229.逃走の足
◇◇◇◇◇
「ベス、あれをどう見る?」
「どうもこうも、あの猪豚に、ちょっかいを出せば潰される、って事じゃないかにゃ」
一体の猪頸鬼と交戦する蜥蜴人。
その周囲で、他の猪頸鬼と奇妙な連携を取って伍分厘を排除する包帯男。
彼から出された、手出し無用の合図に、コウヤとベスは、その意図を読む。
そして、現状を読み解く事に長けた二人が出した答えは、共に同じものであった。
「なら、いまのうちに商隊の撤退準備をさせてもらう」
「だけど、かなりの馬車がオシャカにされてるにゃ」
コウヤは猪頸鬼達の襲来を察知して以降、撤退を視野に入れていた。
そして、ベスも退路の確保、と言う視点で魔物の撃退に奔走していた。
その二人が現実的な戦力差から、今後の方針を魔物の撃退から撤退へと切り替える。
そして、そこで必要となる、生存者を回収し、魔物の手から逃れる為の手段──
多くの者を乗せての離脱を可能とする逃走の足の現状に着目していた。
商隊のいくつかの馬車は、最初の伍分厘の襲撃の段階で横転させられていた。
その後も猪頸鬼達の突撃により、数台の馬車の積み荷がバラ撒かれている。
これらを魔物との戦闘を交えつつ立て直して使う、と言うのは人手の問題で無理。
その為、実際に撤退に使える馬車は半数ほどに絞られていた。
「幸いな事は、生存者と無事な馬車が近くに固まっている事か」
「馬の方は、お守りの連中に任せてあるが、そっちも大分殺られているにゃ」
「そうか……」
護衛団とマサト達が守り切った馬車の数。
コウヤの見立てでは、それに無理やり押し込めれば、全員を運ぶ事が出来る。
しかしながら馬車は、それ単体では動かない。
動力源となる馬の存在が不可欠となる。
その馬達は、商隊の近くの木々にロープで結び付けられていた。
だが、こちらも灰色狼の襲撃によって被害にあっている。
灰色狼の襲撃で殺されたもの。
反撃に成功し、難を逃れたもの。
その際に、暴れ回った事で運良くロープが解け、逃走したもの。
この最初の襲撃で、木々に繋がれていた牽引馬の三割が失われている。
その後、護衛団長の指示によって牽引馬の確保が行われるも継続して被害を受ける。
それは、駆け付けたベスが加勢に入るも完全に防ぐ事は叶わなかった。
その結果、追撃を凌ぎ切れず現在の牽引馬の数は、当初の四割まで減っていた。
つまり、この段階で、かなりの馬車が使えなくなっている。
それは、生き残った者を、全員馬車で逃がす事が不可能、と言う事を意味した。
「あと、御者の事も忘れるんじゃないにゃ」
「御者……か」
コウヤはベスに指摘されて、その存在の事を思い出す。
通常、馬車を引かせる牽引馬には訓練が施されている。
その為、目の前に道があれば、牽引馬は自己の判断で道に沿って真っ直ぐ進む。
そう言った話を聞いていただけに、とにかく馬車を出させれば良い。
多少乱暴な走りでも追いつかれさえしなければ良い、とコウヤは考えていた。
しかし、興奮状態となっている馬を抑え込んでいる護衛団を見て考えを改める。
興奮状態の馬達を宥めて馬車に繋ぐのに、相当の手が掛かる事は想像に難い。
そして、日中の噛砕巨人からの逃走時に使用した古馬車──
あの当時の古馬車は、特殊な状態にあった。
だが、その事を除いても無事に撤退に移れたのは御者の腕による所が大きい。
その事を顧みれば、ベスが言うように御者の操車技術は軽視すべきものではない。
コウヤは、これからの撤退に馬の扱いに長けた御者が必要不可欠なのだと再認識する。
「そう言う事なら、急いで御者をしていた者の確認を……」
「いや、そうじゃないにゃ。無事な御者が、ほとんどいない、って事が問題にゃ」
「なん……だと?」
ここでコウヤは、ベスの言葉の意味を勘違いして受け取っていた事に気づいた。
「御者のほとんどが、お守りの連中と馬の様子を見に行って殺られているにゃ」
「御者が、なんでそんな所に首を突っ込んで行っているんだ?」
「なんでも何にも、それがソイツらの仕事で、メシのタネだからじゃないかにゃ?」
「それで、馬を助けようとして負傷、と言う事か……」
それは、御者としての責任からか、はたまた相馬への博愛からか。
ともかく、彼らは領分を越えた行動を起こし、自らの生命を運命の天秤に掛けた。
その結果、多くの御者が命を落とし、負傷者はルネの下で治療を受ける事となる。
「ケガ人は薬師の方に放り込んであるが、無事に馬車を動かせるかは分からないにゃ」
「そうなると護衛団から御者を出来る者を充てがう事になるか……」
それは即ち、こちらが防衛に割ける戦力が更に厳しくなる事を意味した。




