなかった。それも一人で。




