037.だし巻き卵
だし巻き卵に使う出汁の量は、関東よりも関西の方が多い傾向にある。
それは卵液に加える材料の傾向の違い。
関東は卵液に出汁と他の調味料を加え、関西は出汁のみを加える傾向が強い。
これは基本的な出汁の取り方や食文化の影響がある。
出汁は、関東はカツオ出汁、関西が昆布出汁。
醤油は、関東は濃い口、関西は薄口。
卵焼きの味付けは、関東が甘口、関西は塩味。
今回、シロウ達が出汁を取るのに使用したのは昆布とキノコ類。
その選別理由は、単純に商業ギルドにカツオ節が存在しなかったからだ。
作れる出汁から考えた場合、だし巻き卵は関西風に作る事が決定された。
このルートが決まった時点で、シロウは悪巧みを巡らせる。
関西風のだし巻き卵とは、この上なく、ふんだんに出汁を含まれた物。
それを仕上げるのには、かなりの技術が必要となる。
しかし、それを軽減しつつ、出汁を卵に閉じ込める手軽な裏技が存在する。
だし巻き卵に使用している出汁には、一つの秘密がある。
実は出汁には、シロウの手によって『白い粉末』が混入させられていた。
白い粉末は、出汁に対して少量だけ溶かされて、卵液と併せられたのちに焼かれる。
この際、溶けた白い粉末は、出汁を吸収して旨味を閉じ込める。
と同時に、出汁と卵を絡ませる接着剤の役割も果たしていた。
これにより、だし巻き卵を焼く際に、形状が安定して固まりが早まる。
その白い粉末の正体とは『片栗粉』
シロウが事前にハツカに効果を確認をして、ハツカ以外には秘匿しておいた罠。
前日までの二日間は、子供達の調理技能の向上期間。
それでも、必要とする調理技能に到達しなかった場合の補助としての、この隠し技。
そして無謀にも、子供達のマネをして自滅した模倣犯達。
諸々の要素が絡まって結果、このトラップは最高のパフォーマンスを発揮した。
だし巻き卵の出汁の質と仕上がりの見た目の両方で劣ったパチモンは駆逐されていく。
同じく後続商売を考えていた者達も、その衰退する様子を見せ付けられて足を止めた。
もう、この卵焼きブームに乗った商売での後追いは出来ない、と。
いま目の前に映っている者達の姿に、明日の自分の姿を重ねてしまって……
彼らは一様に、大量の卵と砂糖の在庫を抱えて困窮する。
以降、彼らは、精神的にも経済的にも追従後追いが不可能となってしまった。
「それで、なんでオマエ達まで、こんな所で油を売っているんだ?」
「いやぁ、売っているのは、そっちだろ?」
「話には聞いていた、です。確かに美味い、です」
前日に出会ったロウとリコが、ヤンと入れ違いにやって来た。
いや正しくは、リコがヤンが去った事を確認してから訪れた、と言った所だ。
ロウは、賭博組織からの命令でヤンを襲撃した際に姿を見られている。
その為、ヤンと顔をあわせる訳にはいかない。
加えて、シロウとの密約によって、賭博組織からのヤン達への介入を抑えていた。
ゆえにロウは、余計な詮索を避ける為にも、ヤンとの直接の接触を避ける。
対してリコは、ハツカにロウの監視を命じられているが、ここはロウに協力していた。
二人とも武術大会を利用した賭博組織に関与している。
リコの立ち回りとは、ひっそりと闇や周囲に溶け込んで諜報や監視をする事だ。
その為、ヤンのような騒がしい人物と関わると言う事は、リスクしか無い。
その共通点があるからこそ、この点においては、リコもロウに協力をしていた。
だし巻き卵を堪能している二人は、いまは普通の客として訪れている。
ロウは、今日はマスターランクの新参者の『調整』を請け負っているらしい。
とは言え、前日のような強引な手法が使える相手はいない。
対象となる者は、皆それなりの猛者ばかり。
基本的には身辺調査が主な仕事となるそうだ。
つまり酒や女、金回り、と言った所を突いての根回しが目的となっている。
「ここの商品は話題になっているからな。土産にすると話を進めやすいんだよ」
ロウはリコの分も気前良く支払うと、だし巻き卵と卵焼きの二種類を購入する。
そして、この出店に関する貴族階級に広がっている噂の事を教えてくれた。
ここの商品は、すぐに売り切れる事から、貴族連中が欲しがっている事。
初日の騒ぎや前日のお兄さん方の購入者への教育の件が知れ渡っている事。
その為、ここの店では貴族階級の権威が通じない、と言う認識がされている事。
購入したければ素直に並ぶしかない事。
しかし購入制限がある為、まとめて購入する事が出来なくて困窮している事。
と、最後は身に覚えの無い話が耳に届いた。
