008.宝鎖
ルネは慌てる事無く、可能な限り迅速に、当てないように発火薬の射出体勢を整える。
この発火薬は脅しの道具。発火現象は起すが、爆発物とは違って脅威と成り得ない。
ゆえに魔物に当てて、その事実を気づかれてはならなかった。
継続して二発目の発火薬を射出して、魔物の進路を反らしに掛かる。
そして距離が詰まって来ると、武器をスリングに持ち替えて、投石射出に切り替えた。
通常のスリングによる投擲となると、威力は落ちるが取り回しが容易になる。
ルネは、今度は魔物を直接狙って投石を射出した。
それは魔物の額部にクリーンヒットして、その突進の足を鈍らせる。
バーバリアンシープの額部は、分厚く固い毛皮で覆われている。
そんな部位への無意味とも思える攻撃。
しかし、非力なルネの投擲が、屈強な剣士並の警戒心を魔物に植えつける。
それは投擲と言うものが、人類特有の特殊攻撃であったがゆえに成し得た業。
スリングには筋力が要らず、修得が容易な為、古来より準主力として重宝されていた。
スリングとスタッフスリングの違いは、棒に繋げているか、いないかの差。
スリングの射出方法は、まず手に持ったスリングを回転させて遠心力で威力を高める。
そして十分な威力と狙いが定まった段階で、スリングの片側を手放す事で射出する。
人が全力で拳大の石を投げた場合の威力は、その者が全力で放った拳を軽く上回る。
そしてその威力を保持している投石が当たれば、ほぼそのまま衝撃力となって伝わる。
この衝撃力とは、硬い金属鎧でも、その威力を軽減するのが困難な力。
その為、固い毛皮に守られた魔物にも、確実にダメージを蓄積させられる。
目立った外傷は無くとも、体力を確実に削る。
このシンプルかつ強力な攻撃こそ、人類が持つ特殊攻撃、投擲攻撃の真価であった。
ルネは、防具代わりに背負っていた盾と長杖を持ち替える。
右手にスリングを、左手に盾を。
左手に盾が持てるのは、片手で扱えるスリングの利点。
投擲に必要な投石は、周囲にいくらでも落ちている。
しかし、ルネには決定打が足りない。
ルネが魔物を一時的に足止め出来たのは、一種のカウンターだったからに過ぎない。
警戒されて正面から対峙した場合、ルネには、まともに戦うすべが無かった。
ルネは左手で盾を構え、右手でスリングを振り回して威嚇と牽制をする。
【うわぁーっ!】
その時、隣で叫び声が上がった。
それは、前に位置した馬車の護衛の一人。
彼はバーバリアンシープの角に捕らえられ、身体を持ち上げられていた。
当初、彼は盾を構えて、正面から魔物の突進を受け止めていた。
そこから両者の力比べによる競り合いが始まる。
競り合いの流れは、同族間で同様の戦いを繰り広げているバーバリアンシープに傾く。
魔物は額部を盾に押し当て、頭部を左右に振り、護衛の防御を掻い潜る。
そこから再び頭部を振って、後方に弧を描くように伸びた角で、護衛を引っ掛けた。
その角は護衛を捕らえ、そこから更に左右に振る。
初めは引っ掛かった程度のものであった。
しかし護衛が脱出しようと足掻くも、その角の形状ゆえ、背後から刺さっている。
なかなか身体の位置を変えられずに足掻いているうちに、更に深々と防具に掛かる。
それは、捕らえた魚を逃がすまいとする釣り針のような働きをした。
バーバリアンシープは、その強靭な首で掛かる力を支え、護衛を頭上に持ち上げる。
そして豪快に頭上で護衛を振り回して、地面に叩き落した。
そのあまりにも衝撃的な光景を目のあたりにしたルネは、顔を青ざめさせる。
スリングで仕留められなくても、盾で身を守れば、なんとかなるかと思っていた。
しかし今の光景を見てしまったら、下手に盾で防御した方が危険だと気づかされた。
──その逡巡が嗅ぎ取られる。
様子を覗っていた魔物が、強靭な脚による跳躍を使って、空中からルネを強襲した。
そのあまりにも絶妙なタイミングに、ルネは思わずスリングの投石を射出してしまう。
ろくに狙いをつけずに放たれた投石は、魔物の横を通り過ぎる。
直後、自重で押し倒しに来た魔物の攻撃が、ルネを襲う。
ルネは、かろうじて盾で襲撃を反らしてやり過ごす。
次弾を装填する間が無くなったルネは、魔物にとって脅威と成り得ない獲物と化す。
