213.バンテージ
「一つ聞きたかったんだけど、オマエ、なんで伍分厘の言葉が分かったにゃ?」
それは、ベスがバンテージに対して、ずっと気に掛っていた疑問。
この話を最初に聞いたのは、先の戦いの撤退に入る直前。
その為、余計な不安を周囲に与えない為に、これは一旦は飲み込んだ言葉だった。
それをベスは、この場を作る事でバンテージに投げ掛ける。
「いや、俺は、あの翻訳が正しいとは言ってないぞ。全部が分かった訳じゃないからな」
「だけど、いくつかは分かって、エセ商人も、それに納得した、と聞いたにゃ」
「まぁ、そうだな」
「つまり、それはエセ商人には通じる言語と言う事にゃ。そして、それが問題なのにゃ」
「意味が分からないな。オマエは何を言ってるんだ?」
ベスが、今回の件で最も重要視したのが、ソレだった。
だが、バンテージは、そのベスの質問の意図が、まだ理解が出来ていない状態だった。
「エセ商人は、この世界の者と転移者との間に生まれた雑種にゃ」
「……」
しかし、それもベスが発した、この一言で全てを理解し、言葉を詰まらせた。
「新入りや子狐には通じず、エセ商人には通じる言語。それは異世界の言語くらいにゃ」
ベスは、この論理から、バンテージが転移者なのは間違いない、と読んだ。
そして、ベスが知り得る情報の中に、全身を負傷し、姿を消した者が一人いた。
「オマエが、薬師達が探しているシロウで間違いないかにゃ?」
ベスは、バンテージの正体をほぼ確信し、その答え合わせを求める。
「ああ、そうだ」
しばし思考したのちバンテージは無駄な抵抗を諦める。
そして、その質問に対して肯定で返した。
「ハツカの嗅覚はともかく、サントスの『観察』を抜けられたんで安心してたんだがな」
バンテージはハツカの菟糸の探知からは、薬草湿布の強烈なニオイで難を逃れていた。
しかしながら、サントスの『観察』への対抗手段は持ち合わせていなかった。
その為、合流時にサントスに視られている事に気づいた時、内心でかなり焦っていた。
しかし、そのバンテージの心配は、なぜか杞憂に終わる。
どう言う訳かサントスには、バンテージとシロウと言う結果が結びついていなかった。
それはなぜかと言うと──
「知っている者は少ないけど、鑑定系の能力にも抜け道があるにゃ」
「ソレ、詳しく教えてもらえるか?」
「ちょっと、教えられないにゃ。悪用禁止なのにゃ」
ベスが言うには、少なくとも何かしらの抜け道があるらしい。
思い返してみれば、シロウがサントスと最初に出会った時にも、その兆候はあった。
サントスは、シロウと黒爪狼を同一視する事は無く、人間だと判定している。
ベスが言うように、この世界の鑑定系の能力が万能では無い事は明らか。
そしてベスの言動から、ソレを過去に悪用した事がある事をバンテージは察した。
「とにかく、この事はルネには内緒で頼む。こんな姿を見せて心配させたくはない」
現在の自分の状態を見たルネは、その負傷にひどく心を痛めていた。
前回の衰弱時ですら、自分の身を案じて付きっきりになってくれたルネ。
そのルネに、シロウとして姿を見せる事をバンテージは、どうしても避けたかった。
「さて、どうしたものかにゃ……」
ベスは、バンテージの要望を聞いて思案する。
ここ数日のルネの様子は、ダーハから聞いていた。
シロウがいなくなった事で憔悴し、気力を失っていた事。
前日に狩りに誘った事で、少し気持ちを持ち直した事。
また、バンテージを第三者だと思っているからこそ、いまは冷静でいられている事……
ベスは、どちらかと言うとダーハを何度も守ったルネの事を優先して考える。
「じゃあ、あと一つ答えるにゃ。黒爪狼ってのは、オマエの能力で間違いないかにゃ?」
ベスは、バンテージの条件を飲む代償として、その手の内の開示を求めた。
「そうだ。いわゆる変身能力だ。黒爪狼ってのは、俺が決めた名前じゃないがな」
ゆえに、人狼種が敵視されているこの世界で、能力を秘匿していた、と答えた。
「まぁ、『落狼』が不発してるから人狼種では無い事は分かっていたが……了解にゃ」
ハルナの人狼化の治療魔法が、おかしな効果を発揮した事。
