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080.前門の黒爪狼、後門の岩鼠

【キー、キー】


 けたたましい奇声を上げる岩鼠(ロックチャック)

 洞穴内を駆け抜けた不快音に呼応して、洞穴の奥から、共鳴した木霊(こだま)が返ってくる。


「ここにきて、援軍ですか!」


 岩鼠の数が 三匹に増える。

 ただでさえ劣勢だったのが、もう手が付けられなくなる。

 やむを得ず、ハツカは洞穴の入り口側に向かって駆け出した。


 ハツカの背後では、三匹の岩鼠達が、耳障りな奇声を発しながら追い駆けて来る。


 途中で地面に置いていたマジックバックを回収して洞穴を飛び出す。

 そしてそこには、当然のように黒爪狼(ブラッククロー)が待ち構えていた。


 岩鼠達が、あれだけ大きな奇声を発していたのだ。

 それが、黒爪狼の耳に届いていないはずが無い。


 前門の黒爪狼、後門の岩鼠。


 どちらを相手にしても勝ち目は無い。

 ゆえにハツカは、逃げの一手を打つ。


 剣をマジックバックに収納し、黒爪狼に敵意が無い事を示す。

 それが通じるかどうかは賭けでしかないが、剣を持っていてもロクに戦えない。

 持つ、持たないにかかわらず、殺される時は、どうせ一瞬なのだ。

 それなら、敵愾心(てきがいしん)(あお)り兼ねない物を持っている方が悪手である。


 ハツカは、黒爪狼を無視して駆け抜ける。

 一瞬、黒爪狼と視線があったが、それも次の瞬間には、互いに視線を切った。


【キー、キー】


 奇声に反応して、黒爪狼の視線が岩鼠へと(そそ)がれる。

 そして、洞穴から湧き出た岩鼠もまた、衰弱している黒爪狼を視界に捉えた。


 地に伏せ、横になっている黒爪狼。

 その弱った姿を確認した岩鼠は、数に物を言わせて黒爪狼を蹂躙する。


【バシュッ!】


 ──と言う未来図だったようだが、調子に乗って騒ぎ立てた結果、宙を舞った。

 岩鼠の一体が、黒爪狼の爪撃によって切り刻まれ、血しぶきを撒き散らす。


 この瞬間、岩鼠は黒爪狼の不興を買い、粛清された。


 岩鼠は、静かに回復を図っていた黒爪狼の逆鱗に触れ、敵対勢力として認定される。


 百二足(ヒャクニ)の毒で弱っているはずの黒爪狼であったが、いとも容易(たやす)く岩鼠を葬っていく。


 仲間が狩られていった事で、残り四体の岩鼠が、黒爪狼に敵意を燃やして襲い掛かる。

 ハツカを追っていた岩鼠は、いつの間にか、また増えていた。

 まったくもって、油断もスキも無い相手である。

 逃走の判断が遅れていたら、洞穴内で組み伏せられていただろう。


 ともあれ、岩鼠の敵意も黒爪狼に向く。

 このスキに両者から、出来るだけ距離を離したい。

 ハツカは、マジックバックをしっかりと担ぎ、岩鼠の動向を覗いながら速度を上げる。


「あっ!」


 ──が、余所見をしてしまった事で、足下の小石に(つまず)き、素っ転んだ。

 人間、ダメな時は、本当に何をしてもダメである。

 最悪のタイミングで受身も取れず転んだハツカに、一匹の岩鼠が追いつき(おお)(かぶ)さる。


 咄嗟に岩鼠の両前足を手を掴み、攻撃を防ぐも、明らかに体勢が悪い。


 幸いにも、両者の間にマジックバックが滑り込んでいた為、防具の役割も果たす。

 それが、顔を寄せて迫る岩鼠の口臭と唾液を多少防いでいた。

 噛まれるのもイヤだが、こう言った別の意味での凶悪な攻撃にも、つらいものがある。


 覆い被さった岩鼠を蹴り上げて退かそうとするも、なかなか上手くいかない。

 逆に、岩鼠が激しく暴れ回った事で、足の爪でハツカのローブと足が切り刻まれる。

 