ルネは自分が犯してしまったミスに気づくも、もう遅い。
残るは左手に持つ盾を使って、とにかく正面に立たないようにと必死に足掻いた。
「ルネ、もう少し下がってくれますか」
不意に掛けられた言葉に驚いたルネは、よろめいて奇しくも数歩、後退する。
その直後、魔物がルネの目の前で横転し、横を滑るように倒れ込んで通り過ぎた。
「ビィーシッ!」
そして気合一発。
再びルネの目の前にボロ雑巾の様相で戻って来た。
それは、あまりにも今までの苦労を省みない理不尽な光景。
ルネは、その瞬間に一気に脱力し、そして地面にへたり込んだ。
「俺の必殺拳・其の壱」
「ただ全力で殴っただけですよね?」
「まぁ、そうなんだけど。ハツカが他に技がないのかって言ってたから追加してみた」
「ルネ、大丈夫ですか?」
「おい、そこで無視するなよ。泣くぞ」
そこには、顔色の悪いハツカと、ぞんざいにあしらわれているシロウの姿があった。
「ありがとうございます。二人とも、もう大丈夫なんですか?」
「いいえ、最悪の気分です」
「全然ダメだ、力加減が出来なくて自滅した」
シロウは篭手を外して、皮が擦り剥け、腫れ上がっている拳を見せた。
「シロさん、大変じゃないですか、すぐにポーションを使って下さい」
ルネは、シロウの拳を見て顔を青ざめさせる。
そして慌ててポーションを取り出してシロウに手渡す。
その間にハツカは、フラフラと魔物に近づいて、念の為にと剣で仕留めていた。
ルネは、そんなハツカの行動に違和感を覚える。
いつものハツカなら、魔物が動かなくなるまで近づく事はなかった。
と言うよりも、宝鎖によって仕留めた後に近づいていた。
それが今回は、わざわざ剣で仕留める為に近づいている。
その違和感を不思議に思っていたら、ハツカと魔物の間で、何かが動いていた。
「ツタ?」
それは何かの植物のツタだった。
ツタは魔物の足に絡まっていたが、ハツカが仕留めたのを境に離れていく。
「ハツカさん、足元に気を付けて下さい。何かいます!」
ルネは慌ててハツカに警告する。しかしハツカは、何事も無いように戻って来た。
「大丈夫です……そうですね、良い機会なので話しておきます」
ハツカの足元まで伸びて来た……いや、戻って来たツタは、その姿を宝鎖に変える。
「これが私の固有能力『菟糸燕麦』であり、私の宝鎖の起源です」
「菟糸燕麦ですか?」
「名前と実体が伴わない役立たず、と言う意味です」
「ずいぶんとヒドイ能力名だな」
シロウは、ハツカのあまりにもな固有能力名に、自虐が過ぎないか、と思う。
「『菟糸』は、植物の『ネナシカズラ』、『燕麦』は、植物の『カラスムギ』です」
そうして語られた内容は、こう続いた。
ネナシカズラは、ツル状の寄生植物。
その種子は、地中や地表で発芽し、初めは根がある。
発芽後、数日以内に他の植物に寄生する事で成長し、辿り着けなければ枯れる。
その中のクシロネナシカズラには、揮発性物質で寄主を選定すると言う特徴があった。
これがハツカの宝鎖に、ニオイによる追尾と言う能力を与えている。
カラスムギは、イネ科の植物。
植物の名称に『イヌ』や『カラス』と付くのは、人間の食用に適さない植物を表す。
ただしカラスムギは、実際は食用に適した植物ではあった。
しかし日本では、麦の栽培が広がった為、飢饉の時にしか食される事はなかった。
どちらも名前に『糸』や『麦』が付いているが、実際には、その役割は果たせない。
そこから、実体が伴わない役立たず、と言う意味で使われる言葉。
それがハツカの固有能力名の『菟糸燕麦』であった。
「私が体調を崩していた事で、宝鎖としての形状と役割が維持が出来なかったようです」
「なるほど、言われてみれば射程距離も、かなり短くなっているな」
シロウは、馬車と魔物との戦闘地点が、10メートルに満たない事に気づいた。
「とにかく二人とも馬車に戻りましょう。魔物の方は落ち着いたようですし」
周囲を見回すと、それぞれの馬車も討伐ないし撃退に成功していた。
倒された魔物は、護衛団が回収して全て商隊が買い上げる。
その一部は臨時報酬として、馬車の護衛に参加した者達に分配される事となった。