260.取り残されたルネ
◇◇◇◇◇
ルネとダーハを乗せた馬車。
その馬車は、猪頸鬼からの追撃と悪路によって挙動を大きく乱す。
次第に失速し、気を失ったマサト達が乗る馬車と入れ替わり、最後尾となる。
この時の大揺れによって、馬車は荷台に残されていた大量の積み荷を崩した。
積み荷の木箱からブチ撒かれた品々が宙を舞い、荷台の中を荒れ狂う。
無差別に乗客に降り注ぐ積み荷の雨。
それらは、後部の出口に流れ、放流されていく
そのような中で、木箱から放出された大量の工具が小さな男の子を襲った。
「危ない!」
反射的に身を起こしたルネが、金槌やノミなどの工具から男の子を庇う。
──為に行動を起こした時、馬車の車輪が小石を踏み抜き、大きく跳ねた。
「えっ?」
ルネは、突如、訪れた浮遊感に襲われる。
そして、男の子が母親に庇われた姿を確認した時、その身は荷台の外にあった。
「ルネさん!」
ダーハが慌てて声を上げ、ルネに手を伸ばす。
しかし、その手は、荷台の奥から流れ出た積み荷によって叩き落とされた。
積み荷と共に馬車から放り出されたルネは、受け身も取れぬまま地面に落下する。
ただ幸いだったのは、落下時に肩に掛けていたマジックバックの上に落ちた事。
そのわずかなクッションによって、ルネは馬車からの落下による大ケガを免れる。
「ブガァーッ!」
しかし、その幸運も、それまでの事でしかない。
直前にダーハが迎撃した猪頸鬼が、その標的を馬車からルネへと変えた。
「き、来た!」
ルネは、もたつきながらも、なんとか起き上がり、猪頸鬼との距離を取る。
しかし、両者の足の差は覆しようもなく、その間合いは無情にも詰まっていった。
そのような中でルネは周囲に目を向け、とにかく走る。
可能であれは猪頸鬼を撒き、どこかで影に潜んでやり過ごしたい所。
しかし、それを周囲に乱立している炎壁の明りが闇を払い、阻害した。
改めて、直接追われる身となった事で受ける猪頸鬼の威圧感。
それを背後から受ける事で、ルネも猪頸鬼との圧倒的な実力差をヒシヒシと実感する。
「当たって!」
だが、ルネも冒険者である。
これまで直接魔物と戦った経験こそ少ないが、対抗する為の手段は培って来ていた。
ルネは、猪頸鬼の攻撃の間合いにまで詰められる前に仕掛ける。
それは、直前に開花させ、猫盗賊によって補強された投擲攻撃。
ルネは、ベスから譲り受けたボーラを振り回し、遠心力を利用して猪頸鬼に投擲する。
三つ又に結び付けられたロープの先端に、重りが結び付けられているボーラ。
それは、低空を回転して飛翔し、猪頸鬼の左足を絡め取る。
しかし、ルネが投擲したボーラは、かろうじて伍分厘の足を絡め取れる程度の代物。
その為、体格の良い猪頸鬼の両足を絡め取れるだけの長さと機能は無かった。
猪頸鬼は、片足に絡み付いたボーラを意に介さずルネに迫る。
足止めにもなっていないボーラに、ルネは盾を手にして追撃に備える。
ルネは逃げの体勢を取りながら再びボーラを振り回し、投擲の予備動作に入る。
両者の間合いが狭まる中、第二射を放ち、猪頸鬼の突進に抵抗する。
再び猪頸鬼の足を捉え、絡み付くボーラ。
しかし、それは猪頸鬼が、ボーラに脅威を感じず、無視した結果。
この程度の加重では、前進の妨げにはならない。
と言うのが、この時の猪頸鬼が下した判断だった。
猪頸鬼は一気に間合いを詰め、ルネを射程圏内に捉える。
近接戦闘に持ち込んでしまえば、そこは猪頸鬼の独壇場。
ボーラを放った直後のルネに、猪頸鬼が振った棍棒が襲う。
【バゴッ!】
鈍い打撃音と共に、ルネの木製の盾が木っ端みじんに粉砕され、飛散する。
と同時に、盾を貫通した猪頸鬼の棍棒が、ルネを吹き飛ばした。
「うっ……」
猪頸鬼の強烈な一撃を受けたルネから、言葉にならない呻きが零れる。
ハツカであれば、この攻撃に対して燕麦に角度を付けて衝撃を受け流していただろう。
しかし、ルネはハツカのように、敵の攻撃を受ける動作への慣れが無い。
その為、咄嗟に反応した猪頸鬼の攻撃を、盾で正面から受けてしまう。
そうなると、あとは力と力の攻めぎ合いになる。
その結果、盾の耐久力とルネの力不足によって、必然的に剛腕に捻じ伏せられた。
「ま、まだです……」
ルネは地面を転がり、わずかながらに負傷を軽減する。
そして、そこで視界に捉えた、ある物体に、わずかな活路を見い出す。
ルネは、その場所を目指し、重い身体を起こす。
だが、打ち込まれた負傷が、身体の多くの機能を阻害していた。
果てしなく遅い動きに感じた重い第一歩を、無理矢理な力技で踏み出す。
足に来て、ままならないルネが二歩を前に出した時、猪頸鬼も追撃を再始動させる。
再び始まるルネと猪頸鬼との追走劇。
そんなルネが駆け込もうとしていたのは、他の猪頸鬼によって潰された馬車の残骸。
すでに乗客らが散り散りに逃走し、他の猪頸鬼が興味を失った廃棄物。
そこにルネは、攻撃を凌ぎ、一時やり過ごす場としての役割を見い出し、駆け寄る。
苦しい状況の中で、ルネは三投目のボーラを投擲して牽制する。
しかし、すでにボーラ程度では、損傷も足止めも期待出来ない事は、証明されている。
それでもボーラを投じたのは、少しでも追撃を鈍らせたい、と言う思いからの抵抗。
だが、その選択は、やはり猪頸鬼に、あまり効果が無かった。
猪頸鬼にとってのボーラに対する認識も、先のルネと同様のもの。
ボーラに少しも脅威を感じていない猪頸鬼は、その牽制を無視して突っ込む。
無視したボーラが足に絡まろうとも意に介さない。
そして、このボーラが、この場で成したもの──
それは重り同士がぶつかり、ガチャガチャと煩わしい音を鳴した事であった。
そのようなオモチャを無視して突き進む猪頸鬼は、失速したルネに容易に追い着く。
弱々しい歩みとなっている獲物を前に、猪頸鬼は棍棒を大きく振り被ぶる。
そして、時間を掛けて追い詰めた獲物へと棍棒が振り下ろされた。




