061.谷底の色彩
◇◇◇◇◇
「アニィ、ルネ、大丈夫ですか?」
ハツカは、谷間を落下し、倒木の樹冠部に降下した後、燕麦を解いて訊ねた。
「キャハハ、キャハハ!」
「少し身体を打ったようですが、よくこの程度で済んだと思います。感謝です」
菟糸の庇護から解放されたアニィは、相変わらず、ご機嫌の様子。
対してルネは、少しフラつきながら立ち上がり、身体に異常が無いかを確かめていた。
その様子にハツカは、許容範囲内で済んだようだ、と安堵する。
「とにかく、一度地面に降りて二人と合流しましょう」
「そうですね、シロさん達も木から下りているでしょうから」
ハツカは、アニィとルネを引き寄せて、菟糸をロープ代わりにして木から降下する。
「キャハハ、キャハハ!」
「ハツカさん……これはさすがに良くないのでは?」
喜色を浮かべて楽しんでいるアニィ。
その様子をルネが痛々しそうに見ていた。
「本人は喜んでいるので問題ありません。心配なら早く地面に降りて下さい」
「は、はい」
ハツカは問題ない、と言ってはいるが、アニィは菟糸で木から吊り降ろされた状態。
それを自身の身体を揺らす事で、円を描くように回転しながら揺れて遊んでいる。
見方を変えればイタズラっ子が、お仕置きされて木から吊られているような状態。
ゆえにルネは、アニィの事を可哀想に感じて見ていた。
アニィにとって倒木からの降下は、大した問題ではなかった。
その為、一人で降りようとしていたのだが、ハツカが自由を許さなかった。
いままでの一連の出来事のように、これ以上トラブルを呼び寄せられては堪らない。
そう考えたハツカが、こうやって拘束して自分達が降りる時間を稼いでいる。
ただ、喜んでいるアニィと心配そうに見ているルネの様子を見ていて、ふと思い出す。
確か危険な遊具として公園から消えた物に、似たようなものがあったな、と。
三角すいの回転する遊具で、男の子が、ぶら下がって遊んでいたのを見た事がある。
ちょっと興味があった古い遊具。
母親にダメと言われて見ているだけだった遊具。
あれは一体、なんと言う名前だっただろうか……
「ハツカさん、降りました。アニィさんを降ろしてあげてください」
そんな事を思い出していると、すでにルネが地面に降りていた。
よほどアニィの事が気になっていたのだろう。
見た目だけで言えば愛らしいケットシー。
だが、その実態は、無邪気ゆえの残酷さを持ち合わせたお子ちゃま。
ゆえにハツカ達三人は、すでに遠慮を取り払って相手をしている。
そんな中、ルネだけは最初の頃の忌避感とは逆に親身になっていた。
ルネにとってアニィは、ある意味、手の掛かる孤児院の子供達と重なっている。
興味があるものに飛びつき、後先を考えずに突っ走っていく。
そんな感じがルネを過保護にして、心配の種を増やしていっていた。
「そう言えば、シロさん達は、どこにいるんでしょう?」
ルネが周囲の様子を覗いながら、菟糸から解放されたアニィを抱えてハツカに訊ねる。
その言葉が示すように、周囲にはシロウ達の姿が見えない。
落下中の接触事故を避ける為に一定の距離を離して着地はした。
だがそれで、お互いに見つけられない、と言う事が起きる距離ではなかったはず。
そう不審に思ったハツカの菟糸に、突然反応があった。
【イヤーン!】
甲高い不思議な鳴き声が周囲に響き、菟糸の自動防御が警戒体勢に入る。
「な、なんですか?」
「ふにゃぁー!(あせあせ))
謎の声にルネがビクリと反応してアニィをギュッと抱きしめる。
それが油断しきっていたアニィへの不意うちとなった。
予想外に力が入った抱擁に驚いたアニィが、ルネの腕から逃れる。
「あっ、アニィさん待って……」
「ルネ、動かないで!」
アニィを呼び止めようとしたルネ。
ハツカは、そのルネの手を素早く取ると、アニィを菟糸で再捕縛する。
そして近くの倒木の陰に駆け込み、二人の口元を手で覆って息を潜めた。
訳が分からないでいるルネだったが、次第に近づいて来る物音に気づいて緊張が走る。
そして次の瞬間、目の前に現れたド派手な魔物の姿に息をのんだ。
それは巨大な体躯に、二対の大鋏を持ったサソリの魔物。
しかもその巨体は、迷彩などお構いなし、と言った様相で七色に彩られていた。
更に大サソリは、ただ七色に彩色されているのではない。
外殻にボコボコとした突起がいくつも見受けられる。
そしてその突起は、日の光を受けでチラチラと輝くいていた。
その光景に、ハツカは既視感を覚える。
「あっ、『装飾蠍』にゃ!(あせあせ)」
アニィが、色鮮やかなド派手なサソリの魔物に大ハシャギする。
そしてその名を聞いた瞬間、ハツカの中で既視感の正体が繋がった。
「ああ、ネイルアートのストーンが散りばめられているのに似ているのですね」
そんな印象を受けた装飾蠍の名前を持つ大サソリ。
実に分かりやすい名前だと思うと同時に、その存在と命名者のセンスを疑った。
全身に派手な色彩とデコレーション、四つの大鋏を持つ七色の大サソリ。
自己主張と攻撃性を体現した姿の魔物。
ハツカは、あの目がチカチカする魔物とは、まともに戦えそうにない、と心底思う。
そして、この効果を意図した上で選んだ進化なら、実にユニークな魔物である、と。