サントスの『観察』が、人狼種だと判定しなかった事。
そして『観察』が、ベスを含めた転移者の固有能力までは把握が出来ない事。
それらの点から、ベスは目の前の者が転移者であり、人狼種では無い事を再確認する。
そして、その確信を持った所でバンテージに小瓶を一つ放り投げた。
「これは?」
「ヤケドや皮膚の爛れに効く魔女の秘薬にゃ」
そう言ってベスは、前日にミランダにも渡した塗り薬をバンテージに渡した。
「私は先に戻るにゃ。それを塗って、さっさと身体を治して戻ってやれにゃ」
「すまない。そして、ありがとう」
バンテージは、ベスから渡された塗り薬を受け取り、その配慮に感謝する。
そして、ベスを見送ったのち、左手の包帯を解いて受け取った塗り薬を試す。
少量の塗り薬を手の平で伸ばして反応を見る。
使ってみた所、痒みなどの反応はない。
少なくとも、いままでダメだった物のような拒否反応が出なかった事に一安心する。
「ひとまず第一段階はクリアか。いまの状態って本当に、なんなんだろうな……」
バンテージは、この普通の反応を示してくれる塗り薬に感謝する。
これは、別にベスの事を疑っていて、用心して出た言葉ではない。
バンテージは、ハルナの落狼を受けて以降、身体の調子を崩していた。
以降、治療時に回復やポーションを受けるも、それに身体が拒否反応を起こす。
いくつもの薬草を試し、いまの湿布に辿り着くまでに悪化させる結果も経験していた。
ゆえに、どんなに優秀な塗り薬だと言われても、安直に使う気にはなれない。
そう言った経緯があった為、ひとまず左腕にのみ塗布して様子を見る事にする。
「さて、いま使っている薬草湿布と、どちらが効果があるかな」
バンテージは、この塗り薬に一縷の望みをもって包帯を巻き直すとルネ達の下に戻る。
そして、ベスに遅れること数分──
「すまない。遅くなった」
「あっ、はい……」
「えっと……お疲れ様なのです」
「なんて言うか、そのぉ……バンテージさん、大変でしたね」
「ん? あ、ああ……」
バンテージがルネ達の下に戻ると、なぜか余所余所しい様子の視線を向けられた。
「(おいベス、何があったんだ?)」
その事を不審に思ったバンテージは、その中で唯一、平常運転だったベスを捕まえる。
そして、このような状態となっている事へ節寧を求めた。
「(ああ、これかにゃ。オマエが遅れて来る理由を上手く誤魔化してやったのにゃ」
そう言ったベスは、実に意地の悪い笑みを浮かべてバンテージに答えた。
その表情を見たバンテージは、一瞬、自分の正体について話したのか、と疑念を抱く。
しかし、ルネやダーハの戸惑い、ディゼの同情を見て取って、それが無い事を察する。
「(一体、何を吹き込んだんだ?)」
では、どのような話をしたら、このような視線が向けられるのか?
バンテージは、こうなると聞いておかなければならない、と思いベスに訊ねる。
「(なぁに、被れた股間が疼いた反動で、おっ立っててた、って言っただけにゃ)」
「(このクソネコがぁ!)」
つまり、バンテージが遅れているのは、その処理をしている為。
そうルネ達に密告し、それを聞いたディゼが同情した、と言うのが事の真相だった。
「(こう言っておけば、アイツらがオマエに不用意に近づく事が無くなるにゃ)」
「(一応、その配慮に感謝した方が良いのか?)」
微妙な立ち位置に追いやられたバンテージは、忌々しげにベスを睨む。
「(オマエは、うちのツガイ達に似てツメが甘いのにゃ)」
ベスは、バンテージにマサトとハルナに近い雰囲気を感じ取って指摘する。
「(お互いの為に騙し通すなら、それくらいの恥辱は受け入れろにゃ)」
「(はぁ……分かったよ)」
バンテージはベスにオモチャにされていると理解しながら、その指摘を受け入れる。
「すまないが、また席を外す事があると思うが、俺の事は気にしないでくれ……」
「は、はい、わかりました……」
「はい……なのです」
「お大事に……」
「ウキャ、キャキャキャキャキャッ」
バンテージは恥辱に塗れながら、ベスの機転によって一定の行動の自由を確保した。