「はぁ? 購入制限なんて掛けてないぞ」
シロウは、その部分を否定してするも、エレナは苦笑いを浮かべて答えた。
「それはたぶん、まとめて全部売って欲しいと言われたのを断った件だと思います」
どうやらシロウの知らない所で、実際にあった話だったようだ。
それは、シロウがセドリックと話しをしている時に起こっていたらしい。
セドリックとは、初日に卵焼きを取り置きしておく約束をしてからの縁。
その為、今日は使いの女性がやって来て、その引き渡しをすでに済ませている。
それはシロウにとっては、偶然の縁によって続いている例外であった。
しかし、そのような事を知らない者が、当たり前のように権威を振るった。
あの年配の紳士に習って、自分の要求を通そう、と。
その勘違いした旦那様や奥様方をエレナが上手くやり過ごしていた。
彼の紳士は、初日に品切れをした際に、無理を通さずに一日待って下さいました。
そのような方であるからこそ、この料理がもたらした縁を大切にしているのです、と。
そのような経緯を経て、いつしか噂話が大きくなっていく。
あの店に下手な手出しをすれば、手痛いしっぺ返しを食らう。
店のルールには素直に従え、と。
「なんでそこで、そんな拡大解釈が発生しているんだよ!」
シロウは、確かにそのような事を求めはしたが、いきなり発生した外圧要素に驚く。
「噂の中心にいる年配の紳士ってのが、貴族社会に影響力がある人物だったらしいぞ」
「そうなのか?」
「ああ、その人物が店のルールに従って並んでいた。だから連中も身構えちまったのさ」
ロウは、セドリックの事を正確には把握していない様子だった。
しかし周囲の様子から、ある程度の状況を分析したようである。
ただ、その話を聞いても、シロウは、どうにもピンと来ない。
セドリック自身は、誰かに仕えている感じの人物だった。
しかし、彼自身に、そんな力があるとは思えなかった。
「まぁ、その人物が店のルールに従って並んでいた。だから連中も身構えちまったのさ」
「だからこそ、話題の中心となっている、ここの商品が良い土産になるって事か?」
「あと、今日のシニアランクの各部門の有力者が、ここの常連ってのも大きいな」
「そうなのか?」
「ウェポンのトム、マジックのパイロマンサー、オールのイサオだな」
どうやらトムは、世間では思っていた以上に高評価を受けていたようだ。
いや、前日にロウから聞いたように、総じて技量レベルが低い大会になっているのか?
シロウは、そんな事を考えながら聞き慣れない常連らしき人物について訊ねた。
「トムとイサオは分かるけど、パイロマンサーってのは知らないな」
「ああ、すまない、そいつは炎を使う魔術師の通り名だ」
「初日に、ここの前を炎上させたと聞いている、です」
「ああ、コウヤの事か。アイツ、なんかカッコイイ名前で呼ばれてるんだな」
リコの補足を聞いて、確かにコウヤも大人しく買いに来ていたな、と納得する。
ただ、武術大会に参加していたとは思わなかった。
コウヤの炎は刃物を一瞬にして溶解していた。
大会に出ていると言うのなら、優勝は固いだろう。
シロウは、ロウに間違ってもコウヤには手を出すなよ、と忠告しておく。
するとロウの方も、言われるまでもない、と笑って応えた。
イサオを相手にするのなら考えもするが、命も剣も溶かされたくはない、と。
どうやらロウの見解でも、あの三人の中ではコウヤが群を抜いて評価が高いようだ。
それはそうだろう。トムやイサオはヤンよりも腕力や体力があっても、それ位の差。
二刀流を使いこなすロウとでは力量差は明確だ。
シロウも、ロウと再戦をしたなら勝てる見込みが無い。
ゆえに、偶然が絡んだ結果だったが、ロウ達との対戦が済んでいる事を幸運に思う。
ハツカの防御に圧倒されたロウ達は、必要以上にシロウの事も格上に置いていた。
それはハツカに敗北したロウとリコが、ハツカの子分と言う立ち位置に収まった事。
そしてハツカが、シロウに負けたと口外した事からの思い違いが大きい。
シロウとしては、ハツカと再戦したなら普通に負ける自信がある。
なぜなら、いまのハツカは、以前にあった防御の弱点を解消しているからだ。
ロウに『鉄壁のハツカ』と言わしめた防御を崩す事は、もはや容易ではない。
と同時に、その通り名を命名したロウのセンスに、シロウは感嘆していた。
よくもハツカに『絶壁』なんて言えたよなぁ、と。
もちろん、それを言葉に出した瞬間、シロウはハツカにボコられたが……




