088.秘匿の代償
◇◇◇◇◇
「コウヤ……まさか謀りましたか?」
ハツカは、菟糸の探知際で黒爪狼を見失い、コウヤの言動から嫌な感覚に襲われる。
そして、先ほど名前が上がった子猫との戦闘に入ったものではないか、と考え始めた。
ハツカは、この急変に不穏なものを感じ、黒爪狼の下へと駆けつけようとする。
しかし──
「えっ? ハツカさん、どうかしたのですか?」
ハツカは、不思議そうに言葉を掛けてきたルネによって制止する。
いや、正しくは、視界に入ってき者達によって、それが出来ない事を悟らされた。
「はにゃ、ケンカかにゃ?」
「じゃれ合ってるんじゃないのかにゃ」
「……」(パリパリ、ポリポリ)
「あっ、グリーンが、何か食べてるにゃ」
「自分だけズルイにゃ! 分けるにゃ」
((((パリパリ、ポリポリ)))))
なぜなら、そこには、ナッツ菓子で間食に入っている子猫達が居たからである。
子猫達は、黒爪狼を目の仇にして追っていた。
いまはルネ同様に、黒爪狼の状況を掴めていない子猫達。
ゆえに、このようにマッタリとしているのだが、現状を知れば戦いに向かうであろう。
そしてその情報は、ハツカが、この場から離れた瞬間に、コウヤから伝えられる。
ハツカが、急にパーティから離脱すれば、自ずとコウヤは、その説明をする事となる。
そうなると、黒爪狼の下に子猫達を連れて行ってしまう事になる。
それでは、黒爪狼とセンとの戦いに子猫達の介入を許してしまう。
それは即ち、不用意に戦闘を激化させてしまう事を意味した。
このジレンマによって、ハツカは身動きを封じられてしまう。
ハツカの中で、コウヤへの苛立ちを募っていった。
「ハツカ、それは言いがかりだ。何もかも計算ずくで事が運ぶ訳じゃない」
コウヤは、ハツカの心境を理解しつつ、他者には分からないように言葉を濁す。
別にコウヤも、ハツカから敵意を買いたい訳では無い。
ただ、あの未確認の反応が近づいて来ていた事は把握していた。
その上で黒爪狼を緩衝材として利用したのも事実。
それら諸々を利用こそしたが、この状況は、多くの運が絡んで出来たものだった。
コウヤも当初は、接近して来た未確認の熱反応が、センだとは気づいていなかった。
それに気づいたのは、センが黒爪狼との接触を持った直後。
決め手となったのは、センが交戦前に左手に起こした発火だった。
それは、コウヤが王都でカブトと呼ばれる子猫に作ってもらった発火紙だった。
発火紙とは、手品師が使う道具の一つ。
火をつけた瞬間に一気に燃え上がり、灰を残す事も無く消える最強の視線誘導道具。
この視線誘導によって手品師は、発火後に様々な物を出現させる。
発火紙は、二つの薬品の混合液を紙に染み込ませ、一日乾燥させる事で作成が可能。
ただし、その発火性から、作成時はもちろん、保管時にも注意が必要な物であった。
コウヤは、その作成方法は知ってはいたが、自作する気は無かった。
しかしながら、今回は、こう言った物の作成を得意とする子猫がいた。
それが、子猫達の武装を作成したカブト博士である。
コウヤの手品と、それに用いられると言う道具に興味を持ったカブト。
その結果、コウヤが話した発火紙を、朝までにアッサリと作ってしまった。
そこでコウヤは、自身の熱探知と発火紙を使った連絡手段を思いつく。
それが、黒爪狼を発見したセンが左手に起こした小規模の発火現象だった。
魔力を介さない刹那の凄火。
それは、周囲の魔物を刺激せず、他とは明らかに違う存在としてコウヤに伝わる。
そして、これが使われるケースは、二つに限られていた。
一つは、シロウを発見した時。
もう一つは、危険な魔物を発見した時。
前者は、コウヤ達の目的がシロウの捜索である以上、必須と言える情報。
後者は、コウヤ達の安全を確保する為の情報である。
ここは、強大な力を持つ魔物が多く闊歩している危険地帯。
ゆえにコウヤは、王国の監視網を構築していると言うセンに、この二点を頼んでいた。
そして、コウヤに伝えられた合図によって、黒爪狼とセンとの状況が確認された。
その情報の代償として、コウヤはハツカに睨まれ、不信を買う。
「ハツカさんもコウヤさんも、私にも分かるように話をして下さい」
「……」
二人の間で剣呑な雰囲気が漂いだした事で、ルネが割って入る
しかし、それに対してハツカは、何も答える事が出来ず、無言を貫いた。
ハツカにとっては、仲間意識が芽生えている黒爪狼だが、ルネに、その意識は無い。
