249.合図
◇◇◇◇◇
猪頸鬼の襲撃への対応に迫られ、分断された雷鳴の収穫の面々。
そのような状況下で、彼らは仲間と合流する選択肢を選ばなかった。
馬車の荷台の前に立つハルナ。その前で猪頸鬼の接近を牽制するマサト。
そのマサトの視界に、二つ隣の馬車まで戻って来た猫盗賊の姿が飛び込む。
「ハルナ、猫盗賊が近くまで戻って来た。頃合いだ。やってくれ」『刃路軌』
「まーくん、りょ~かい」「───」
「ブガッ!」
「「ブガッ、ブガッ!」」
マサトはハルナに合図すると、一体の猪頸鬼に不可視の剣閃で攻撃する。
と同時にハルナは、首から下げたソレを手に取り、打ち合わせしていた行動を起こす。
マサトから刃路軌の吹き飛ばし攻撃を受けた猪頸鬼が後退する。
その様子を見た二体の猪頸鬼は、それを攻撃と認識し、同胞に加勢すべく踏み出す。
しかし、その直後、彼らの二の足は踏み出される事なく、その場で留まった。
『刃路軌』
「「「ブガッ! ブガガッ!」」」
二体の猪頸鬼の足が止まった所に、マサトが追撃を加え吹き飛ばさせる。
この追撃によって、三体の猪頸鬼に大きな動揺が走り、混乱の色が浮かぶ。
だが、その狂騒っぷりは、三体の猪頸鬼だけに留まらなかった。
「ヒィーン!」
「ブルルル、ブル!ブル!」
「くっ、お前達、落ち着け、落ち着け!」
なぜか、ハルナ達の馬車に繋がれた馬達にも、それは伝播し、興奮状態に陥る。
突如、猪頸鬼を始め、馬達にも伝播していった興奮状態。
その突然の変移に、御者は必死に牽引馬を落ち着かせる為の奮闘に駆られる。
「いまにゃ! 出せにゃ!」
「は、はいっ!」
と、この時、いち早く牽引馬を落ち着かせた猫盗賊が同乗した馬車が加速した。
ベスの号令を受けて、彼の馬車の御者が馬車を加速させていく。
それは、先の逃走者と同じく、完全に逃げの態勢に入った走り。
だが、今回は彼らの単走ではなく、他の多くの馬車が、それに追随した。
「これは、どう言う事だ?」
それは、主任猪頸鬼と多くの猪頸鬼達、そしてコウヤの共通認識。
事の起点となったのは、突然、混乱状態となった猪頸鬼に仕掛けたマサトの行動。
だが、その真相が何も分からない。
コウヤの後ろに控えたルネ達の馬車の馬も、時を同じくして軽度の興奮状態を示した。
そこには、何かしらの因果関係を感じはする。
しかし、それと、ベスが先導している一斉撤退が結びつかない。
これが、マサト達が進めた撤退計画なのは間違いない。
しかし、それならなぜ、ハルナの馬車の馬の興奮状態が最も激しいのか?
加えて、首謀者である彼らの動きが最も悪く、逃げ遅れている理由が分からない。
だが、そのコウヤの疑問に答えられる者は、意外と近くに存在した。
「コウヤさん、おねえちゃんが、先に逃げるよう合図を出しているのです」
「なに? ハルナが、そんな合図を出している、と言うのか?」
馬車の中から顔を出したダーハが、マサト達の意図を伝える。
しかし、コウヤには、その合図が、どのようなものか全く分からなかった。
コウヤには、魔力と熱量によって周囲の状況を把握する探知能力がある。
しかしながら、ハルナの魔力にも体温にも、特に変わった変移はなかった。
その事から、少なくとも魔法を使った伝達方法では無い事が確定している。
そうなると、何かしらの身振りか、とも考えられたが、それも無い。
なぜなら、それでは馬車の中にいたダーハでは確認のしようがない。
その奇妙な伝達手段が何か分からないコウヤは、ダーハの次の言葉を待つ。
「おねえちゃんが出しているのは、音なのです」
「音だと? そんなものは何も聞いていないぞ?」
コウヤの質問に、ダーハは、それが音だと答えた。
しかしながら、コウヤは、その合図の音を聞いた覚えが無い。
するとダーハは、その音について補足する。
「おねえちゃんは、人間には聞こえない音が鳴る、小さな笛を持っているのです」
「人間には聞こえない音の笛……そうか、犬笛か!」
コウヤは、ここに至り、状況を理解した。
犬笛とは、その名の通り、飼い犬に指示を出す為の道具。
人間の耳には聞こえない高い振動数を持つ可聴域の音──超音波を利用した道具。
ゆえに、コウヤには、その合図が全く伝わらない。
だが、砂狐と呼ばれる獣人であるダーハには、その音が捉えられた。
そして現在、その事によってコウヤにマサト達の思惑がダーハを通して伝えられる。
「だが、それだと、おれ達同様、ディゼ達にも合図が伝わらない──」
のではないか、とコウヤが危惧した矢先に、ディゼ達の馬車が行動を起こした。
一拍、出遅れた感はあったが、ディゼが御者を務める馬車が撤退行動に出る。
それを見てコウヤは、サントスの事を思い出してダーハに訊ねた。
「その犬笛は、ハーフエルフにも聞こえるものなのか?」
「いえ、サントスさんには聞こえていないはずなのです」
「つまり、他の馬車の動きを見て、それに合わせた、と言う事か」
「たぶん、そうなのです」
ダーハは、コウヤがサントスの実情を知っている事を知らない。
その為、コウヤから振られた突然の質問に少々困惑する。
ダーハには、なぜ、ここでサントスの話が上がったのか分からない。
ゆえにダーハは、コウヤの質問に対して、ただただ素直に答えた。
その率直な反応を見てコウヤは、よくもこんな出たとこ勝負をしたものだ、と呆れる。
いまの話を聞いて、ベスが先導していった馬車達には、手回しがされていた事。
そして肝心の仲間達には、その事が事前に知らされていなかった事を把握する。
そのような状態でマサト達が、この作戦を敢行するに至った要素。
そこには、おそらくダーハが、こちらの馬車に居た、と言う現実的な要素。
ハルナから出される合図が、ダーハを通じて伝わる、と言う想い。
そして、犬笛が聞こえていないサントスが、状況から対応してくれる、と言う信頼。
コウヤは、その大半が希望的な要素に依存している事に気づいたからこそ呆れていた。
下手をすれば、仲間を置き去りにしかねない、この撤退計画。
それでも敢行したのは、すでに打てる手が無くなり、切羽詰まっていたからだろう。
だがマサト達は、そのような中で、手持ちの犬笛を駆使して最善を掴みに行った。
そんな博打が打てたのは、常に仲間達の能力と思考の理解を深めていたから。
仲間達との信頼関係が築けていたからに他ならない。
そんなマサト達だからこそ、打って出れた今回の行動。
その雷鳴の収穫の強みが、現在の一連の流れを作り出し、先導していた。




