227.大猪頸鬼
◇◇◇◇◇
「ともかく、あの猪頸鬼の王が、あとに控えているとなると厳しいものがあるな」
「オッサンは、あの猪頸鬼の戦士に集中しろ。現場主任の方は俺が見張っておく」
「……」
「……」
「「はぁ?」」
大猪頸鬼に意識が行っていたイグナスの言葉にバンテージの言葉が重なる。
そして、一瞬の沈黙の後に両者は同時に素っ頓狂な声をあげた。
「ヌシよ、いまなんと言った?」
「いや、あの大猪頸鬼を『現場主任』って言ったんだよ。ピッタリな名前だろ?」
「いやいや、あれはどう見ても猪頸鬼王であろう?」
「はぁ? オッサン、頭は大丈夫か?」
ここに来て、両者の大猪頸鬼に対する認識が異なっている事が判明する。
「なんでオッサンは、アイツの事を猪頸鬼王なんて呼ぶんだよ?」
バンテージも大猪頸鬼に対しては感じるものがあった。
しかしながら、それだけで大猪頸鬼の事を『王』と結び付ける事はなかった。
それだけに、イグナスが『王』と言った事に何か思う所があったのか、と訊ねる。
「あの堂々とした立ち居振る舞い。ただならぬ風格。それがヌシには分からぬか?」
しかし、イグナスから返って来た答えは、実に抽象的なものだった。
「なんだソレは? そんなのオッサンの感覚一つだろ」
「ヌシも一角の戦士であれば、それくらいの事は分かるであろう?」
「いや、分からないから……第一、俺は別に戦士って訳じゃない」
「先程まで、あれほどの戦いをしておいて何を言うか」
「戦えるって言うのと戦士って言うのは違うぞ」
イグナスは、伍分厘をあしらっていたバンテージの姿を思い浮かべて指摘する。
しかし、バンテージはイグナスの評価をイヤそうに否定した。
バンテージの中で戦士とは、ただ戦える、と言うだけの者の事ではない。
戦う覚悟が定まっている者の事だと思っている。
酔った勢いでケンカを吹っ掛けるような者を、人々は戦士と言うだろうか?
いや、そのような粗暴な力を振るう者を、人々は戦士とは呼ばない。
少なくとも人々の中にある戦士像とは、弱者を守って戦う者の事を指す。
そして、その最たる者が国の管轄下にある戦士団であった。
彼らは、国民の生命を守る覚悟を持った者。
一度戦場に立てば、その使命感をもって民を守り、いざとなれば逃す為の盾となる。
だからこそ市井の者達は、自分達に害をもたらすような者を戦士とは思わない。
ゆえに、王国の民の戦士団への信頼は厚く、無頼の者を戦士とは呼ばない。
そこにあるのは、ただの悪漢や暴漢、と言った認識に収束する。
現在敵対している猪頸鬼達。
彼らは、狩りを行い食料を得る。
その食料は一族の者の糧であり、繁栄の為の基礎。
それに伴い争う者は、弱肉強食の世界の中において一族の存亡の障害となる敵。
その者と戦う事は、背後で営みをしている、まだ力無き同胞を守る事に等しい。
つまり、この一点において猪頸鬼達は、紛う事なき戦士と言えた。
対してバンテージは、そこまでの決意を見ず知らずの者に対して持ち合わせていない。
最低限、ルネ達の安全が確保出来るのであれは、遠慮なく逃げの一手を打つ。
そう言った意味でバンテージは、紛う事なき冒険者であった。
それゆえに、イグナスが自分の事を猪頸鬼達と同列に置いた事を迷惑に思う。
「オッサン、もっと具体的な根拠とかはないのか?」
「そのようなもの、あの巨躯を見れば一目瞭然ではないか」
「はぁ? なんだソレは?」
「恵まれた体格を持つ者とは十分な食料を得ている証。つまり、強き王に他ならぬ」
「……なるほど。自然界じゃ、これ以上の真理は無い、か」
バンテージは、実に単純明快なイグナスの回答に得心する。
大猪頸鬼は、他の猪頸鬼と比べても突出した巨躯を誇っていた。
それは、多少の食料差によって生じる個体差ではない。
狩りで得た食料のみに留まらず、他者からの献上品によって築き上げられた体格。
そのような立場に大猪頸鬼がいるとすれば、中間管理職の訳が無い。
また、そのような立場でブクブクと体格を肥やせば、一族の王に目を付けられる。
度を越して肥えた不届き者は、必ず王の反感を買い粛清される。
そうでなければ、逆に先王を打倒して新王となった者である可能性が高い。
どちらにせよ、現世に残れるのは一体の王のみ。
その事をバンテージは、今更ながらにイグナスの言葉の中から読み取った。