そして、ハツカが黒爪狼の救援に向かう事を告げれば、子猫達に情報が漏れてしまう。
また、何も言わずに行動したとしても、全てを把握しているコウヤから情報が伝わる。
ゆえに、ハツカは無言でいらざるを得なかったのだが……
「どうやら、センが子猫軍を率いるんじゃなく、先行して偵察に出ていたらしい」
ハツカの抵抗も虚しく、コウヤが現状を語りだした。
「はぁ、そうなんですか」
「センさんが近くにいるのかにゃ?」(パリパリ、ポリポリ)
ルネも子猫達も、コウヤの言葉の意味を掴みきれず、半端な返事を返す。
ただ、ハツカだけが、渋い顔をして沈黙を保っていた。
その様子をコウヤは、捨て犬を隠れて飼っていたのがバレた子供のようだ、と思う。
そして、センから受け取った合図の事を話し出した。
「おれの探知範囲内に入ったセンから、例の合図かあった」
「それって、王都を出発する際に話をしていた、シロさんを発見した時の合図ですか!」
ルネは、シロウが見つかったのか、とコウヤに詰め寄る。
しかし、コウヤから続いた言葉は、ルネの期待に応えるものではなかった。
「いや、近くにヤバイ魔物がいた事を知らせる合図の方だ」
「そ、そうですか……いえ、それなら、すぐに、この場から離れましょう」
ルネは、一瞬落胆するも、すぐに気持ちを切り替えて、パーティの安全に思考を回す。
シロウ一辺倒で、視野が狭くなりがちだったルネが、冷静に状況を見ようとしている。
コウヤは、その心境の変化を、良い傾向だ、と一安心する。
「ただ、その連絡があった魔物は、おれ達の後を付けて来ていた黒爪狼のようだ」
「えっ、黒爪狼が、ずっと付いて来ていたんですか?」
「……」
ルネの驚きの表情に、ハツカの胸が痛む。
ハツカの探知能力を信頼して任せてくれていたルネを、欺いていた事が開示される。
ハツカは、黒爪狼が自分達に敵意を持ってない事を知っている。
しかしながら、それはあくまでハツカ個人の認識。
だからこそ、余計な不安や詮索を避ける為に黒爪狼の事を秘匿していた。
だが、その秘匿していた事を、コウヤとセンによって証明されてしまった。
こうなっては、黒爪狼を快く思っていない子猫達は、もう黙っていないだろう。
そして、五匹の子猫達に一斉に責められれば、ルネの心象も良くなく、そちらに傾く。
そんな未来が視えたハツカは、もう何も言葉にする事が出来なくなっていた。
「そこでだ、この黒爪狼をどうする?」
コウヤから、キツイ提案が出される。
ハツカには、黒爪狼に命を助けられた経緯がある。
だからこそ、黒爪狼の助勢をしたいが、ハツカ自身がルネ達を先に裏切っている形。
その為、ハツカは、その一言を言い出せなくなっていた。
「別に放って置けば良いのにゃ」(パリパリ、ポリポリ)
だが、思いも掛けない所から助け舟が出た。
「ほう、子猫にとって黒爪狼は、契約破りの裏切り者じゃなかったのか?」
コウヤは、縄張り荒らしとして目の仇にしていた子猫達の思いがけない一言に驚く。
コウヤも、子猫達が黒爪狼の事を知れば、真っ先に戦いに向かうと思っていた。
子猫達に、どう言った心境の変化があったのか分からない。
しかしながら、子猫達は、ずいぶんと落ち着いた様子で、くつろいでいた。
「そうですね、黒爪狼はハツカさんを守ってくれたそうですし、敵対しなくても……」
「あっ、そう言うのじゃないにゃ」(パリパリ、ポリポリ)
子猫達の一言で、ルネに黒爪狼への嫌悪感がない事が分かる。
しかしながら、今度は子猫達から否定の言葉が返ってきた。
「センさんなら、あんな犬っころなんて楽勝だと思うにゃ」(パリパリ、ポリポリ)
「アニィ王女を除けば、博士や大臣さんと同じくらい強いにゃ」(パリパリ、ポリポリ)
「……」(パリパリ、ポリポリ)
「くっ」
「あっ、ハツカさん!」
子猫達のお気楽モードが、ハツカの危機感を煽り、黒爪狼の下へと足を踏み出させた。
ハツカは、菟糸の探知範囲から消えた黒爪狼の反応を探して駆け出し……
「「「「「ふにゃっ!」」」」」
「ハツカ、待て!」
「ハツカさん、それは……なんですか?」
「えっ?」
ハツカは、数歩踏み出した所でコウヤ達に声を掛けられ、自分に起きた変化に気づく。
「これは……一体何ですか?」
ハツカの身体は、いままでになかった力が漲り、活性化する。
と同時に、ハツカの黒髪が朱のような赤髪へと変化していた。




