032.路地裏
「悪い事は言わないから、いますぐ引き返しな」
「何も見なかった事にすれば、余計なケガをしなくて済むよ」
「オレらは、勘違いしてやりすぎている新顔の教育をしてるだけだ。引っ込んでな」
「お互いの為にも、嬢ちゃんには話を飲んで欲しいものなんだがな?」
男達は、シロウ達を格下だと見下して、完全にナメきっていた。
「ヤン、面倒なので、彼らの話を受け入れるか、会場に戻るか決めて下さい」
「って言うか、ルネはヤンと一緒に先に行ってトムと合流して待っていてくれ」
「はい、二人とも、お任せします」
「ちょっと、ウチが、この場を丸投げして行くとでも思ってるの!」
「どちらにしても、居ると収拾がつかないので邪魔です」
「ハツカ、そう言うのは言葉に出すなよ……」
「ちょっと、それってどう言う意味よ!」
「みなさん、そう言うのは止めて下さい。ヤンさんは、こっちです!」
シロウは、短気なヤンを引っ張っているルネに同情する。
「(まったく、ハツカもヤンも、どうしようもないなぁ)」
ハツカは、装着した胴鎧の鉄鎖頭巾部をルネに掴まれて騒いでいるヤンを見て思う。
「(ルネは、ああ言う駄々っ子の扱いは、得意そうですね)」
ヤンは、ムカつくシロウとハツカを睨みながら吠える。
「相手が一人だったら、アナタ達に声なんて掛けなかったわよ!」
そしてルネは、怒られていると思っていない三人を前に、顔を真っ赤にしていた。
「お、重いですぅ……」
ルネは、ヤンを一生懸命引っ張っているが、抵抗されて一向に動かない。
ヤンが身に着けている胴鎧は、細かく裁断された鉄板を、なめし革で繋ぎ合わせた物。
鉄板は身体に合わせて位置が調整され、表面は見目麗しい布地で覆われている。
そこに上腕甲と肘甲、鉄鎖の頭巾が加わり、その総称がブリガンダインと呼ばれた。
ブリガンダインは、身体の動きを阻害しないように調整されている。
しかしそれは、チェーンメイルなどを下に着込む事が前提の仕様であった。
その為、装着した者は、見た目以上の防御力と総重量を得る事となる。
「ちょっと、そこは防具が重いって言いなさい、まるでウチが重いみたいじゃない!」
優秀な防具を得ているヤンが、唯一気にしている点をルネがピンポイントで攻撃した。
その為ヤンは、時と場合を考えずに激情して暴れだす。
男達のような手合いは、ハツカに任せれば簡単に鎮圧出来る。
二人を先に逃がそうとしたのは、ヤンに宝鎖の説明をするのが面倒だったからだ。
あと、シロウが残るのは、ハツカが、やり過ぎるのを抑える為だったのだが……
試合が控えているヤンを気遣ったつもりだったが、どうしてこう血の気が多いのか。
自分から敵を増やすように暴れだすヤンを見てシロウは、見捨ててやろうか、と思う。
「もう面倒だ、やっちまおうぜ」
「さすがにもう、穏便には済ませられそうにはないね」
「ちょいと、身の程ってものを知ってもらおうか」
「頭の悪い嬢ちゃんだな、半日ほど眠っていてもらうか」
男達が自分勝手な穏便案を放棄して、短絡思考を加速させた。
「仕方が無い。ルネ、ヤンを頼む。ヤン、先に謝っておく、素っ転んだらゴメンな」
「ちょっと、いきなり何を言って……んひゃー!」
シロウはヤンの両肩に両手を置くと、ルネを横に避けさせてからヤンを突き飛ばす。
大通りに向かって急速後進させられたヤンは、バランスを取ろうと必死に足掻く。
しかしその甲斐も虚しくヤンは後転し、地面に後頭部を打ちつけて白目を剥いた。
倒れ込んで天を仰ぐヤンに駆け寄ったルネが、抗議めいた事を叫んでいる。
しかしそれをシロウは無視する。
頭に血が上ったヤンが暴れ出すよりはマシだ、と。
「ハツカ、やり過ぎるなよ」
「シロウこそ、ちゃんと復調しているのでしょうね?」
互いに人間を相手にする時の加減には自信がない。
シロウは拳を軽く握る程度に留めて迎撃態勢をとる。
相手の四人の男性は二人組みを基本にシロウ達に向かって来た。
シロウは正面で左右に分かれて同時攻撃をしてきた男達を一歩後退して視界に収める。
と同時に、二人の右手の硬貨を指弾で飛ばし、握られていた剣を落とさせた。
敵対者の脅威と射程を制圧した後に、足払で一人転倒させる。
そして次の瞬間に、リーダー格の男のこめかみに掌底を打ち込み昏倒させる。
最後に転倒させた輩に一発入れて、こちらも意識も刈っておいた。
「うん、話には聞いていたけど、掌底打ちって本当に効くんだな」
掌底打ちは、拳撃に比べて圧倒的に重い衝撃力を打撃対象の体内に浸透させた。
それによりシロウは、改めてその価値を見直す事となる。
掌底打ちとは、その名の通り、手の平の手首に近い部位で相手を叩く技。
その威力は、効く打撃は足に来る、と言われるように相手の足腰を立たなくさせる。
ボクシングは、グローブの装着によってノックアウト率が上がったと言われる。
それはグローブと言う武器が、拳を掌底打ちの威力に跳ね上げる能力を有している為。
シロウは素手による攻撃で、拳が負傷するのを抑える為に掌底打ちを選択した。
しかし、それ以上の効果をシロウは体験していた。
「シロウ、そちらに一人行きます!」
シロウの耳に、ハツカの警告が届く。
ハツカなら問題はないだろうと思っていたが、そう甘い相手ではなかったようだ。
ハツカが相手をしていた一人は、地面に倒れて悶絶している。
どうやら宝鎖によって両脚を絡め取られて潰されたようだ。
ささやかながら、人を殺めない工夫が見られる。それでも十分に過剰防衛なのだが……
そして問題となるもう一人をシロウは探す。
しかし、その残りの一人はと言うと、ハツカと激しく剣で応戦していた。
その男は、ハツカの剣と宝鎖による連携攻撃を二本の剣で凌いで対抗している。
「シロウ、左から来ます!」
シロウは声に反応して、一本の宝鎖が指し示している延長線上に指弾を撃ち込む。
すると宙空で指弾が弾けた。
そこから、指弾を短剣で防いだ小柄な黒装束の姿が浮かび上がる。
あの宝鎖は、途中までニオイを探知していた物を即席で具現化した物だったようだ。
「バカな、なぜ分かった、です?」
黒装束は、何も無かった空間に躊躇いも無く攻撃したシロウの行動に目を剥く。
「ハツカが、居ると言ったのなら居るに決まっている。そう言うのが得意だからな」
自身の技能に絶対の自信を持っていた黒装束は、初見で看破された事に警戒を高める。
それは、ハツカとの攻防を経て距離を取った双剣の剣士も同様であった。
剣士はハツカを牽制して黒装束との合流を計る。
黒装束も剣士に向かいバックジャンプでシロウから距離を離す。
ハツカは剣士の追撃に向かい、シロウは背後のルネ達を守るべく迎撃体勢を取る。
双方の思惑の下、陣形が変化していく。
黒装束は剣士と合流すると、互いに相棒を背後で庇い合いながら追撃から守る。
そして剣士がシロウへ、黒装束がハツカへと、その攻撃対象を入れ替えた。




