096.黒爪狼の行方
「私の探知だけではなく、コウヤの探知範囲外に出たのですか?」
「いや、突然消えた。洞穴などに入ったのかもしれないが……」
コウヤは、熱探知で黒爪狼を追跡していた。
その反応が、徐々に鈍くなっていったのなら、亡くなった可能性も考えられる。
しかし、反応は突然消えた。
そうなると、どこかに身を潜めた可能性の方が高く見える。
コウヤの意識が、気になる行動が目立ち始めた黒爪狼に向かう。
そして、その意図を知っておくべきではないか、と考え始めた。
「黒爪狼が消えた場所は把握している……が、まずは、センを叩き起こしてからだ」
とりあえず、コウヤは、放置しておく訳にはいかないセンを起こす。
頬を叩かれて起きたセンは、最初、赤髪化したコウヤを認識出来ずに驚いていた。
しかしながら、ちょっとした体質だ、と言うと、訝しみながらも理解を示した。
そして、センを同行させて、黒爪狼の反応が消えた場所へと向かう。
それは、シロウの捜索をするにしても、手掛かりが何も無かったからこそ出来た選択。
どこを探しても発見の確率が同じであったかららこそ、怪しい場所を潰しに行けた。
そして、その道中で、センから黒爪狼との戦いの経緯を聞き取っていく。
「とにかく、黒爪狼が変化を解かなかった以上、敵意があると見るのが当然にゃ」
コウヤから訊ねられたセンの主張は、こうだった。
その言葉の真相は全く違うのだが、それはセンしか知らない事実。
ゆえに、センは、その主張をシレッと貫き通す。
ただ、その言葉には、一定の正当性があった。
黒爪狼の変化は、センを警戒させるには十分な戦闘力の強化を起こしていた。
その事は、黒爪狼の戦闘を目撃したハツカも確認した事実。
その為、両者の戦闘時に目が見えなかったハツカは、口を噤む。
ハツカは、実際に黒爪狼が、どのように対峙していたのか分からない。
この点に関しては、目が見えていなかったハツカは、何も言えない。
下手をすれば、先程の黒爪狼への擁護の事も相まって、コウヤの不信を増長させる。
ゆえに、ハツカは、ルネに手を引かれて、沈黙を守りながら事の経緯を見守って歩く。
「センの言い分は分かった。それで黒爪狼の反応が消えたのは、この辺りなのだが……」
しばらく進み、コウヤによって導かれた場所。
そこは、地表に湧き出た地下水を含む、いくつかの川が合流した幅広の川だった。
「コウヤさんが言ったような洞穴は無いようですね」
ルネが、周囲の地形を見渡して、黒爪狼が身を隠せそうな場所を探す。
もし、そのような洞穴があるのなら、そこにシロウが居る可能性もある。
道中で、そう言った会話があった為、ルネも真剣に辺りの様子を見ていた。
「いや、この場合、川に落ちた、とも考えられる」
「えっ?」
「そんなまさか……あの黒爪狼がですか?」
コウヤは普通に、黒爪狼が、川に落ちて流されて行ったのではないか、と考え始めた。
もちろん、それを聞いたハツカは、まさか、と疑問視する。
身体能力に優れる黒爪狼が川に落ちる、と言う事が有り得るのか、と。
「おれの熱探知から消えた点からも、川に入った可能性は考えられる」
「コウヤは、黒爪狼が水の中に入ったから体温が感知出来なくなった、と?」
「川の中に沈んで流されて行ったのであればな」
「コウヤさんは、黒爪狼が川で溺れた、って考えているって事ですか?」
「可能性としては、あるだろう」
「コウヤ、いくらなんでも、それは無いかと」
ハツカは、コウヤの飛躍しすぎる暴論を否定する。
その理由の一つに『犬掻き』と言う泳法がある点。
四足歩行の哺乳類は、大抵、犬掻きで泳ぐ。
四足歩行の姿勢だと頭だけが水面から出て、そのまま手足を掻けば沈まずに進む。
そしてこれは、前に進む効率は良く無いが、人間のように肩が回転しなくても出来る。
その為、多くの動物が、この方法で泳ぐ事が可能である。
ゆえに、身体能力に優れる黒爪狼が川に落ちたとしても溺れるとは考えづらかった。
「ですがハツカさん、先日アニィさんが、普通に川で溺れていましたよね?」
「あっ!」
しかし、その考えを覆す前例が、すでにあった。
子猫種も人狼種も、二足と四足の両方の歩行を使い分けている。
ハツカの考えが個人レベルでも適用するか、と言われれば、そこには疑問が生じる。
その為、黒爪狼が溺れる事は無くとも、川に流された可能性は当然考えるべきだった。
「セン、この川が、どこに流れて行っているか分かるか?」
「下流で、いくつかに分かれているにゃ。そのうちの一本は王都にも流れてるにゃ」
「そうか、それなら最低限、王都の手前の川には監視の目を置いておくべきだな」
「黒爪狼の死体が水揚げされてパニックにならないように、と言う事かにゃ?」
「そうだ、最悪、息を吹き返した黒爪狼が、徘徊しかねないだろ?」
「確かにそうにゃ」
「最悪とか言わないで下さい」
コウヤの言葉が気に障り、不機嫌になるハツカ。
どこまでいっても、黒爪狼が悪者扱いなのが納得いかない。
しかし、それで黒爪狼の行方が分かるのであれば、と一旦落ち着く。
「とにかく、黒爪狼を見つけても、いきなり討伐に出るような事は止めて下さい」
「こっちには、不法侵入した犬っころを処断する権利があるにゃ」
「アナタは、その黒爪狼に見逃してもらって、命を拾っているのですが?」
「うぐっ、それを言うかにゃ……。」
ハツカの言葉に、センは二の句に詰まる。
センの中でも、その黒爪狼の行動が、どうにも腑に落ちない点であった。
「せめて、もう一度、黒爪狼と会う機会を下さい」
ハツカの訴えが、センの良心に突き刺さる。
センは、王国の利益と安全を守る立場にある。
その一環の一つに黒爪狼の討伐があった。
しかしながら、その討伐対象から、情けを掛けられて生き延びている。
そして、その戦いの戦端は、目の前のハツカに対しての偽証によって開かれたもの。
そこで用いた姑息な手段による負い目が、いまセンを逡巡させていた。
陽気で無邪気な性質を持つ子猫種は、あまり深く考える事をしない。
ゆえに、それは時として、無邪気ゆえの残酷さを体現する危険な存在となる。
しかし、逆に理知的な者は、その聡明さゆえに、良心や道徳観を保有した。
「ひとまず、オマエの言いたい事は分かったにゃ」
懐に抱えた負い目と悪人になりきれないセンの良心。
それが、ハツカの言い分の一部を汲み取って引く事を選んだ。
「ただし、他の子猫達が絡んだ場合の責任までは持てないにゃ」
「ええ、それで構いません。ありがとうございます」
ハツカも、ここが落とし所だろう、と考えて了承する。
ハツカにとっては、センが再び、黒爪狼の前に立つのでなければ、それで良かった。
センと同格の者は、大臣と博士しかいない事が分かっている。
そして、その両者は立場上、王都から離れる事はない。
その為、センが前面に出て戦闘するのでなければ問題ない。
センを下した黒爪狼が、それ以外の者に遅れを取る事は無いのだから。
ハツカは、センの言質が取れた事で満足する。
こうして、センは子猫軍との合流を優先し、監視網の構築に取り組む。
そしてコウヤ達は、シロウの捜索を再開した。




