261.馬車の残骸
【ガッ!】
ルネの背後に振り下ろされた棍棒が左腕をかすめる。
獲物を仕留めに掛った猪頸鬼らしからぬ一打。
ルネは、その思わぬ凡打によって九死に一生を得る。
だが、その幸運は、ルネの運の良さによってもたらされたものでは無い。
ルネが積み重ねた行動によって起こされた必然であった。
「いまのうちに、少しでも……」
ルネは直撃を免れるも左腕に大きな裂傷を負い、腕を垂らして駆ける。
その後方では、猪頸鬼が地に片足を着いて倒れていた。
遅まきながら、ルネが放っていたボーラが仕事をし、猪頸鬼の両足を連結する。
一つ一つでは猪頸鬼の足を絡め取るには力不足の感があったボーラ。
しかし、再三に渡って足にしがみつき、足下で振り回され続けた事で好機を得る。
ボーラは、伸ばした互いの手を絡ませ、ルネの窮地にギリギリ届く。
攻撃に意識が行っていた猪頸鬼は、突如、足下の可動域を制限された事で体勢を崩す。
バランスを失い、手元が狂わされた猪頸鬼の打撃は、獲物を前にして軌道が反れる。
そして猪頸鬼は、射程外へと逃れる獲物を目の当たりにしながら地に片足を着いた。
ルネは、猪頸鬼がボーラを排除しているスキに馬車の残骸へと駆け込む。
一旦、猪頸鬼の視界から逃れた事で、マジックバックに手を伸ばす。
そして、取り出したポーションを二本開け、体力と負傷の回復を図った。
ルネには、猪頸鬼を倒せるだけの攻撃力は無い。
しかしながら手持ちのポーションを駆使する事で、持久戦に持ち込む事は出来る。
単身で取り残されたルネに出来る事とは、助けが来るまで諦めずに生き延びる事。
「ハツカさんやコウヤさんなら、必ず気づいてくれているはず……」
どちらも優れた探知能力を有するルネの仲間。
二人の事があるからこそ、ルネは力の差がある猪頸鬼と対峙しても絶望しない。
と同時に、冒険者ギルドで受けた昇格試験。
そこで認められた自衛能力が、いま求められているのだと再認識して精神を支える。
ボーラで両足の自由を阻害された猪頸鬼は、拘束を解こうとするも手間取っている。
ルネは、そのスキに馬車の残骸から、失った盾の代わりとなる物を探す。
しかし、この馬車の積み荷となっていたのは、衣類や毛布、食器などの雑貨品や農具。
散乱した積み荷から、猪頸鬼の攻撃に耐え得る物が見つからないまま時間が過ぎる。
そして、この事こそ、この馬車を襲った猪頸鬼が近くに居なかった理由。
腹の足しとなる食料が無かったからこそ、襲撃者は次の獲物を求めて去っていた。
ルネも馬車を襲撃した猪頸鬼も、この残骸からは求める物資が得られない。
だからこそ、この場から離れる者はいても、駆け寄ようとする者はいなかった。
逃走者と襲撃者。
その両陣営にとって、この場は戦力を投入するに値しない場所。
ゆえに、新たな盾を得られなかったルネにとって、この時間のロスが不利に働らく。
しかし、この事が同時に、追撃して来た猪頸鬼と他の後続とを引き離す要因ともなる。
ルネが選択した行動。
それが、眼前の猪頸鬼さえ凌げれば助かる、と言う思惑外の好材料を生んだ。
この一点において、ルネは薄氷の活路上に一歩踏み入った状態となる。
煩わしいボーラを、ようやく取り除き、顔を上げる猪頸鬼。
その眼は、馬車の残骸を挟んだ状態でルネの姿を捉える。
対してルネも、馬車の残骸にあった物資の一部を回収し、猪頸鬼の接近に備える。
猪頸鬼が持つ突進力で一気に襲い掛かられれば、ルネには敗北しかない。
その未来が視えているがゆえに、ルネは馬車の残骸を盾した位置取りで間合いを離す。
と同時に、直前に回収した陶器の皿や器を残骸の間隙を縫って投擲する。
現状で身近に数が手に入り、投擲しやすいサイズだった事からルネが手にした獲物。
それらは猪頸鬼への直撃、あるいは棍棒による迎撃で破砕され、飛散する。
その一つ一つは、猪頸鬼に大した損傷を与えられはしない。
しかし、その飛散した破片が足下を荒す、と言う副産物を生み出していく。
次第に撒菱がバラ撒かれたような地面が形成されていく。
ルネと猪頸鬼との戦いが単純な追撃戦であったなら、ここまで足場は変化はしない。
しかしながら、現状で両者は、馬車の残骸を中心に周回する形で戦闘を交えている。
残骸の間隙を縫って上半身を狙う投擲攻撃。
その破片の蓄積によって荒らされていく足場。
それは、猪頸鬼の意識を上下に分散させ、精神負荷を蓄積させていく。
集中力とは長くは維持が出来ないもの。
それは、精神と言うものの構造上、人間も猪頸鬼も同じ。
この集中力は、いずれ何かの切っ掛けで途切れてしまう。
ルネは、鍛えられた体力を持つ猪頸鬼に対して、ポーションの回復で対抗している。
この戦いの構造上、両者の戦いは体力以外の勝負となる。
単純に先に体力が尽きた者が負ける勝負であれば、ルネに勝ち目がない。
しかし、現在ルネが挑んでいるのは、持久戦であり遅延戦。
ゆえに、それは、いかに自由に行動させず生存率を向上させるかを重視した戦い。
敵を倒す事よりも、意識を反らす事に主眼を置く。
そうして敵に本来の実力を出させず、戦況を制御する遊撃手の戦い方だった。