 熱い痛みと共に、抵抗する気力が流れ落ちいく。

 このまま力尽きていく未来しか見えない状況。

 次第に、抵抗する腕の力も抜けていく……


【バシュッ!】


 ハツカの身が、おびただしい血で染まる。

 (あきら)めの境地(きょうち)(いた)ったハツカの精神と身体が、死期を悟り受け入れる。


 脱力した身体は、もう動く力を失う。

 朦朧(もうろう)とした思考は、夢を見るように宙空を見上げて彷徨(さまよ)う。


 そして、崩れ落ちるように横に倒れていく岩鼠の姿を、まるで他人事のように眺めた。


「……えっ?」


 ハツカは、(ほう)けながら、目の前の光景を再生する。

 思い浮かべた記憶は、襲撃者が血を吹き出して倒れていく様子。

 そして、その背後には、黒爪狼の姿が浮かんでいた。


 黒爪狼が、岩鼠の下になっているハツカを見下ろす。


(ああ、わずかに生き(なが)らえただけですか……) 


 一時の延命。

 だが、それが、一度は決めた覚悟を揺るがし、未練を沸き起こす。


 諦めと同時に、考える事を止めた時には無かった恐怖が湧き上がる。

 必死だった時とは違い、考える時間を与えられた事で、死の恐怖に身を震わせる。


「(シロウ、助けて……)」


 ポツリと出てきた言葉。

 他にも言いたい事はあったはずなのだが、搾り出て来た言葉が、それだった。

 そこには、いろいろな想いが詰まっていた。

 ただ、それは間違いなく、ハツカが、この瞬間に抱いた素直な感情だった。


 ──時が流れて行く。


 いつまで経っても訪れない審判の時に、ハツカは閉じていた瞳を、そっと開く。

 すると、目の前に居たはずの黒爪狼の姿が消えていた。


 いや、黒爪狼は、百二足の亡骸で作った自らの拠点に戻り、静かに伏していた。


「どう言うつもりですか?」


 黒爪狼は、ハツカの事を歯牙(しが)にもかけず、自らの回復に努めている。

 ハツカは、その事に救われるも、どうにも納得がいかなかった。


「もしかして、ずっと私が近くにいた事を知っていた……のでしょうか?」


 ハツカの疑問が届いたのか、まるで知らない振りをするように、黒爪狼は顔を(そむ)けた。

 その態度にハツカは、バカにされたように感じる。

 そして今度は、意思疎通が出来る事を前提にして、問い掛けを試みた。


「つまりは、最初から私など眼中に無い、と無視していたのですか?」


 黒爪狼は、ハツカの言葉を理解しているようである。

 またもや、知らばっくれるように、身体を丸める反応を見せた。


「そ、そうですか……」


 言葉は理解しているようなのだが、返答は出来ないようである。

 考えてみれば、口の構造が違うのだから、同じようには話せないだろう。


 そして、いろいろと思い返して、ある事に気づく。

 ハツカと黒爪狼は、対峙した事はあっても、一度も敵対はしていない。


 初遭遇時に戦っていたのは子猫達(ネコレンジャー)で、先程は岩鼠。

 ハツカ自身は、どちらにおいても その場に居合わせはしたが、手は出していない。


 ハツカが黒爪狼に抱いていた印象は、好戦的な魔物、と言うものだった。

 しかしながら、目にしてきた黒爪狼には、自ら襲い掛かっていった場面は無い。

 例外があるとすれば、最初に戦っていた百二足(ヒャクニ)戦の真偽くらいだろう。


 黒爪狼は、自身が弱っている事を自覚し、静かに体力の回復に専念していた。

 そこに現れた襲撃者や騒ぎ立てた者は、容赦なく排除していっている。

 それが、昨晩からの襲撃者であり、先刻の岩鼠だ。

 そして逆に、洞穴で大人しくしていたハツカの事は放置している。


 アニィが言った、子猫種(ケットシー)人狼種(ワーウルフ)との契約が破られている理由は分からない。

 しかしながら、黒爪狼は、無闇に敵を作る気は無かったのかもしれない。

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