094.不可視の闘争
◇◇◇◇◇
「さて、目下の共通敵だった針蜘蛛は消えたにゃ。それで、これからどうするにゃ?」
センは、褐色狼に変化した黒爪狼とハツカが、顔見知りだと看破していた。
ゆえに、褐色狼に手を出せば、ハツカが、次に自分を敵と見なす事も承知している。
現在、ハツカは針蜘蛛の攻撃によって視力を失っている。
その弱点を突けば、負傷しているセンでも両者を倒す事は可能であった。
しかし、センはハツカ達が針蜘蛛に見せた、尋常ではない連携を目撃している。
あの精度の連携で死角を突かれたなら、センとて防ぐ事は出来ない。
ハツカは、視覚が封じられた状態でも針蜘蛛を的確に拘束して見せた。
その封殺があったからこそ、セン達は攻撃に集中し、針蜘蛛を沈める事が出来た。
自身が身をもって経験した、高精度の拘束から発生する攻撃性。
それが自分に向けられる事を想像すると、センの警戒心は、否が応もなく高まる。
「褐色狼から手を引いてもらえるのであれば、それ以上、言う事はありません」
センの警戒心から発せられた問いに、ハツカは、こう答える。
「アナタも、それで構いませんね」
ハツカは、センに答えると同時に、褐色狼にも同意を求める。
ハツカより、わずかに前に立ち、センとの間に割り込む形を取っている褐色狼。
それは、視界が閉ざされているハツカの身を守るような立ち位置だった。
褐色狼の左右には、ハツカの菟糸が防御体勢を取って控えている。
互いに相手の身を守り、センの出方を窺う中、わずかに黒爪狼が身を動かした。
それは、声を発する事が無い褐色狼の同意の意思。
目が見えないハツカに対しては、ほぼ意味が無い動き。
しかしながら、その意思は、確実にセンに伝わるものだった。
黒爪狼は、センから視線を外す事なく、ハツカの言葉を受け入れ、頷き返す。
しかし──
「残念だが、犬っころは、オマエの意見に従う気はないようにゃ」
「えっ?」
センは、ハツカの目が見えていない事を利用して、虚偽の報告を申請する。
ハツカの一瞬の動揺が初動を鈍らせ、センの先制攻撃を容易に許した。
『剪断鋏』
センの裁断魔法が褐色狼を襲う。
菟糸が反応して自動迎撃に出るが、ハツカの視界は閉ざされている。
魔力の具現化によって生み出された魔法の鋏による攻撃である剪断鋏。
その正体を視認していないハツカは、自動防御の弱点を突かれた事に気づかない。
「くっ、菟糸が持っていかれる! 一体、何が?」
剪断鋏は、迎撃に出て来た菟糸を挟み込んで、地面に釘付けにする。
針蜘蛛の身体もそうだが、剪断鋏には宝鎖である菟糸を裁断するだけの力は無い。
その事はセンも承知している。
ゆえに、剪断鋏は、最初から菟糸の自動防御を封殺する為に放たれていた。
この場所にセンがいるのは、最初から古の契約を破った人狼種を狩る事が目的である。
契約を破った者を粛清しなければ、内外共に示しがつかない。
そうしなければ、後に契約を軽視し、続く者が現れないとも限らない。
そしてそれは、侵入を許してしまった側に許された権利と義務。
自分達の狩猟区の秩序は自分達で守る、と言う取り決めの範疇にある正当性。
ゆえに、センはハツカの思惑がどうあれ、褐色狼を見逃す気など無かった。
センと褐色狼との間にあった障害が取り除かれ、道が開かれる。
褐色狼に駆け寄るセンの剣には魔力が込められ、強化されていく。
対して褐色狼は、腰を落とした構えに体勢に変え、爪を引いていた。
センは、自身の接近を目の当たりにして、爪を引っ込めた褐色狼を訝しむ。
何かしらの意図があっての行動なのは間違いないが、その意図が読めない。
褐色狼に引く気配は無く、ハツカを守るように不動の構えを維持している。
言い知れない不気味さがセンを襲う。
自分の意思とは別の、冷静に事態を俯瞰している精神が警鐘を鳴らす。
だが、もう止まれない。
センは、剣に込めた魔力を解放して、その魔剣技を解き放つ。
『星印閃』
振り下ろしたセンの剣閃に呼応して、センの左右から風刃が出現し、褐色狼を襲う。
実体剣の縦斬りと左右からクロス状に放たれた風刃が、後方以外の退路を断つ。
しかし、その唯一の退路も、いまはハツカが占有している。
センは、ハツカと言う褐色狼の弱点を利用して、その退路を断っていた。
必中の剣閃が褐色狼を捉える。
──が、その時、褐色狼は自ら前に出て距離を詰めた。
そして……
【ビギッ、バギッ、ジャギッ、ガッ、ドスッ、ドガッ、ドゴウッ!】
一瞬のうちに、ハツカの耳に七つの鈍い打撃音が届く。
【ドサッ……】
そして、わずかに遅れて、地面に人が倒れ込んだ音が続いた。
「な、何が起きたのです?」
視界が閉ざされているハツカは、答えを求めて問い掛ける。
少なくとも、地面に倒れ込んだ音は一つしかなかった。
どちらかは答えられる者がいるはず。
しかしながら、それに答える者はいなかった。
ハツカの前方には、褐色狼とセンの反応が健在である。
しかし、ハツカの菟糸による探知方法とは、ニオイによる位置の特定である。
その為、対象の状態を知る事は出来なかった。
「答えなさい、一体、どうなったのです!」
ハツカは、危なげな足取りで褐色狼の下に近寄る。
すると、褐色狼の反応が、わずかに動いた。
「良かった、無事なのですね」
ハツカは、褐色狼が無事だった事を確認して一安心する。
考えてみれば、褐色狼は、いままで一度として声を発した事がない。
返事が無い、と言う事は、それは褐色狼の方が無事な可能性の方が高かった。
「とにかく無事で何よりです」
そう言って近づくいたハツカだったが、褐色狼は、逆に距離を取るように離れた。
「どうしたのです?」
ハツカは、褐色狼の様子がおかしい事に気づく。
しかし、ハツカと褐色狼との意思疎通とは、相づちによるものだった。
その為、目が見えていない いまのハツカでは、その意図を汲み取れなかった。
ハツカは、褐色狼との意思疎通の手段を失い困窮する。
「ハツカさーん、大丈夫ですかー?」
その時、近くまで来ていたルネの声が響いた。
戦闘用に菟糸の探知範囲を絞っていたハツカは、ルネ達の接近に気づいていなかった。
だが、これで状況の把握が出来る。
そう思ったハツカは、この天の助けに感謝する。




