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210.戦闘離脱

 ◇◇◇◇◇


「どうやら無事に逃げおおせたようだな」


 イグナスは後方の様子を(うかが)い、噛砕巨人(ギガントゥース)の追撃が無い事を確認する。

 現在イグナスは、夜にも珍しい霊体馬(スピリットホース)が引く古馬車の中にいた。

 そこには、共に噛砕巨人(ギガントゥース)と戦った人間達も同乗している。


「ああ、巨人の反応は、むしろ遠退(とおの)いている。少なくとも、こちらを見失っているな」


 そのうちの一人が、炎術師(パイロマンサー)のコウヤ。

 炎を扱う事に()け、周囲の探知能力にも(ひい)でた力を有している魔術師。

 また、撤退時に蜃気楼(ミラージュ)を形成する魔法を使用した事から、(から)め手も使える事が(うかが)えた。


「それじゃあ、住処(すみか)に引き返して行ったのかもねぇ」


 そのコウヤの考えに、もう一人の魔術師である少女が答える。

 こちらは、水を扱う事に()け、また、回復魔法の使い手でもあった。

 そのハルナは現在(いま)、もう一人の女性の治療に当たっている。


「ハルナ、もう十分です。かなり楽になりました」


 大荒鷲(ウィングラプター)に取り付き、見事に撃墜して倒した鎖使いのハツカ。

 だが、その代償として、吸収しきれなかった落下の衝撃を、かなり受けていた。


「ハツカもそうだが、イグナスやサントスもハルナの回復(ヒール)を受けておけよ」


 そう言ってきたのは、刀使いのマサト。

 噛砕巨人(ギガントゥース)の右足をハルナとの連携技で破壊した青年。

 そして現在(いま)、イグナスが乗る古馬車を所有する冒険者パーティのリーダーであった。


「自分は霊体馬(ヴィジランテ)と前方の警戒に当たります。先にイグナスの方を見てあげて下さい」


 フード付きのコートに身を包むサントスが、来た道を戻りながら古馬車を走らせる。

 巨人の手から、これほど早く離脱出来たのは、この者がもたらした馬車が大きい。

 当初、ハルナが魔法によって収納していたと思われていた古馬車。

 それが、実際にはサントスが収納していた事に、まず驚かされた。

 そこから更に、霊体馬(スピリットホース)まで出て来て、古馬車が自走する事。

 加えて、わずかに地面から浮いているのか、ほぼ揺れが無い事にも驚かされる。


「ふむ、では、あとが(つか)えても迷惑であろう。頼む。ついでに水をもらえると助かる」

「トカゲさん、りょーかい」


 イグナスは、下手な遠慮は(かえ)って空気を悪くする、と考えて遠慮なく好意を受け取る。

 そうしてイグナスが回復し、続いてマサト達も順次、回復(ヒール)を受けていく。


「みんな、目に見える出血よりも、無理をして作った打撲や捻挫の()れが多いねぇ」


 ハルナは、(なか)ば強引な動きで巨人達の攻撃を耐えていた代価を読み取って治していく。

 その多くは、前線で直接対峙していたイグナスとハツカのものであった。

 イグナスの中では、この程度の無理は戦いの中で良くある事。

 そして、ポーションや回復(ヒール)があれば、すぐに元に戻る、と言った認識で戦っていた。

 だが、ハルナは回復(ヒール)を唱えるも、完全に回復させる事は無かった。

 イグナスは、その事を不思議に思い、ハルナに訊ねると──


「骨や筋肉は、自然に治した方が、前よりも強いものになっていくからねぇ」


 ゆえに、内臓への負荷(ダメージ)や骨の歪みは早急に治すも、完全回復はしないのだと言った。


「いまは戦闘中じゃないし、苦労した分の成長を回復(ヒール)の復元力で全部無くすと損だよぉ」

回復(ヒール)とは、そのような魔法だったのか?」


 イグナスは、ハルナの言葉を聞いて、回復(ヒール)の弊害を初めて知る。


 急激な激しい運動をしたあとに訪れる筋肉痛。

 それは、傷ついた筋肉の繊維が修復されるときに起きる痛み。


 筋肉の線維そのものには、痛みを感じる神経は無い。

 この痛みとは、炎症が広がって発痛物質が筋膜に届くようになってから感じるもの。

 その為、傷ついた筋肉に痛みが訪れるまでには時間差が生じる。


 この時間差とは、筋肉に血液を送る毛細血管の発達の差によって起きるもの。

 普段から、あまり使われていない筋肉には、毛細血管が十分に張り巡らされていない。

 その為、その箇所の破損した筋肉繊維に血液成分が届くまでには更に時間が掛る。

 逆に、日頃から良く使われている筋肉は、少々痛めても修復が円滑(スムーズ)に進む。


 この損傷した筋肉の線維に、修復する為の血液成分が届いた時に筋肉に炎症が起きる。

 そして、この炎症が筋肉を包んでいる筋膜に刺激を与える事で、痛みが生じる。

 つまり筋肉痛とは、傷ついた筋肉線維の修復と同時に起きる痛みであった。

 言い換えれば、この痛みとは、身体がより強い肉体へと変質している成長の証。


 それを回復(ヒール)は、負傷前まで身体の時間を巻き戻す復元力で無かった事にしてしまう。

 それでは、身を削って噛砕巨人(ギガントゥース)と戦った意味が、あまりにも(むく)われない。

 ハルナが、意図して回復(ヒール)で全快まで回復しなかったのには、そう言った意味があった。


 そして、この点がポーションと回復魔法の運用の違いとなる。

 一般的に、どちらも負傷を治療する、と言った結果をもたらすが、その性質は真逆。


 ポーションは、身体の治癒能力の促進。つまり、身体の時間を加速させて治療をする。

 回復魔法は、身体を負傷前の時間の近くまで巻き戻す事で、健常体(けんじょうたい)に身体を復元する。


「それでは、いままでワレは、幾度(いくど)となく強くなる機会(チャンス)を失っていた、と言う事か?」


 イグナスは、ハルナの説明を聞いて愕然(がくぜん)とする。

 これまで幾度いくどとなく繰り返してきた戦闘で助けられた回復魔法。

 それが、自身の力の成長を妨げていた、と言う事実に打ちのめされる。


「まぁ、厳密(げんみつ)に言えばそうだが、戦闘の経験は記憶に残る。全部は無駄にはならないぞ」

「そうだよぉ。死んじゃったり、変な後遺症が残るよりは良いと思うよぉ」

「ぐぬぅ……確かにそうではあるな」

「それにどっちも、失った血や消耗した精神までは戻らないからねぇ」

「戦闘中に半端な知識で欲を出すと、そのケガが元で不覚を取るぞ」

「回復魔法の事を理解している人が少ないのは、悪い事ばかりじゃないよぉ」

「……確かに、そうであるな」


 イグナスは、マサトとハルナの説明を聞いても、()に落ちない思いが残る。

 だが、その考えをイグナスは、すぐに改める事にした。

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