三度目の正直、とばかりに乙女は笑う
王国歴1005年 春 某月某日 晴れ
レイヴンと館へ行ってから数日。
イリスは公園のベンチに座って空を見上げていた。
家の手伝いを終え、暇になりはしたものの。
あの館へ行くにしても一人で本当に行っていいものかと考えているところだった。下見に行った時は、単純にただ古い館だと思った。アレクと一緒に行った時もそれは変わらず。
しかし――
棚が爆発したのはさておき、あのボウガン、あれは誰かが殺意はともかく悪意があって仕掛けたものだろう。他と比べて埃もかぶっていないそれは、つい最近になって仕掛けられたものだろうとレイヴンも言っていた。
……という事は今イリスが持っている館の鍵以外に、あの館の玄関扉の鍵が存在している可能性が高い。
もしかしたら愉快犯が凄腕の盗賊みたいな人でピッキングで、という可能性もあるにはあるが、やはり普通に他にも鍵があると考えた方が現実的な気がしている。
三日程前に祖父の家へ行ってそれとなく館の所有者であるロイ・クラッズの事を聞いてみたし、祖父に宛てられた手紙を見せてもらったが、祖父から聞いた話と手紙の内容は全く一緒だった。祖父が話を盛ったり、肝心な所を端折ったりはしていないのはハッキリした。
祖父の話の内容が手紙と完全一致してしまったという事は、手紙からは館の鍵が複数あるかどうかまではわからないという事でもあった。
けれど、流石に予備くらいはあるだろう。問題はそれを所持しているのが誰なのか、まるでわからないという事だ。
館を入手した経緯などはわからなかった。あの館はロイ・クラッズが一から建てたものなのか、それとも誰かから購入したものなのか。そのあたりがわかれば他に鍵を所有してそうな人物を絞れるのでは? と考えてはみたが……探偵でもないイリスにはこれ以上打つ手無しである。
今の所できそうな対策はドアを開ける時に真正面に立たない。
そうすればもし他の部屋にボウガンのようなものが仕掛けられていたとしても、即死は免れると思う。他の罠を回避できるかとなるとまた話は違ってくるのだが、考えたらキリがない。
そもそも室内に罠を仕掛けるとか一体どういう状況なのか。一般市民のイリスには皆目さっぱりである。精々害虫とかねずみ用の罠くらいしか馴染みがないのだ。
……どのみちまだ二階部分までしか見ていない。というか、二階も全部を見たわけじゃないし、三階に至っては今の所完全に未知の領域だ。
……このままのペースだと、あっという間に夏が来て秋になって冬、一年が終わってしまう。
室内に仕掛けられた罠の事は祖父にはまだ言っていない。どう切り出していいのかわからなかったからだ。
言えば、危ないから行くのは止めろと言うだろう。確実に。しかしそうしたら祖父は今度は自分であの館に行ってしまうのではないだろうか。友が託したであろう何かを探しに。イリスには危ないから行かないようにと言っても、祖父の事だ。自分も行かないという選択肢はないと思っている。
「……じいちゃんがもう少し若かったらまだしも、もうじき90になろうっていう状態じゃなぁ……」
何かの衝撃でぽっくり逝かれたらどうしよう。祖母が死んで五年。おじいちゃんも寂しかったのかしらねぇ、と母あたりはあっさりと受け流しそうだ。それがどんな死に方であったとしても。
反対に父は祖父に憧れを抱いているようなので、ものすっごく泣くかもしれない。実子である母以上に。そして死に方が不穏なものであれば今度は父が何かこう、いらん方向に行動力を発揮しそうな予感もする。
「……お使いを引き受けたのは私。なら、行くしかない……!」
危険があるかもしれないとわかっているなら、油断せずに進めばいいだけだ。慎重に慎重を重ねて、ゆっくりでも確実に。この際一日一部屋といったゆっくりペースであっても見ていけばいつかは終わる。終わりは来るのだ。