「……ハツカさん、もしかして、あの輝いている物って、宝石じゃないですよ、ね?」
そんな事を考えていたハツカに、ルネの素朴な疑問が投げ掛けられた。
ハツカは指摘を受けて、改めて装飾蠍に注目する。
陽の光に照らされて、ストーンのように見える起物の間で何かが輝いている。
七色に輝く外殻の反射光に目を眩まされながら、その点在している物体の確認をする。
そこには、ルネが指摘したように、確かに宝石のようにも見える物が存在した。
「装飾蠍は、外殻の間に陸のパールって言われる石を作るのにゃ!(あせあせ)」
ルネが気づいたパールのような宝石とは、蠍石と呼ばれる宝石。
この蠍石は、外殻の生成時に分泌されている成分によって副産物として生成される。
「って、大臣が言ってたにゃ!(あせあせ))」
とアニィが、受け売りながら装飾蠍の蠍石について教えてくれた
ハツカは、鼻高々に言ってきたアニィに呆気に取られるも、すぐに蠍石を二度見する。
目の前に大量に実っている物が、全てパールの一種だと言う。
そして蠍石の名前を聞いたルネも、高級品ですよ、と興奮していた
「あんなにいっぱいの蠍石を付けている装飾蠍は珍しいのにゃ!(あせあせ)」
「そうなんですか?」
アニィが、上体を起こして立ち上がっている装飾蠍を、倒木の陰から覗き見て言う。
「目立つから蠍石目的で、ちっちゃい子や天敵に狩られちゃうのにゃ!(あせあせ)」
「待ってください、ケットシーの子供が、あんな大きな装飾蠍を狩ってるんですか?」
「見つけたらみんなで狩って、拾った蠍石を弾いて遊ぶのにゃ!(あせあせ)」
「おはじきやビー玉みたいな使い方で遊んでいる、と言う感じのようですね……」
「弾けて砕けると、キラキラと光ってキレイなのにゃ!(あせあせ)」
「高級品の宝石を、遊びで砕いているんですかぁ?」
「この国では、それくらいの価値としてしか見ていない、と言う事ですね……」
ある意味、これも蠍石の価値を高めている要因の一つなのだろう。
ハツカは、場所が違えば物の価値が違う、とルネに解く。
そして、改めて装飾蠍を哀れに思った。
本当に、どのような意図があって、あのような進化を遂げた魔物なのかは分からない。
しかし、あのように、敵にすぐに見つけられる姿では、自然界では生きにくいだろう。
ただ、その話の中で聞き逃せない言葉があった。
「ちなみにですが、その天敵とは何ですか?」
「『助平鳥』にゃ!(あせあせ)」
アニィは、満面の笑顔で答えた。
「な、なんですか、その魔物の名前はっ!」
「ルネ、この際、魔物の名前に突っ込んでいても仕方がありません」
ハツカもルネと同様の感想を抱いたが、名前については横に置いておく。
「それで、その魔物とは、どのようなものなのですか?」
「鳥の魔物って事は、名前からも分かりますよね」
ルネが言うように、そう言った意味では、ちゃんとした命名がされていた。
「目がいっぱいあって『イヤーン』って鳴く鳥さんにゃ!(あせあせ)」
「「はぁ?」」
【イヤーン!】
その時、ハツカ達に影が差す。
再び甲高い鳴き声が周囲の空気を振るわせる。
装飾蠍は、鳴き声に呼応して四つの大鋏を天に向けて広げた。
それは外敵に対する威嚇行動。
だが、上空から飛来した巨鳥は、急降下をもって、一気に装飾蠍を踏み潰した。
降臨した巨鳥は、装飾蠍を組み伏せると同時に、二本の大鋏に爪を食い込ませて潰す。
対して装飾蠍は、残された二本の大鋏で素早く反撃に出る。
すさまじい風切り音をともないながら大鋏が振るわれる。
しかしその攻撃は、再び舞い上がるった巨鳥の下を通り過ぎた。
巨鳥は、空を切った大鋏の間合いの外を旋回して獲物の動向を覗う。
対して装飾蠍は、巨鳥に狙いを定めさせないようにと、身体を素早く動かしていた。
「あれが装飾蠍の天敵ですか?」
ハツカは、上空を旋回している巨鳥を仰ぎ、逆光に邪魔されながらも観察する。
長い尾を揺らしながら上空を旋回する巨鳥。
頭部と頸部が青色、体側面を青緑色と、こちらも装飾蠍に劣らない色彩を持っていた。
どちらも自然界において、正気とは思えない派手な色彩で身を固めた魔物。
しかし巨鳥の方には、まだ優雅さと言うか、余裕の表われを感じさせるものがある。
巨鳥が装飾蠍を追い詰めていく。
装飾蠍は大鋏を振り回し、逃走経路を開こうと計るも、巨鳥はそれを許さない。
積み重ねられていく攻撃によって、装飾蠍の動きが次第に衰えていく。
そして装飾蠍に、当初の素早い動きが失われた時、巨鳥の動きに変化が現れた。
巨鳥は、おもむろに装飾蠍の前に降り立つと、突如、無数の羽を広げて威嚇する。
「な、なんですか、あの瞳は!」
「だから、目がいっぱいある鳥さんって言ったのにゃ!(あせあせ)」
巨鳥の背後で扇状に開かれた無数の羽。
そこには、同様の数の瞳が存在し、装飾蠍を凝視していた。
圧倒的な異彩を放つ無数の瞳を目にしたルネが、思わず息をのむ。
そして、その瞳に睨まれた装飾蠍もまた、その威圧感に気圧され、二の足を踏んだ。
巨鳥の威嚇行動によって、装飾蠍が決定的なスキを生んだ。
装飾蠍が最後に見たのは、巨鳥の恐るべき無数の眼光。
その恐怖で身を硬直させた装飾蠍は巨鳥の前で無防備となり、次の瞬間に地に還った。




