202.意思疎通
「エセ商人……これは、どう言うつもりにゃ?」
ルネとダーハに捕まったベスが、恨めしそうな目を首謀者に向ける。
「マサトは、ベスに任る、と言ったのでしょう? なら、アナタが責任を持ちなさい」
サントスは、マサトの意向を理由に状態が芳しくないベスを、この場に留める。
そして、ベスに預けられた指揮権を返上した。
「エセ商人、アイツらの事を見捨てるつもりかにゃ?」
「バカな事を。そちらには自分が行きます」
更にサントスは、ベスに代わってマサト達の加勢に回る事を告げた。
「それに、弓銃を使える自分の方が、あちらでは役に立つはずです」
「それで、体力切れの私は、お役御免、って事かにゃ?」
「いいえ、周囲の警戒に体力は関係ありません。アナタ達で戦闘を避けて撤退しなさい」
この場において探知能力が高いベス、ダーハ、ガブリエル。
サントスは、その三人による警戒で、戦闘を回避して撤退する事をベスに要求した。
「それに、なんでもありなら、自分の方がマサト達の撤退を支援出来ます」
「……なるほど、確かに、なんでもありなら、それも手にゃ。分かったにゃ」
「ではディゼ、負傷者ばかりですが頼みます」
「はい、サントスさんも気を付けてください」
ベスは、サントスが主張した両方の撤退計画を考慮して、その案を受け入れる。
そしてサントスは、ベスの事をダーハ達に、無茶な行動の制止役をディゼに任せた。
「と言う訳で、ベスが退路を導きます。ルネとバンテージは、それに従って下さい」
「はい」
「おう、そっちも途中で、また伍分厘に遭遇しても逆上するなよ」
「余計なお世話です!」
ルネはサントスの話を素直に受け入れ、バンテージは茶化しながら武運を祈った。
「ん? 逆上って、一体何があったにゃ?」
「え~と、サントスさんが、伍分厘に悪口を言われて怒っていたんです」
「なんにゃ、ソレは? なんで伍分厘の言葉が分かるのにゃ?」
「それは……」
「もう、その話は止めなさい。思い出すだけで不愉快です!」
ベスは、ディゼの説明を聞いても、いまいち理解が追い着かない。
そこでルネが捕捉をしようしたのだが、その流れをサントスが断ち切った。
「では、自分は行きます。くれぐれも魔物との遭遇のリスクは避けて下さい」
「はいなのです」
「分かっているにゃ」
「ワウッ!」
サントスは、それだけ言うと、ベスに代わってマサト達の下へ加勢に向かう。
そして、サントスの姿が見えなくなると──
「よし、エセ商人は行ったにゃ。さっきの面白そうな話を詳しく教えるにゃ」
ベスが、さっそく先程の話をぶり返して、その詳細を訊ねた。
「ちょっと、ベスさん、その話は、もう終わったんじゃなかったんですか?」
「何を言うにゃ。魔物の言葉が分かるなら、偵察に出た時に役に立つのにゃ」
ディゼは、サントスが嫌がる事をする気が無いので、ベスの行動を嗜める。
しかし、ベスは魔物との遭遇時に得られる情報の為だとして、詳細の開示を求めた。
「確かに、周囲の警戒をするベスさんとは、情報を共有しておいた方が良い事ですよね」
「そうにゃ。情報共有は大切にゃ」
「そうだな。分かっている言葉は少ないが、それでも多少は動向を察する事が出来るな」
「伍分厘の言葉が分かるのがバンテージさんだけだと、聞き逃す事もあるかもですね」
「なるほどなのです」
ディゼはベスの言い分を聞いて、衛兵時代の情報伝達の大切さを思い出して納得する。
そして、それはバンテージやルネ、ダーハも納得がいくものであった。
だが、彼らはベスの最初の言葉を聞き逃していた。
ベスは、ハッキリと『面白そうな話』と言ったのだ。
つまり、そこにはサントスの事を揶揄う意図とネタへの興味が多分に含まれていた。
その事を見逃したバンテージ達は、分かっている事を包み隠さず説明してしまう。
「まぁ、分かった伍分厘語は、こんな所だ」
「……」
バンテージは、自分が分かった範囲の伍分厘語をベスに伝える。
こうしてベスは、見事にサントスの事を揶揄う面白ネタを仕入れる事に成功する。
しかしながら、そのベスの顔は、話を聞いた事で浮かないものへと変わっていた。
「ベスさん、なんだか難しそうな顔をしていますが、どうかしたんですか?」
ディゼが、眉をひそめて考え始めたベスの様子を見て、何事かと訊ねる。
「いや、ちょっと、その伍分厘語の前後の脈絡が、おかしかったのが気になったにゃ」
ベスは、バンテージが翻訳した伍分厘語を揶揄うネタとして有難くいただく。
しかしながら、その翻訳が正しいものか、と言われれば、かなり疑わしく感じていた。
正しい情報は味方を救い、誤った情報は味方を殺す。
斥候を担うベスは、その危険性を十分に理解している。
それゆえに、安直にバンテージの言葉を鵜呑みにする事もない。
何よりベスは、この件について三つの疑問を抱いていた。
その一つ目は、なぜバンテージが伍分厘の言葉を理解する事が出来たのか、と言う点。
二つ目は、先にも述べたように、翻訳した言葉の前後の脈絡がおかしかった点。
三つ目は、なぜサントスがバンテージの翻訳を受け入れたのか、と言う点。
一つ目は、バンテージが以前に、似た言語を見聞きしていた可能性がある。
二つ目は、単に伍分厘が人間に叫んで挑発効果かあったから、と言う可能性がある。
どちらにせよ、どちらも憶測の域から出ない為、その事は、そこまで問題では無い。
しかし、最後の三つ目には、大きな問題があった。
それは、なぜサントスがバンテージの翻訳を無条件で受け入れたのか、と言う点。
サントスがバンテージの翻訳を信じた『オマエのかーちゃん、で~べそ』と言う言葉。
それは、両者の間で確実に通じる言葉であった、と言う事になる。
その伍分厘語が発せられた時、周囲にはディゼ達三人も一緒にいた。
そのディゼは元衛兵、ダーハは宿屋の元従業員、ルネは教会の関係者となる。
この三人は、それぞれの分野で、この世界の多くの人々と接点を持っていた。
それにも関わらず、三人全員が伍分厘語に類した言語に覚えがない。
覚えがない言語だから、バンテージの一言でサントスのように理解が出来ない。
それは即ち、三人の多種多様な経験の中にもない言語、と言う事になる。
言い変えれば、この世界では一般的に普及する事のない言語。
それが、なぜかサントスとバンテージの間でだけは、なんの疑いも無く通用した。
ベスは、その異常性に気づいたからこそ、この場で、これ以上の追及を止める。
「ともかく参考にさせてもらうにゃ。んじゃ、少し身体も楽になったし、行くかにゃ」
それは、これから撤退をする上で不要な不安を煽らない為の処置だった。
「いつも通り、前方は私と駄犬、後方は子狐で警戒にゃ」
「ワウッ!」
「はいなのです」
「新入りは、薬師と包帯男の面倒を見てやれにゃ」
「わかりました。任せてください」
「えっと、よろしくお願いします」
「それじゃあ、俺は楽をさせてもらうな」
「……」
ベスは、バンテージに思う所があったが、この場は引く。
そして、チワワ獣を先行させて撤退に入った。




