242.中距離戦
「ブ、ブガッ……」
しかし、次の瞬間、体当たりの態勢にあった猪頸鬼に強烈な衝撃が加わった。
『菟糸』
ハツカに向かって突進していた猪頸鬼の後方から、菟糸が奇襲が入る。
いままでハツカが温存していた菟糸の拘束攻撃。
地中に忍ばせた菟糸を敵の足下から出現させて拘束する運用は、ハツカの常套手段。
そう、両者が戦っている中距離戦とは、本来ハツカが得意とする間合い。
猪頸鬼との戦いで使用しなかったのは、それ単発では有効打となり得なかったから。
だが、逆に言えば、有効打と成り得るのであれば使わない道理はない。
ハツカが奇襲に使った菟糸は、猪頸鬼の背後から首を絡め取る。
菟糸の射程距離は、総距離で50メートル。
そして今回の拘束時に見せた通り、潜伏させた地中からの奇襲、と言う運用が可能。
ゆえに、自分の力だけで倒すに至らないのであれば、猪頸鬼の力を利用するまで。
襲撃時の猪頸鬼の戦い方で、遠距離からの攻撃手段が乏しい事。
土壁を破壊していた事で、体当たりの存在も分かっていた。
ゆえに、ハツカは猪頸鬼に体当たりを敢行された時点で決めに掛かった。
剣を構えて猪頸鬼の正面に立つ事で、その意識を体当たりに集中させた。
そうして自分以外への意識を遠ざけた上で、常に地面に潜ませていた菟糸を操鎖する。
同時展開していた三本の菟糸の射程は、それぞれ15メートル。
背後から奇襲する為に相対距離5メートルまで引き寄せて、猪頸鬼の首を絡め取る。
首に巻き付いた菟糸は、体当たりの威力を、そのまま猪頸鬼に返して絞め上げる。
対して菟糸は、先端部を折り返させて地面に突き刺す事で、その衝撃を分散させた。
ハツカは菟糸の破壊を抑制しつつ、猪頸鬼に自らの突進力を跳ね返して首を絞める。
完全に猪頸鬼の意識の外から敢行された奇襲。
しかも、それは猪頸鬼自身の最大の攻撃による逆襲。
俗にカウンター攻撃とは、相手の攻撃力を利用する為、威力が倍になる。と言われる。
しかし、完全に相手の意識外から実行された攻撃とは、相手に防御を意識させない。
そのような状態の者への攻撃とは、相手の防御力を無視した貫通攻撃と言える。
ハツカは、自分の剣で猪頸鬼が倒せるとは考えていなかった。
この剣は、あくまで猪頸鬼の注意を引く為のもの。
良い意味での誤算となったのは、予想以上に猪頸鬼に剣を打ち込めた事。
そのおかげで、猪頸鬼の注意を剣に向けさせ、ハメる事が出来た。
いくら魔物であろうとも、首を落とされれば生きてはいられない。
そして、その首への攻撃は、猪頸鬼自身の重量が加速された威力。
それは、両者の間で最も威力がある攻撃。
ハツカは、その千載一遇の好機を掴み、一気に猪頸鬼を下す。
「ブ、ブガッ……」
──はずであったのだが、猪頸鬼は、しぶとく耐え延びた。
「バ、バカな! まさか、アレを耐えたのですか?」
猪頸鬼の全力の体当たりに対して、背後から首を絡め取った必殺の奇襲。
だが、自重の全てを、その首に受けたはずの猪頸鬼は、いまだに健在だった。
ハツカの基本と言える拘束戦法。
その精度には絶対の自信があり、今回の奇襲も必殺のタイミングと言えるものだった。
しかしながら猪頸鬼は、そのハツカの攻撃を耐えた。
ハツカにとって予想外の猪頸鬼の強靭さ。
それは、ひとえに彼らの毛皮と鍛え抜かれた太い首の筋肉による衝撃吸収作用の賜物。
猪頸鬼に紙一重の生還をもたらせたのは、この優秀な身体的防御能力だった。
その事実に、ハツカは改めて魔物の身体能力の高さを認識する。
「ブ、ブガッ、ガッ、ガッ……」
「しぶといですね」
菟糸の拘束によって足を止めた猪頸鬼は、そこから力を込め、首の筋肉を膨張させる。
猪頸鬼の首に絡まった菟糸は、首と両腕の抵抗によって引き千切りに掛かられる。
【ブガーッ!】
「く、ここまでですか……」
ハツカは、猪頸鬼の雄叫びと同時に、菟糸の拘束を解除する。
あと一歩、踏み込めれば倒せるのではないか、と言う思いはあった。
しかしながら、それでは猪頸鬼の力が、菟糸の破壊係数を突破しかねない。
ハツカは、コウヤから忠告を受けていた事もあり、この場は引く。
口惜しい思いを抱きながらも仕切り直したハツカと猪頸鬼との戦い。
そこからは、両者の攻撃が相手に有効打として刺さらない、と言う展開に発展──
いや、停滞していった。