そう自分に言い聞かせて、イリスは握りしめたままのリボンで髪を結ぶ。今朝方漆黒騎士団の使いを名乗る男から届けられたそれは、確かにレイヴンの応急手当てに使った自分のリボンとハンカチだった。直接届けにくるつもりだったが、黄金騎士団に召集をかけられたため自ら届ける事は叶わなくなったとも聞かされた。
またあの館に行くようなら声をかけろと言われてはいたが、レイヴンも騎士団長という身の上だ。声をかけても簡単についてきてくれるような暇があるかというのはまた別の話だろう。
それを言うならアレクもモニカもそうなのだけれど。
「……よし!!」
覚悟を決めて立ち上がる。
「――イリス! 探しましたのよ、ここにいましたのね」
折角決めた覚悟が、早々に消滅しかけた。
これから館に行くところだったのだ、とモニカに告げると「それならば是非!」と彼女は同行を申し出てくれた。元々彼女はあの館に最初に行くと言った時もついてくるつもりではいたのだ。召集がかからなければ、彼女は前回も前々回も同行してくれていたはずなのだ。
「あぁそうそう、レイヴンからの伝言、確かにアレクに伝えておきましたわ」
「ありがとう、モニカ。……えぇと」
「あまり詳しくは聞いていませんが、あの館、アレクの話と違ってやはり危険かもしれないというのはレイヴンも言っていました。
……一体何がありましたの?」
「実は……」
館へ向かう途中で、前回あった事を話す。仕掛けられていたボウガン。それから爆発した棚の事を。
「……確かに物騒ですわね。そういう事ならわたくし、張り切ってイリスの事をお守りいたしますわ!」
どん、と胸に拳を当てて言い切るモニカ。彼女も騎士団長という立場上、その言葉は大変頼もしく感じるのだが……外見だけで判断すると何だかとても無茶な事を言いだしているように見えてくる。恐らく騎士として活躍しているモニカの姿を見た事がないからそう思ってしまうのかもしれないが……
「あの、モニカ? 失礼な事かもしれないけど、無茶はしないでね?」
「心得ておりますわ」
きゅっと拳を胸元付近で握り締め言うモニカは、大層愛らしい。正直こうして見ると、モニカは守るよりも守られる立場なのでは……? と思ってしまう程に。
そんなモニカが笑顔で告げる。
「万一不届き者が侵入していた場合はダークブリンガーで一撃です」
「いやちょっと待て」
反射的にみぞおちあたりに裏拳でツッコミを入れていた。何だか語尾にハートマークがついていても違和感がない口調と、見る者全てを魅了しそうな綺麗な笑顔だったが飛び出た言葉はそれとは真逆といっていいほどに物騒だった気がする。
いや、恐らくイリスの気のせいではないだろう。何だダークブリンガーって。武器か、術か。どっちなんだ。
気になるけれど、聞いたとしても事態が何一つ解決しない気がする。
「どうしました、イリス。心配しなくても処理はきっちり行いますわ」
「処理!? 処理って何!? いやいい言わなくていい。聞きたくない。むしろ聞いちゃいけない気がひしひしする! 心配しなくてもって色んな意味で心配になってきたんですけど!?」
もしかしなくても。
モニカの同行を許可した時点で色んなものを間違えたのではなかろうか。
後悔の二文字がイリスの胸中を駆け抜けて脳裏をよぎっていく。モニカがやる気を出せば出す程不安になるのは……いや、大丈夫なはずだ。流石にモニカだって幼子ではないのだから、そこら辺はわかってくれると信じたい。
前回館に入った時に感じた違和感がなんだったのか、それすらまだわからないけれど。
今回は別の意味で精神的に疲れそうだなぁと館に着く前から確信してしまった。頼もしいのは頼もしいんだけど、頼もしすぎるのも問題、という事なのだろうか……?




