251.逃走幇助
「まーくん、ブタさん達が遠回りで馬車を追い始めたよぉ」
「チッ、こっちの射程距離が掴まれたか」
小兵の猪頸鬼が、マサト達を避け、逃走に出た馬車の追撃に出る。
その逃げ腰の選択肢は、奇しくもマサトの攻撃範囲を浮き彫りにする。
刃路軌の射程距離である10メートル。
その中距離戦としては短い射程距離を、マサトは立ち回りで補っていた。
しかしながら、その工夫も長くは続かない。
正体不明の攻撃に晒され続ければ、猪頸鬼は、その攻撃を避ける為に間合いを取る。
そして、左右に大きく展開されれば、自ずと攻撃の手が届かなくなっていく。
小兵の猪頸鬼達の動きの根源には、未知の攻撃に対する恐れあった。
しかし、マサトには、彼らの動きが慎重かつ自然な足運びに映る。
その為、猪頸鬼に、戦い慣れた戦闘巧者の印象を引きづる事となる。
ゆえにマサトは、彼らを追うか、他の猪頸鬼を呼び込むか、の思案に迷い込んでいた。
「「「ブッ、ブガーーーッ!」」」
だが、その時、周囲に猪頸鬼の絶叫が木霊した。
突如、新たに上がった炎壁が、戦場を縦横無尽に走り、交差する。
それは、馬車を追う猪頸鬼達の追撃を阻み、更なる混乱をもたらす。
と同時に、闇夜を照らした炎道が誘導灯の役割を果たし、馬車に逃走経路を示した。
「まーくん、これって……」
「ああ、コウヤの仕掛けだろう」
大掛かりな炎の迷宮の出現に、マサト達はコウヤが立てていた撤退計画の全貌を知る。
逃走に入っていた馬車の一群は、炎の沿道に囲まれた道を疾走する。
それは、先の逃走者が離脱に失敗した大きな要因──
馬車の側面から回り込む猪頸鬼の接近を阻む障害として機能する。
これにより馬車に同乗していた護衛は、後方からの追撃に集中して迎撃体勢を取る。
加えて、馬車に迫った猪頸鬼の目の前に絶妙なタイミングで炎壁が交差し、迸る。
その広範囲かつ不規則な炎壁の奇襲。
それは、猪頸鬼達を巻き込み、馬車への追撃を阻む。
奇襲を受けた猪頸鬼は、炎に焼かれるも焼死は免れる。
しかし、それが彼らに、継続的なヤケドの苦痛を与えた。
猪頸鬼は、木霊する苦悶に呼応して炎壁に手を差し伸べ、同胞を引きずり出す。
それは猪頸鬼達が持つ、強い連帯意識が見せた相互扶助。
コウヤが危険視した猪頸鬼の組織力の一端が浮き彫りとなった行動であった。
ゆえに、そこで上がった怒号と怨嗟は、彼らを奮い立たせ、強力な力の根源となる。
だが同時に、その統制と秩序は、猪頸鬼達の追撃の足を鈍らせる要因ともなった。
軍隊とも言える猪頸鬼の集団。
その一団が見せた魔物らしからぬ一面。
コウヤは、その連帯感を猪頸鬼達が持つ統制の落とし穴として捉え、利用した。
馬車と猪頸鬼達とを阻む炎壁。
そこにはコウヤの意思が介入している為、無秩序に生成されている訳ではない。
逃走する馬車の進路を妨げず、猪頸鬼達の加速を封じる。
そう言った意図の下で、コウヤが炎壁の発動を制御している。
──訳なのだが、ここにコウヤは、二つの仕掛けを施していた。
その内の一つが、意図的に炎壁の火力を調整されている事。
そして、そこには猪頸鬼達を焼死させない、と言う意図が組み込まれていた。
猪頸鬼を倒せば、それだけ逃走中の馬車が逃げられる確率が上がる。
対して、猪頸鬼を仕留め損なえば、それだけ馬車の追撃に加わる敵の数が増す。
──と言う訳ではない。
いや、敵が伍分厘や灰色狼であったなら、その認識は正しい。
しかし現在、馬車を追撃している相手は猪頸鬼達。
その猪頸鬼達には規律があった。
集団としての狩猟や練度の高い戦闘技能から、鍛えられた強兵である事が読み取れる。
そこまで組織だった魔物だからこそ、身を焼かれた同胞へ救助の手を指し伸ばした。
それが、彼らの弱みとなる。
一体の魔物を倒したなら、追手の手は一体減る。
しかし、瀕死の同胞に彼らが救助の手を指し伸ばすのであれば、追手の手は二体減る。
コウヤは、岩鼠を相手にした時は全滅を狙った。
それは岩鼠は、同胞が何体死のうが、突撃を敢行して来たからに他ならない。
しかしながら猪頸鬼達には、思いのほか理性があった。
彼の者達は、勇猛を尊びはするが、無鉄砲でも冷淡でもなかった。
猪頸鬼は猪の魔物ではあるが、単純に猪突猛進、と括れる存在ではない。
コウヤは、その事を浮き彫りにした蜥蜴人の戦果から、この謀計を組み込んでいた。




