250.小兵の猪頸鬼
次話投稿は、11月30日(月)で予定しています。
「ルネ、こっちの馬車も出すぞ。ダーハは予定通り、馬車の護衛を頼む」
「はい、なのです」
「コウヤさんは、乗らないのですか?」
コウヤは、素早く二人に指示を出すと、馬車には乗らず、その場に留まる。
それを見てルネは、慌ててコウヤに、その意図を訊ねた。
「おれは、隣の出遅れている馬車を捕まえて、ハツカを回収してあとを追う。先に行け」
「……わかりました。では、頼まれていた、このマジックバックを持って行って下さい」
「ああ、そうだな。預かっておく」
「ハツカさんの事を、お願いします」
ルネは、調薬を補充したシロウのマジックバックをコウヤに渡し、ハツカの事を託す。
そしてダーハと共に、動き出した馬車に揺られ、戦いの場から離脱する。
「「「ブガッ、ブガッ!」」」
しかし、この時、ルネ達が乗った馬車にも猪頸鬼達が迫っていた。
目の前の獲物を、易々と逃す気が無い猪頸鬼達が、一直線に馬車に詰め寄る。
だが、この猪頸鬼達も、いまだに興奮状態から抜け出せてはいない。
彼らが取った行動とは、目の前で動いた者がいたから追った、と言う反射行動。
それは、犬が目の前に転がされたボールを追い駆けているのと変わらない反応。
それゆえに、馬車との距離を瞬く間に詰めれはしても、その機動は単調な直線。
それは猪の魔物が訓練によって身に着けたものでは無く、本能的に得意とする行動。
その為、先の逃走者を追い詰めた時の、統制が執れていた連携が失われていた。
それは、マサトの刃路軌と魔力が枯渇状態に近いハルナの犬笛による超音波の影響。
この二つの不可解な攻撃が、猪頸鬼達に継続的な興奮状態を誘発していた。
厳しい自然界の弱肉強食。
その中で人間は、天災と言う圧倒的な脅威に畏怖の念を抱き、耐え忍ぶ。
だが、この時、人間は未知なるものに名を与えた。
そうする事で、その脅威への認識を、神秘から一つの現象へと堕とす。
これにより、人間は精神を落ち着かせ、安寧得る術を得た。
それは、同じく自然界にある他の種族でも同じ。
蜥蜴人達が崇める水竜も、一種の自然災害と言える高みの存在。
その者に名を与え、存在を定義したからこそ、彼らの信仰対象となる。
名も無き無名のものは、信仰の対象に成り得ない。
と、逆説的に言えば、その本質が分かってもらえるだろう。
つまり、名を与えるとは、自分達の理解の範疇に、そのものを落とし込む行為。
だが猪頸鬼は、マサトとハルナの未知なる攻撃を表す言葉を持ち合わせていなかった。
それはマサト達も同様。
なぜなら、それは二人が即興で生み出した技。
マサトの刃路軌にハルナが攪乱目的で犬笛の音を加えているだけの即興技なのだから。
人間より優れた聴覚を持つ猪。
その猪に比類する聴覚を猪頸鬼も持っているだろう、と仕掛けた二人の即興技。
猪頸鬼は、なまじハルナの音が聞こえてしまう為、剣閃の出所を見誤る。
なまじマサトの剣筋が読み取れる技量がある為、音とのズレでタイミングを見誤る。
マサトは、直射の刃路軌と曲射の摩施を搦めて更にタイミングをズラす。
そうなると猪頸鬼は、完全に手の打ちようがなくなっていった。
猪頸鬼は、ただただ一方的に謎の音に吹き飛ばされ続ける。
得体の知れない攻撃に、猪頸鬼達の畏怖の念が募っていく。
それは、いつしか単純な恐怖となって浸透し、名も無き影に委縮する。
その脅威を同胞に伝えようにも、それを伝える名を猪頸鬼達は持ち合わせていない。
猪頸鬼達は、次第に恐慌状態に陥っていく。
そして、自身の不甲斐なさを払拭する対象を、逃走に出た馬車へと求めていく。
彼らは、馬車の逃走を阻止する、と言う名分の下、未知なる攻撃から遠ざかる。
彼らにとって、それは臆病者が見せる後退ではない。
獲物を逃がさない為に行動に出た、まごう事なき前進。
小兵の猪頸鬼達は、本能的に、そうする事で自身の誇りを保つ。
逃走阻止、と言う与えられていた役割を優先する形で、目の前の脅威から距離を取る。
ただ、その状態とは、やはり冷静さが欠いた状態である事に変わりはない。
こうして猪頸鬼達の組織力は、少しずつ綻びを見せ始めていた。




